豊かな自然や、人との繋がり、自給自足など都市部の居住では見出すことのできない魅力を求め、地方への移住を検討する方が増えています。
しかし、「住」の問題は深く考えられるのに対して、住んだ後どのように暮らしていくのかという問題はあまり語られることがないように思います。
多様な移住関係のイベントが行われるなかで、重要なのは「働く」について考える機会を設けていくこと。多様な先行事例から「働く」を模索することが出来たら、より移住に関して現実的なイメージを抱くことが出来るのではないでしょうか。
岐阜県恵那市では、恵那暮らしサポートセンターによる『"ジモトで働く"を考える。~恵那お座敷Café~』が行われ、公務員や教員、起業した方の視点から恵那で働き暮らすことについて、考えを深める場が提供されました。
合併を経て消滅可能性都市に指定、岐阜県恵那市
岐阜県東濃地方に位置し、東には恵那山、南には焼山、北には笠置山に囲まれ、山には木曽川や阿木川、矢作川など、豊かな自然が多く残る恵那。県立自然公園に指定された大井ダムと、一帯の奇岩などの調和が美しい「恵那峡」も人気です。
中心市街地を横断する中山道大井宿、南部には800年の歴史を持つ女城主城下町岩村など歴史的な観光資源も多い恵那では、「人・地域・自然が調和した交流都市」を将来像としたまちづくりが進められています。
そんな恵那は、平成16年に、旧恵那市、恵那郡岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町の1市4市町村が合併。近年は、「消滅可能性都市」の1つに指定されるなど、人口の市外への流出が問題となっています。
しかし、危機は時に自分たちの在るべき姿を見つめ直す機会を提供します。本当に胸を張って他地域に発信したい自分たちの魅力は何なのか。普段暮らしを送るなかでは、当たり前だと捉えてしまい、埋もれてしまいそうになる魅力のかけらを拾い集め、ローカルなWebマガジンとして発信する団体が存在します。
恵那山麗エリアのわくわくする人・場所の情報を、「おへマガ」
2015年2月にスタートしたローカルWebマガジン「おへマガ」。恵那山麗エリアでわくわくする活動を行う人々に焦点を当て、「おへそ仲間」としてローカルな視点から情報を提供し、読者へリアルな田舎を体験してもらうことを目的とした田舎体験ウェブマガジンです。
名前の由来ともなる「おへそ」とは、岐阜県の霊峰とも呼ばれる恵那山の昔からの呼び名「胞衣(胞衣=えな・へその緒の意味)山」から来ており、日本のほぼ真ん中に位置する恵那・中津川を中心としたエリアから、わくわくする人・モノ・コトを紹介し、ワクワクするまちを作り上げていきたいという想いを込めているんだそう。
恵那・中津川で暮らす人がそれぞれの視点で情報を発信する「おへそ仲間の声」というコーナーや、地域をわくわくさせる取り組みを行う人々への「インタビュー」のページなど、精力的な発信が行われています。
その「おへマガ」を運営しているのは、岐阜・恵那の魅力を伝えるべくさまざまな取り組みを行うNPO法人「えなここ」で働かれている園原麻友実さんです。今回、恵那へ足を運んだのも、「おへマガ」によるイベント紹介がきっかけでした。
岐阜、恵那と関われる場作りを、「おへマガ」編集長園原麻友実さんインタビュー
―どうして「おへマガ」を立ち上げようと?
園原:「3年間ずっと『えなか(恵那山麗博覧会)』という恵那・中津川の食や自然、文化、魅力的な人と出逢う機会を詰め込んだ体験型プログラムに関わってきました。
その経験を通して、地域の実践者や面白い人たちを深く伝えていきたいと感じて。地元に住んでいても伝わっていない魅力がまだまだたくさんある。私自身もそうだったし、とにかくずっと(おへマガを通じた発信を)やりたかったんです。」
―園原さん自身は現在どういったバランスで働かれているんですか?
園原:「NPO法人『えなここ』で運営や企画を行いつつ、恵那の商品の発信やリブランディングを行っています。移住定住の支援事業にも関わっていますね。」
―今後はどのような動きを展開していきたいですか?
