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2018年01月19日 17時09分 JST | 更新 2018年01月19日 17時09分 JST

「自分の価値観を押し付けないで!」パートナーはアスペルガー症候群。

私の「ふつう」は、あなたの「ふつう」?

◇あなたって、本当にアスペルガーなの?

『明日も、アスペルガーで生きていく。』というタイトルの本を上梓してなお、今でもよく聞かれることがある。私に気を遣っているのか、本当にそう感じているのかは知らない。あるいは、「そんな風に見えない」ということが、ひとつの"お世辞"なのかもしれない。

「ねえ。あなたって本当に、アスペルガー(発達障害)なの?」

多くの場合、私はいささか過剰適応(ただの自嘲?)ぎみに、早口でこう答える。

「そうですねぇ。医師の診断を受けていますし、二次障害のせいで服薬は欠かせないですし......。やっぱりアスペだと思いますけどねえ。まあね、たしかに自分でも本当にそうなのかな? なんて思うんですよ。ご存知の通り、そこそこ気遣いもできますしね。はっはっは!」

空気が読めず、表情もぎこちなくて、友だちも少ない......。そんな典型的なアスペルガー(発達障害者)像ばかりがいまだに一人歩きしている。そのことに疑問を感じていた私は、既成概念を壊すべく本を書いたと言っても、過言ではない。

しかし、「ご存知の通り、そこそこ気遣いもできますしね」なんておどけてみせるのは、「アスペルガーは気遣いができない」という既成概念を自ら揶揄しているわけで、少々悪趣味かもしれない。以後、気をつけよう。

◇アスペルガーだって、気遣いができる!

そう、アスペルガーにも表情はある。私の場合、多少ならば女子っぽいトークを交わすこともできるし、仕事上であれば、気遣いもできる(と思いこんでいる)。大勢の集まりにはほとんど出向かないが、友だちだって少なくない。

たとえば、拙著の医療監修を手掛けて下さった精神科医の西脇俊二先生は、「女性は適応能力には長けているから、アスペルガーだとわかりづらい人が多い。だけど、本当は極端に苦手なことを半ば無意識で頑張っているだけなんだよね。だから知らず知らずのうちに、ストレスが異常に高くなるんだ」と話す。

この言葉のおかげで、私は長年苦しんできた体調不良の原因や自分の特性を理解し、発達障害という概念を受け入れることができた。ところが、最近になって、少々気になり始めたことがある。

これまで、私は思っていた。「自分はアスペルガー(発達障害)だけれども、定型の人と同じように、もしくはそれ以上に気遣いができる。ただ、西脇先生がおっしゃるように、頑張って気を遣う(過剰適応してしまう)から、どうしても心身が疲れてしまうだけなんだ」と。

つまり、「アスペルガーの私でも、それなりに気遣いはできるんだ」と固く信じて疑わなかったわけだが、その「気遣い」自体が、少々変わっている(いた)のでは......? そんなことを考える場面に、出くわすようになったのである。

◇胃腸かぜに、牛丼!?

私の父の言動を観察していると、自分に酷似していると思うことがある。つまり、父にも私と同じような特性があるのでは? と感じている。

先日、母が胃腸かぜで寝込んでいたときのことだ。母がベッドから動けず苦しんでいると、ふだん家のことは何もしない父が「夕飯のことは気にしなくていいよ。俺が買ってくるから」という。その言葉に安堵した母は、「悪いわね。じゃあお願い出来るかしら?」と、父に夕飯を託した。もちろん胃腸かぜなので食欲はないし、食べられてもおかゆくらいだろうが、何よりこの体調で父の夕飯をつくらずにすむことが嬉しかった。

ところが、夕飯の買い物から戻った父は、母にこう言ったという。

「精をつけた方がいいと思って、牛丼買ってきたぞ。俺もあんまり食欲がないから一個だけ買ってきた。俺と半分ずつ食べれば、量的にもちょうどいいよな?」

ベッドの中の母は、思わず天を仰いだという......。

もちろん、父は母を困らせてやろうと、牛丼を買ってきたわけではない。「風邪だから、元気になるような(自分が好きな)食べ物がいいに違いない」「胃腸が悪いらしいから、量はあまり食べないだろう。俺と半分ずつでちょうどいいはずだ」と、父なりの「気遣い」のもとに、牛丼がひとつ、母のもとにやってきたのだ。

