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「福島原発事故は、この母なる故郷を永遠に奪い去った」避難指示解除後の現実に、渡辺さんの苦悩と憤りは癒やされぬままだ。
この女性は、震災直後の2011年4月には、右胸のしこりを自覚していた。しかし、女性が南相馬市立病院を受診したのはそれから3年3カ月後だった。
今後日本とネパールの友好関係がさらに盛り上がっていくことに期待したい。また、私自身研究のコラボレーションに貢献し、その一助になれればと思う。
厚労省は2029年に歯科医師が1万4000人過剰だという試算を出した。
この4年半、たくさんの団体の方々とお会いし、活動のお手伝いをしてきましたが、ここまで自己犠牲を払って天衣無縫に活動されている人を見た事がありません。
南相馬市では、原発事故後、医師、看護師など医療従事者の半数が離職した。南相馬市立総合病院では医師数が、震災前の12名から4名にまで減少した。
南相馬という地域で、女性の健康を守りたい。初期研修医として南相馬に赴任して1年半が経過した今、産婦人科医として南相馬に残ることを決意した。 
南相馬市立原町第二小学校の山邉彰一校長先生から依頼を受け、小学3-4年生を対象にした出前授業「放射線(ほうしゃせん)って何だろう?」を実施いたしました。
東日本大震災から5年4ヶ月が経過した。福島県浜通りの住民は復興への努力を続けている。しかしながら、課題は山積だ。その一つが除染である。
自分自身の知識の限界と、誤った情報が人々の生活に与える影響について同時に知ったことが、私にとって福島との出会いで最も衝撃的だったことのひとつだ。
I never saw the actual results of misinformation until I moved to Fukushima. Now, I see them everywhere.
「お世話になることに決めました」。1月13日、都内在住の看護師から連絡を受けた。
東日本大震災が起きてから4年半以上が経った。南相馬では、今でも4000人近くの人が応急仮設住宅での生活を余儀なくされている。
南相馬の初期研修医だからこそ経験できていることは、数え切れない。だからこそ、マッチングから一年が経った今思うことを正直に書きたいと思う。
自然災害の被害の甚大さという点では共通した両国。けれども、高度先進国として日本の震災復興は随分進んでいる一方、ネパールの悲劇はまだ続いているのです。
南相馬での研修は、ある意味で他の病院での研修とは大きく異なっているといえる。
福島・南相馬市の中心部、人影もまばらな夜の街に、派手な極彩色の看板がきらめく。
7月16日から20日にかけて、相馬市の仮設住宅入居者を対象とした健康診断が実施された。東日本大震災以降、恒例の行事となっており、今年で5回目だ。