園原:「私が地元・中津川を飛び出して、京都にいたとき岐阜について知ったり話したりする機会は皆無でした。「岐阜出身です」と自己紹介をしても関心や興味を持たれることもなく、流されていく感じを今でも覚えています。
だからこそ、胸を張って岐阜出身と言える、同じように岐阜出身の人たちと繋がる場や、新たに岐阜へ興味を持った人たちの受け皿となるような場を作っていきたいですね。」
恵那で多様な働き方と出逢う場、「"ジモトと働く"場を考える~恵那お座敷Café~」
「恵那」というキーワードから、恵那で働くことについて考える場『"ジモトで働く"を考える。~恵那お座敷Café~』が恵那暮らしサポートセンターの主催で行われました。前述の園原さんも今回の場づくりに関わられたんだそう。
ゲストトークに登場したのは、1度地元を出て、地元企業への就職を選んだ人、地元で生まれ育ち、東京や海外でスキルを磨きながら現在教員として地元で働く人、新たな移住先として恵那を選び、起業をした人と、多様な、しかし異なる働き方を行う3人でした。
大学院卒業後、地元企業「株式会社バロー」に就職 原修一さん
恵那市出身で、多治見市在住の原修一さんは、名古屋大学大学院でメタンハイレードの研究を行った後、地元のスーパーマーケットやホームセンターを展開する企業「株式会社バロー」に就職。
理系の大学院を卒業したあと、小売業界での就職を決めた意図はどこにあったのでしょうか。
原:「バローは、SDCP採用(セルフキャリアディベロップメントプログラム)という個人に5年間の人事権が付与される採用を行っていました。一般的な会社では人事部が人事権を持ち、社員の配置や昇進、配属場所を決めるんですが、この採用では個人がその権利を持つことが出来る。あまり見られない採用ですが、5年の間いつでも好きなタイミングでも好きな部署に行くことができるため、フレキシブルな働き方が可能になります。
当初は小売業界やスーパーマーケット業界へのイメージは良くなかったのですが、名大出身のOBとの面談や恵那出身の役員とのランチ、そして特異な採用を知るうちに、自由度や、スキルの向上、キャリア構築を考えたときに、バローでの就職を決めました。」
社会人1年目の原さんは、自身の立場から恵那に関わっていきたいと話します。
原:「スーパーマーケットとしての立場から地域の食を支えていきたい。今の恵那でなかなか出逢わない食べ物や飲み物など、恵那の人々が誰も見たことのないような美味しいものを地域の食として提供できる立場にいるのかなと。今、住んでいる人が住みやすく感じる恵那を、そしてそも評判を聞いた人々が恵那に集まってくるようになればいいですね。」
学校では行えない授業を岐阜から発信、平林悠基さん
恵那市岩村出身で、現在中学校教員として働く平林悠基さん。大学在学中にインターネットへの関心を機に、東京のIT系企業でインターンを開始した平林さんは、東京やロンドンのITベンチャーで勤務後、オリンピック選手数名と協同で会社を設立するなど、多様な活動を展開。
海外への関心も同時に持っていた平林さんは「東ティモール」への旅を機に、教育への関心を深めたんだそう。もともと教員免許を取得していた平林さんは、現在恵那・岩村で学校はもちろん、恵那の豊かな自然を生かしたキャンプやワークショップを子どもたちと行っています。
平林:「魅力的な人たちとの出逢いを通じて、自分が本当にやりたいことを決めてきた。教育で子どもたちに貢献するために、教員と並行して、学校ではできない授業の形を作って、日本中、世界中に展開していきたいですね。
例えば、笠置山で行っている『MOUNTAIN ADVENTURE CAMP』。教員だけでなく、さまざまな面白い人たちに先生となってもらい、キャンプを通して、子どもたちに出逢いの機会を提供しています。」
本当に田舎で通用するものは世界でも通用、「美濃丈プランニング事務所 」中田誠志さん
5年前に東京から恵那市岩村町に移住したのは、今回トーク以外にコーディネーターも務めた「美濃丈プランニング」の中田誠志さん。東京で、観賞魚を扱う企業で本店店長を務めていた中田さんが、恵那・岩村に移住をした理由はどこにあったのでしょうか。
中田:「移住のポイントは、希薄になりがちな人との繋がりや人柄、触れ合う機会、自然がたくさんあるかどうかでした。良い水、良い空気、良い環境を探していたことが岐阜を選んだ決め手でしたね。農的な暮らしを求めていたので、使う物や食べるものは自分で作ろうという気持ちは大きかったです。
また、移住をするにあたって、会社から卒業しようと決めていたので、どこかに勤める気はありませんでした。多面的なサバイバルというか、『仕事をつくる』というプロセスを踏みたかったんです。」
現在、ふるさと活性化協力隊の活動から、地域資源の魅力アップや地域おこしサポートに対する思いをビジネスに活かす会社「美濃丈プランニング事務所」を設立し、地域、行政、民間組織との連携事業など、多くのコミュニティビジネスを手がけている中田さん。集まった大学生や移住に関心を持つ人々たちに語りかけます。
