大学生たちが競輪選手の処分を軽減すべく署名活動を始めた。この会の名前は「競輪を応援する学生の会」。斎藤宏章さん(東大医学部5年生)を代表とし、発起人には東大、慶応、北大、岡山大などの一流大学の学生が名を連ねている。大学生たちが、公営ギャンブルを支援するなど前代未聞だ。
競輪を応援する学生の会
この会のホームページによると、昨年12月、オリンピックに向けた自転車競技の強化や競輪界を盛り上げることを目的に、トップクラスの選手ら18名が日本競輪選手会から脱会し、「SS11」という新たな選手会を結成することを表明した。これに対し選手会は手続き上の不備があとして退会届を保留。「選手会の規則を乱した」との理由からこれら選手の除名処分を検討したらしい。ここまではよくある話だ。
ここから事態は迷走する。1月20日、脱退宣言をした選手が、混乱を招いたことを謝罪し、脱退宣言を撤回した。選手会は全員の除名処分は取り消したものの、現在、何らかの処分を検討中という。スポーツ紙によると、除名処分の次に重い「出場自粛勧告」が検討されているという。
これでは、何が何だかわからない。競輪選手は個人事業主だ。「出場を自粛」させることは出来ない。また、既存の選手会から脅されて、元の鞘に収まるくらいなら、最初から喧嘩などしなければいい。どっちもどっちだ。
これでも、大学生たちが競輪選手たちを応援しようというのは、彼らの活動に敬意を抱いているからだ。
あまり報じられないが、多くの競輪選手が被災地の復興に尽力してきた。例えば、2013年3月に福島県いわき市で「チャリーズ杯」という競輪大会を開催した。今年1月までに合計4回開催されている。競輪を開催すると、売り上げの25%から各種コストを除いたものが開催自治体に入る。被災地としては、「臨時ボーナス」がもらえることになる。
この大会を主導したのは伏見俊昭氏。福島県白河市出身で、アテネ五輪の銀メダリストだ。故郷を何とかしたいという思いが強かったのだろう。彼も処分対象だ。
福島県相馬高校を継続的に支援している選手もいる。今回、処分が検討されている長塚智広氏だ。彼が所属する「アスリートソサイエティ」は、震災直後から同校で陸上教室を開催している。同校の教師によれば、「彼らの指導を受けるようになり、飛躍的にタイムが伸びた。自信がついた」そうだ。いまや、生徒と選手がお互いの名前を覚えて、信頼関係を構築しているという。
実は、東大もお世話になっている。かつて私が所属した東大剣道部の後輩たちは、長塚氏をはじめ複数の競輪選手が継続的に筋トレを指導してくれている。学生も実力をつけたようだ。昨年の新人戦では慶応大学に勝利したという。彼らの活躍に刺激され、関西や北陸地方の大学生が、東大剣道部にコンタクトし、ノウハウを学ぼうとしている。
東日本大震災後、被災地を支援してくれたアスリートは多いが、継続してくれている人がごくわずかだ。このような活動を通じ、彼らは被災地の人々や大学生の信頼を勝ち取っていった。何を隠そう、私もその中の一人だ。
では、彼らは何を目指しているのだろうか。自転車競技の発展だという。実は我が国は世界最大の自転車市場を誇る自転車大国だ。ピークの1991年には約2兆円を売り上げた。ところが、その後は尻すぼみだ。2012年は6147億円まで落ち込んだ。最近では、競輪選手を希望する若手も減ったという。この業界は、このままではじり貧だ。今回、独立を画策した選手たちは、この状況を何とかしたかったという。社会の信頼を勝ち取るべく、地道に活動を続けてきた。
自転車は、医学的見地からも興味がある。それは未曾有の高齢化社会で、高齢者が体力を維持するのに有用なツールになると考えているからだ。最近、町を歩けばスイミングクラブの宣伝が目立つ。関係者は「今やプールは高齢者でいっぱい」という。ランニングやトレッキングブームも背景は同じだ。
多くの人が自転車に関心を持っている。舛添要一・東京都知事は自転車レーンを整備することを表明した。
東大の先輩教授は「健康のため、サイクリング車を購入し、それで通勤しています」という。彼に被災地における競輪選手の活躍を話したら、「是非、会ってみたい。教えて欲しい」と答えた。スポーツを始めれば、誰しもが一流のアスリートの指導を受けたいと思うものだ。
どうして、このようなニーズに自転車のプロである競輪選手が対応しないのだろうか。このような触れあいから競輪ファンは増えていく。
東日本大震災以降、私も競輪のファンになった。そして、競輪場に足を運ぶようになった。被災地の住民や東大剣道部の学生も同様だ。研究室の女性スタッフの中には、熱烈な競輪ファンもうまれ、毎日のようにウェブに掲載される競輪の結果をチェックし、足繁く競輪場に通う者も現れた。
皆が、今回の騒動に呆れている。そして、被災地を支援し、若者を指導する競輪選手たちが処分され、出走できなくなることを恐れている。これこそ、ファン無視だ。こんなことを続けていると、先人が築き上げた競輪、いや自転車文化の衰退は避けられない。内輪の理屈に終始するのではなく、我々ファンとともに新しい自転車文化をつくりあげて欲しい。