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2018年06月26日 11時31分 JST | 更新 2018年06月26日 11時31分 JST

教育に希望を託す 学びの場を若者、子どもたちに

病気により死の淵を経験した長岡氏、壮絶な家庭環境の中で生きてきた安田氏。

2018年6月19日、長野県上田市「BOOKS & CAFE NABO」にてトークイベントが開催された。『HOPE ひとりでは割れない殻でもみんなとなら溶かせる』を出版した認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人の長岡秀貴理事長(以下、長岡さん)と、『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』を出されたキズキ共育塾の安田祐輔代表(以下、安田さん)が登壇した。

病気により死の淵を経験した長岡氏、壮絶な家庭環境の中で生きてきた安田氏。年齢も生まれ育った地域も異なる二人は、若者・子どもたちを支援するため「教育」という切り口で起業している。なぜ、二人は教育という道に人生を懸けるのか。その理由と未来について迫った。

筆者(以下、工藤):本日のイベントのコーディネーションをさせていただくにあたり、生死にかかわるような経験をした、年齢も生まれた地域も異なるお二人がたどり着いた場所がなぜ「教育」であったのか、その理由に迫りたいと思いました。まずは、それぞれの現在の活動について教えていただけますか。

長岡さん:高校の教員を辞めたのが18年前です。最初は飲食店から独立起業して、15年前に侍学園を設立しました。社会参加不全の若者や子どもたちの包括的な支援を行っています。学園の運営と同時に、合同会社で上田市内に3店舗飲食店を経営しています。そこは若者の就業訓練の場にもなっています。

私は、ひとの人生が変わるところに関わることをミッションにしており、学園や飲食店はそのためのツールであると考えています。

特に飲食店は若者支援とは関係のないお客さまが集まります。そのお客さまが、私たちに「何をしているのか、何をしようとしているのか」を聞いてくれるようになります。当初は職員(店員)のファンであったお客さまが、事業のファンとなっていくのです。

飲食店以外にも美容室を経営したり、音楽活動などもしていますが、若者支援という世界を知らないひとたちが、少しずつ若者支援や侍学園に関心を持つようになっていくことを嬉しく感じています。

安田さん:不登校や中退者専門の塾を起業して7年が経ちました。いまは東京と大阪の5つの教室に300名ほどの生徒が来ています。教室に通えない遠方の学生はLINEを使って授業をしており、オンラインで約40名の生徒を支援しています。

本当にたくさんの生徒がいるのですが、例えば、高校一年で中退し、3年間ひきこもったとき、「どうしよう」と思われた方がキズキに来られます。働くことを選択される若者もいると思いますが、専門学校や大学に進学したいというニーズがあったとき、ネットで検索してキズキを見つけられる方が多いです。

不登校や中退者専門の塾以外では、学力が身に付いていないまま高等教育に進学した若者に、大学や専門学校と提携して学習支援をしたり、行政と協働して貧困世帯の子どもたちの学びを支えています。

定員をはるかに超える参加者で会場は埋め尽くされた。

工藤:長岡さんは生死をさまようほどの病気になり、安田さんはご著書にあるよう壮絶な人生を経て来られました。それはどういうものだったのでしょうか。

長岡さん:16歳、高校生のときに大きな病気をして左半身が動かなくなりICUにいました。30年も前の話でリアルな記憶は残ってないのですが、身体の自由を奪われた事実とともに、自分がやってきたことが病気となって降りかかってきたと思って、反省しかできずにベッドで横たわってました。

自分の力でトイレもいけない。両親に対する申し訳ない気持ちも含めて、自分が存在している意味がわからなくなり、希望すら失いました。そこには「つらい」や「苦しい」、「悲しい」という感情すらなく、それは絶望と呼ぶべきものだったと思います。

ひとの迷惑になりたくないから話さない。何かを考えることもしない。身体の自由がないため、自ら命を落とすこともできない。すべてのことができなかったことは人生の「底」という原体験になっています。

安田さん:私は軽度の発達障害だったことが大人になってわかりました。運動神経が極端に鈍い、体幹がないなどの症状もありました。小学校で鉄棒やマット運動ができないと、いじめられることがあります。まさに私がそうでした。また、過集中によって周囲に気が回らなくなったことが、無視をしたと受け取られてまたいじめられました。