中田:「恵那市で就職したい、いつか帰って来たいと考えている人たちは、その分岐点を待つのか、探すのか、作りだすのか、考えてみてもいいと思います。つまり、自分でキャリアをマネジメントしていくのか、企業や組織、友人に任せるのか、自分の持つスキルや環境を認識しながら進めていくことが大事で、自分をコンサルする技術、能力は学生でも、社会人でも必要だと感じますね。
地方が世界というか、「グローカル」という言葉も登場する今の時代、地元の人たちに本当に通用するものは、世界で通用する。だからこそ、自分がなぜ地域を出たのか、地域に来たのか、戻ったのか、その部分をあいまいにするのではなく、軸を持っておくと、周りの環境が変わっても柔軟に対応対応できるのではないかと思います。」
「私たちが働き住みやすい恵那とは?」、参加者全員で考える対話の時間
3人3様の「働く」に対する考え方が提示されたあと行われたのは、先ほどトークを行った中田さんのコーディネートによるブレイクタイム。「私たちが働き住みやすい恵那とは?」という問いをもとに、参加者が席替えを行いつつ異なる価値観を共有する手法「ワールドカフェ」を用いた対話の場づくりが行われました。
夏休みという時期もあってか、恵那出身で現在関東や関西の大学に通う大学生も多く参加した今回のイベント。ゲストトークや恵那で暮らす先輩方の話を聞いて、あるいは1度慣れ親しんだ土地を離れることで、気づいた恵那の魅力もあったんだそう。
恵那の人々の距離感の近さ、深い歴史や豊かな環境を持つ恵那の魅力が共有され、どのように他の地域に住む人々へ発信していくか考えられていきました。
古民家を利用したカフェやゲストハウス、地域の伝統的な和菓子店などを巡るツアーを計画するグループも。ずっと住んでいても知らなかった恵那の魅力が短い時間のなかで共有されていきました。
最後には、NPO法人「G-net」で就職・採用支援事業部の担当を務める西尾拓哉さんから、現在の就活状況や岐阜県内の企業で体験できるインターンシップの情報などが共有されました。地元で働くことについて考えた後ということもあり、真剣な表情で話を聞く大学生の姿が印象的でした。
「恵那」をキーワードに知識や経験を共有する1日に
全体のイベント終了後は懇親会が開かれ、熱量の高い会話が「恵那」をキーワードに行われました。久々に恵那に戻り、これまではなかった興味深い取り組みに、驚く参加者も多かったようです。
今回の「"ジモトと働く"場を考える~恵那お座敷Café~」を企画した、恵那で地域おこし協力隊としても尽力する須原由里果さんは1日を振り返り、以下のように語ります。
須原:「移住定住の事業を行うなかで、空き家の活用や空き家バンクなど、居住の部分にこれまで力を入れてきましたが、住まいがあっても働く場所がなければ、せっかく恵那に来ても暮らしていくことが出来ない。
『住む』と『働く』を一緒に考えていかないといけないと考え、実際に恵那で暮らし、働く人たちの話を聞ける場を作ろうと今回の場を作りました。
1度地元を出て、力を身につけ戻る人たちの話や、異なる地域から移住されて起業された人のお話は、学生にとっても有意義だったように思います。今後も継続して行えるようにしていきたいですね。」
継続して「暮らしていく」ということ
「暮らす」ということは、「住む」だけではなく、継続して生活を成り立たせていくための「働く」についても考える必要があります。
地域それぞれの魅力を伝える取り組みは日本各地で行われるようになりましたが、移り住んだ後、どのような生活を送っていくのか想像を膨らまし、過程をイメージできる今回のようなイベントは非常に効果的だと感じます。
恵那出身の大学生や、地域の方々も多く参加していた今回のイベント。一番よく知っていたはずの「地元」のさまざまな側面を、恵那に魅力を感じ活動を行う人々の言葉から新たに学び、その魅力がさらに伝承されていく。
原さんの言葉にもありましたが、既に住んでいる人が住みやすく感じる地域を作ることで、自然と魅力が構成され、新たな移住者も生まれていくのかもしれません。
京都や東京でも開かれる「岐阜」について話す機会
今後は京都や東京、若者やアラサーと、場所や年齢層を変えながら、岐阜や恵那について語り交わる場が予定されているんだそう(先日開催されたときレポートはこちらです)。
地域「内」、地域「外」で、「岐阜」や「恵那」というテーマを設けて場を作ることで、興味を持った人々が地域に関わる切り口をいくつも用意されています。このように、さまざまな側面から地域の魅力を発信し、人々が関わることのできる場を構成する流れは、多くの地域で参考になる事例だと感じます。
岐阜・恵那だけでなく、きっとみなさんが関心を持つ地域でも独自の興味深い取り組みが行われているはず。まずはそういった取り組みを探し、地域に関わるところから始めてみてはいかがでしょうか。
(2015年8月18日の「マチノコト」より一部修正して転載)