高等教育の在り方が変わりつつある。世界と伍して競争するには、英語は勿論、広範な知識と高度なスキル、さらに現場経験が欠かせないからだ。従来型の座学中心の教育では対応できない。
この状況は医学教育の分野も変わらない。世界に通用する医師を育てるにはどうすればいいか、試行錯誤が続けられている。
森田知宏君という医師がいる。今回は、彼のことを紹介したい。彼の挑戦は、新しい医師教育の在り方を考える上で示唆に富む。
森田医師は2012年に東大医学部を卒業した。その後、千葉県鴨川市の亀田総合病院で初期研修を終え、昨年、自ら希望して、福島に移り住んだ。そして、相馬中央病院で内科医として診療に従事している。
同時に私の研究室の大学院生でもある。彼の研究テーマは高齢者の社会的孤立だ。
彼は、最初から、このテーマを選んだ訳ではない。まして、研究のために福島に飛び込んだのではない。その動機は「福島の役に立ちたい」、「福島で働きたい」だ。彼は現地で活動し、様々な人と出会い、大きな刺激を受けた。そして、生涯にわたって取り組むべきテーマとであった。森田医師は「今後、内科医として、研究者として一生をかけて、このテーマに取り組むつもりだ」と言う。
ここで、少し高齢化についてご説明しよう。高齢化は我が国が抱える課題であることは言うまでもない。
特に福島の高齢化は深刻だ。震災後、若年者が避難したためだ。南相馬市の高齢化率は震災前の26%から33%となった。
急速な高齢化は社会に歪みをもたらす。ただ、高齢化が、社会にどのような具体的な影響を与えるかは、現場を見なければわからない。
東日本大震災から四年が経過し、福島では軽症の要介護者で施設が溢れている。原発事故により若者が避難し、高齢者だけが取り残されたためだ。同居する家族がいなくなって、介護施設に入らざるを得なくなった。
介護者は簡単には養成できない。受け入れる事が出来る高齢者の数には限界がある。この結果、大量の介護難民が発生した。森田医師によれば、相馬市だけでも約400名が介護施設への入所を待っている。孤独死、アルコール依存、さらに介護難民が常態化しつつある。
どうやったら、この問題を解決出来るのだろう。誰も正解はわからない。試行錯誤を続け、地域にあった解決法を作り上げるしかない。
森田医師が住む福島県相馬市の場合、この問題への取り組みをリードするのは立谷秀清・相馬市長(63)である。
最近、相馬市は復興公営住宅として、「井戸端長屋」と呼ばれる集合住宅を造成した。立谷市長のアイデアだ。立谷市長は「如何にコミュニティーを維持するかが重要だ。そのために、行政がどこまでやるか、地域がどこまでやるか、ノウハウを蓄積しなければならない」と言う。
相馬市では、既に5棟58戸が建設され、57人が入居している。うち52人が高齢者、38人が独居だ。介護保険で要介護と認定された人は12人に上る。
「井戸端長屋」の工夫は興味深い。例えば、建物の中央には共同の食堂があり、昼食の弁当が配られる。洗濯機は、個室ではなく、共同スペースに設置されている。何れも、日常生活で入居者が顔を合わすことが目的だ。
森田医師は、相馬市から「井戸端長屋」を巡回する医師に任命されている。彼によれば「日常の触れあいから支えあいに発展する例もある」と言う。例えば、車いすに座った85歳女性が介護施設へ通うバスに乗り込むのを、隣に住む元気な80歳女性が支えたり、63歳の女性が昼食時に「お漬物どうぞ」と自分でつくったおかずを持って来ることもあったという。
相馬市が目指すのは「共助」のシステムの構築だ。そして、森田医師の仕事は、井戸端長屋で入居者と接しながら、それを記録することである。これは、我が国にとって貴重な資料になる。なぜなら、2040年には東京の高齢化率は現在の福島と同レベルになるからだ。福島の経験は他人事ではない。既に、国内外の研究者から多くの問い合わせがある。
では、なぜ、森田医師は福島県の市町村の中から相馬市を選んだのだろうか。それは、相馬市は、彼が成長するための素晴らしい環境を提供すると考えたからだ。
まず、卓越した指導者がいる。医師でもある立谷市長の実力は今さら言う必要もない。相馬市の復興が速いのは、彼に負うところが大きい。現に、「井戸端長屋」は建設を終え、入居が始まっている。
余談だが、森田医師が勤務する相馬中央病院は立谷市長が理事長を務める民間病院だ。こちらも動きは柔軟である。
ついで、相馬市は経営状況がいいことが挙げられる。何をやるにも金がかかる。それを調達するのはリーダーの仕事だ。相馬市も例外ではない。
相馬市の復興が速かったのは、2002年に立谷氏が市長に就任して以降、行政改革に努めてきたからだ。震災時には一定の内部留保があったため、政府の指示を待つことなく、矢継ぎ早に対策を打ち出すことが出来た。相馬中央病院の経営も同様だ。だから、森田医師に教育の機会を提供すべく「投資」することが出来る。ここが慢性的な赤字に悩む国公立病院との違いである。
医師は「職人」だ。成長するためには、各地をまわり修業しなければならない。これは古今東西変わらない。
若い医師は、どこで、誰のもとで研修するか悩む。その際、森田医師の経験は示唆に富む。問題は現場で起こっている。まず現場にでなければならない。
ただ、現場なら、どこでもいいという訳ではない。優秀なリーダーがいて、経営状況のいい病院があることが重要だ。ところが、このことはあまり指摘されないし、この手の情報はインターネットでは伝わりにくい。研修する病院を探す医師の卵たちには、是非、この点を考えて欲しいと思う。
よきリーダーがいる現場があれば、私たちのような指導者も色んなことが出来る。IT技術の発達した昨今、私は東京にいながら、森田医師を指導している。毎日のように携帯電話、メール、フェイスブックでやりとりしている。また、相馬中央病院の御厚意で、森田医師は毎週、東大医科研の研究室にも顔を出している。現在、森田医師は、原発事故が相馬地方の救急医療に与えた影響を調査しているが、論文の書き直しは既に200回を越えた。少しずつ、実力をつけてきている。
若き医師のトレーニングは、今も昔も変わらない。まず、現場で「困難」に直面する。本や論文を読んで自分で考える。そして書いて発表する。基本的には、この繰り返しだ。
ただ、通信技術が発達した昨今、やる気さえあれば、世界中の専門家の知恵を借りることも可能になった。色んな背景をもつ人と交わり、思考は深められていく。
若者は、まず「困難」を求めて行動すればいい。道は自然と開かれる。森田医師がその典型だ。医師教育の在り方が変わりつつある。