空気を読むことが苦手で、ちょっとうまくいくと周りに自慢をしてしまう。中学二年になって「自慢をしてはいけないんだ」ということを学びました。幼少期にいい思い出はまったくありません。

家庭も荒れていて、父親からの暴力がありました。ぼこぼこに殴られて学校に行けないこともありました。父親はほとんど帰宅しませんし、母親がメンタルをやられてしまって、外に恋人を作って、両親がいない家で毎日を過ごしていました。

家を出たくて全寮制の中学校に行ったのですが、12人部屋の生活でやっぱりいじめられ、寮を出ようとしたら親が引き受けを拒否したため、祖父母の家に住むことになりました。そこでも折り合いが悪くなった中学三年のとき、父親と再婚相手と暮らすことになり、そこで継母にいじめられる。

どこにも居場所がなくなって、コンビニの前で深夜にたむろする仲間といることが多くなりました。喧嘩も弱く、そこでもいじめられたのですが、少なくとも孤独ではなかったんです。しかし、「来週までに2万円持ってこい」みたいなことが続き、とても払いきれなくなって逃げました。逃げても自宅や学校を囲まれ、自宅も地元も離れたくて大学進学に希望を託すしかありませんでした。

誰もが耳を覆いたくなる話も、長岡氏と安田氏は笑いを取りながら参加者に言葉を紡いでいった。

工藤:若者支援分野では「底つき体験」と、もっともつらい状況に陥ったことを表現する言葉がありますが、お二人が人生の「底」から抜け出すきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

長岡さん:高校の恩師がいつもお見舞いに来てくれました。彼は学級経営に苦しんでいて、その愚痴を毎回聞いてました。いまは違いますが、当時は荒廃校で、一年で100名以上が中退するような学校で、中退理由の大半が暴力事件。先生が苦しむのも仕方のないことです。

恩師は生徒の相関関係を気にしながら学級経営をします。でも、実際は生徒である自分の方が正しくその関係性を把握しているわけです。私はそれを恩師に伝えました。すると、素行不良の生徒や不登校の生徒が先生とコミュニケーションを取り始めたのです。

そのとき、恩師である先生から「学校にはお前のような人間が必要なんだ」と言われました。それが自分のセカンドライフのスタートラインとなったんです。自分でも役に立てるのか。この先生のためにも、もう一度社会に、学校に戻ろうと思った。

安田さん:二年浪人をしてICU(国際基督教大学)に合格しました。そこから海外を回ったりしながら、多くの出会いや支えのなかで持ち直していきました。

工藤:それぞれが底つき体験から抜け出すきっかけがあったわけですが、なぜお二人は「教育」という切り口でいまの事業を作ってこられたのでしょうか。

長岡さん:基本的に学校が好きだったからです。素行の悪い子どもでしたが、そうでもしないと、その場にいられなかったのです。両親が共働きで忙しく、基本的に祖父母のもとにいました。土日くらいしか両親との時間が持てませんでした。

そういうひとりぼっちの環境において、学校にはひとがいて孤立しない。コンタクトし続けていればひとりにならない。そういう意味で学校が好きだった。学校に行けば楽しいことがあると思っていました。

恩師の言葉もあり、学校の教員という立場で教育をしていたのですが、バリバリ教員やっていたところ、また倒れてしましました。そのとき、「そういえばずっと教員やるんだっけ?」と思うに至りました。不思議なことに教員をしていると気が付かない間に管理をするようになるんです。「本当に若者や子どもたちのための学校を作るんだ、自分の学校を作ろう」と思ったんです。

私にとって、教科書とは人間です。つらい状況、しんどい経験をした生徒に出会うと、そこには知らなかった人生があり、新しい学びとしての教科書があるということです。それは学校や教育というフィールドがあるからこその出会いなのです。

安田さん:長岡さんと違って、、私は学校が嫌いでした。だから学校ではなく塾を作りました。学校にはさまざまな問題があるかもしれませんが、7,8割の生徒は楽しんでいます。少なくとも嫌いではない。しかし、残りの1割とか2割は学校がつらいわけです。自分もそうでしたから、その1割とか2割のひとのための居場所が必要だと思っています。