長年、父と連れ添ってきた母は、決して父を責めることはない。「責めても仕方がないじゃない! 今さら言っても変わらないわよ(笑)」。そう、諦観しているのである。だからこういう類のエピソードは、ほとんどが笑い話として子どもたちに伝わり、それで終わる。

◇私の「ふつう」が、あなたの「ふつう」ではない

父の話は非常にわかりやすい例だが、私自身も、実は夫に同じようなことをしている。夫は、さほどカボチャが好きではない。あれば食べるが、自ら「食べたい!」と思うような食材ではないという。

ところが私は、どこで仕入れた知識かしらぬが、「カボチャは野菜の中でトップクラスの栄養がある」「身体にすこぶる良い」というキャッチフレーズがどうしても頭から離れない。「とりあえずカボチャの煮付けさえ食べておけばいいだろう」と、ある時期、毎週のようにカボチャの煮付けをつくり続けた。

私は、1年365日、同じメニューでも、まったく問題のない人間である(そういうタイプの方が少ないということも、成人してから気づいた)。だから、身体に良いものなら、毎日食べたらいいじゃないか、と考えていた。夫の身体のことを考えて、カボチャの煮付けを作り続ける私は、妻として立派であるとさえ思っていた。

だから、夫に対しても「どうしてカボチャの煮付け、食べないの? 今日も作ったのにもったいないじゃない!」とたてつき、「君さあ、ふつう、毎日同じものじゃあ、飽きると思わない? カボチャの煮付けはメインになる?」と返されても、「別に飽きないけど」としか返せなかった。以来、夫は時間の許す日は、自分の食べたいものを自分でつくって食べている(料理については、また別の機会に書きたいと思う)。

「自分(定型)の価値観を押し付けないで!」などと、夫に叫んでいた私だが、自分(アスペルガー)の価値観を押し付けていたのは、紛れもなく、私自身だった。あなたの「ふつう」が私の「ふつう」ではないように、私の「ふつう」はあなたの「ふつう」ではない......。

いくら、頑張って「気遣い」をしてみたとて、それが本当に相手の立場に立ったものでなければ、意味がない。そんな、ずれた「気遣い」では、相手も自分も疲弊するばかりだ。

◇アスペルガーのパートナーを持つということ

同じ出版社で働いた経験を持つ夫いわく、私は「外面がいい」ということだ。もちろん外でも失敗することは多いが、それでも「気を遣っている」雰囲気があるため、許容の範囲内だという。しかし、それが家庭内になると、たちまち「適応」する努力を怠ってしまう。

「カサンドラ症候群」という言葉をご存知だろうか? これは、アスペルガー症候群のパートナーを持つ定型の人が、コミュニケーションや価値観のすれ違いなどから精神的、身体的疾患に陥ってしまう症状を指す。きわめて深刻な二次障害のひとつである。

たとえば人混みに出かけた時、感覚過敏からイライラし始め、急に怒り出したりパニックに陥る妻をなだめるのは、(それが何度目だったとしても)骨の折れる、大変な作業だろう。きちんと話し合いたくても、そもそも話し合いにならないほど、アスペルガーの妻が(感情をコントロールできず)イライラしていることもある。そのたびに、夫は、大きなため息をつかなければいけない......。

これまで、必死に自分の人生の舵取りをしてきた。発達障害という生きづらさを「理解してほしい」「知ってほしい」という気持ちから、本も上梓した。しかし、以前にも書いたが、決して障害にあぐらをかいてはいけない。自らの「特性」を理解することは何よりも大切なことだが、それだけでは意味がないのだ。

自らの「特性」を理解した上で、自分のことだけでなく、もっとも身近にいてくれる、家族のことを考える。友人のことを考える。彼らと調和して生きていくことを考える......。そこではじめて、本当に自分の「特性」を理解した、といえるだろう。外面ばかりよく、「あなたって本当に、アスペルガーなの?」と言われておどけているようでは、人間としての成長はありえない。

アスペルガー症候群の当事者だけでなく、周囲の人間も笑顔でいるためには、正しい知識とたゆまぬ努力が必要なのである。(了)

明日も、アスペルガーで生きていく。