キズキには元生徒であった講師や、中退や不登校、ひきこもりを経験した講師も3割ほどいます。採用においては過去の経験を加点することも減点することもしません。キズキに通う子どもたちが幸せになれることが大事なので、価値観を押し付けないことができるひとを採用していたら、生徒と同じような経験をしているひとが3割あったんです。

創業時は巣鴨のアパートを事務所にしていました。私自身、高校三年時に予備校に行ったら入塾を拒否されました。見た目が怖かったのかもしれません。ただ、それは周囲の視線が怖かったからです。体験授業でも、隣のひとがペンを走らせているのが怖い。自分だけが授業についていけてない気がする。すると、本当に勉強したいのに塾や予備校が怖くなります。

だからキズキは基本的に個別対応にしています。普通の塾や予備校にいったけれどダメだったという生徒も多くいます。ここには不登校やひきこもりに理解のある先生がいる。個別授業で慣れてくると集団授業にもチャレンジしたり、アルバイトをしてみるような生徒もいます。

私にとって塾とは居場所であり、教育とは支援なんです。

長岡氏の『HOPE』、安田氏の『暗闇でも走る』刊行記念のトークイベントは、終了後に多くの参加者が購入に並んだ。

工藤:侍学園もキズキも順調に経営運営をされています。独自の支援だけでなく、企業や行政とも連携しながら若者、子どもたちを支えていますが、今後はどのようなビジョンを描かれていますでしょうか。

長岡さん:私はNPO法人としての事業と、NPO活動を分けて考えています。認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人は、上田にある学園に30名の生徒がいます。ここでのサービスでは一番いい生徒数です。彼らが自分の人生を賭して来ているわけですから、私たちも命をかけて寄り添います。

一方、NPO活動としては支援者を増やしています。私は病院にも勤めています。小さな子どもたちが小児科を選ぶとき、そこに軽いケースはありません。幼少期になんとなく子どもがうまくいかないからといって、すぐに心に問題があるとは思いませんし、思えません。

だからこそ、病院の先生にも子どもを診るだけでなく、ご家族を支える医療を一緒に創っています。本当は器質疾患や専門医療に従事してほしいです。しかし、小児科医が日本全体で2,000名足りないと言われているなかで、小児科医を選ばれる志高い先生方がいます。そういう先生と組んで一生懸命やっています。

また、いまは「ライフサジェストスタイリスト(LSS)」となる美容師を育成しています。LSSの講座を受けた美容師が、心に傷を抱えたひとたちの気持ちを受け止められるようになる、専門家の育成です。美容理容は全国に21万店舗以上あります。ここにいるひとびとが若者や子どもたちの支援者になれたら、人生が変わるきっかけが全国のいたるところで生まれるはずです。

侍学園やキズキ、育て上げネットに行くのはハードルが高くても、もっと自然に行ける場所は社会の中にたくさんあります。美容院もそうですし、飲食店も同じです。侍学園は侍学園としてのことをやり、他方で若者たちの気持ちを受け止められる社会資源を増やしていく。そういう展開をいまは考えています。

安田さん:いま塾が5校ありますが、これを拡大していきたいです。塾を広げることは、自分の価値観を押し付けない支援者を増やしていくことにつながります。ひとの幸せはそれぞれで、幸せの基準は本人が決めるものです。自分の塾を広げていくことが社会のため、子どもたちのためになると信じています。

この秋を目標に新規事業の準備をしています。うつと発達障害の方に特化したビジネススクールをやりたいと思っています。私自身が大学卒業後、商社に入ってうつになりました。うつで働けない間に周囲は給与があがったり、成長していることを見て、自分は何をしているんだろうと非常につらい思いをしました。

もちろん、休息が必要な時期ですが、たまに3時間とか調子のよいときがあります。その時間だけでも新しい知識をインプットしたり、マネジメント手法を学んだりできる機会を作りたいと考えています。

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当日は定員を大幅に上回る参加者がおり、多数のメディアが取材に駆け付けた。東京や群馬など遠方からの参加者も多く、イベント終了後は書籍販売ブースは行列ができていた。長岡氏、安田氏に我が子の悩みを打ち明けたり、経営相談をする姿が印象的であった。