そろそろ新学期。今、学用品を買い揃えている人たちも多いだろう(アメリカでは「サプライリスト」という事前に準備する学用品のリストが配られ、それに沿って親は買い物をする)。子供が大きくなっても、大変な仕事だ。
これまで一番高かったのは「ぴったりサイズ」のバインダーだ。なかなか見つからなかった。今は、我が家の電気代に匹敵する価格の計算機に頭を悩ませている。ため息をつきながら、広告にくまなく目を通している。
ちょうどいい学用品をみつけるのは難しい。キティちゃんのフォルダーは子供っぽすぎるけれど、大人の使うようなものは1つ200ドルもする。それに、1ドルの鉛筆に群がる人たちとも闘わなければならない。
そんな買い物に、私はうんざりしている。
サプライリストでは、新しいマーカーやティッシュペーパーをまとめて大量に買うよう求められているけれど、それって本当に必要なんだろうか。これまで何度も買ってきた物だし、自分の子供は使わないかもしれない。
だから私は、新学期に新しい学用品を買い揃えるのを止めることにした。
私は、どうすれば子供たちにとって一番いい環境を作れるか、大人一人一人が関心をもった方がいいと思っている。彼らは将来、私たちの社会保障制度や街のインフラ、がんの治療法を決める重要な人たちだ。
サプライリストの中に、必要ないと感じる物があれば、先生にそう伝えよう。もし、本当に教育に必要であれば、先生は必要な理由をきちんと説明してくれるはずだ。
ブランドのマーカーは高い。どうしてこんなにたくさん買うのか疑問に思っていれば、教室で子供たちがマーカーを使う様子を見に行こう。中には、マーカーであちこちに落書きしている子供もいることに気が付くだろう。
どうしてこんなにたくさん糊を買わなきゃいけないの、と思うのであれば、子供たちが糊を使って単語カードを作る様子を学校に見に行こう。中には、1度に糊を半分も使っている子供もいる。
子供たちにもう少し節約するよう言うことはできる。だけど使いたいだけ使う子供は、そう簡単には変わらない。掃除の時間には、半分だけ使った鉛筆やクレヨンが捨てられている。
そして次の学期がくるころには、新しかった学用品は使い古されてしまい、ほとんどがゴミ箱行きになっている。
折れたクレヨンや、中身が少しだけ残っている糊は、使いにくいからという理由で捨てられてしまう。マーカーは、リュックサックの中でバラバラになり、消しゴムがなくなってしまった鉛筆は見向きもされない。ホワイトボードマーカーは乾いてしまっている。そしてどうなる?
最初に私たちが10ドル余計に払って買った学用品を、今度は先生が買うはめになるのだ。しかも生徒は1人だけじゃない。20人も30人もいる。一人10ドルと考えると、相当な額になる。
あなたの職場は、ソフトウェアやホッチキスを新しくするために何百ドルも払うよう、あなたに求めるだろうか? 子供たちにかけ算や作文を教えるのに、余分に10ドル払わなきゃいけないなんておかしくないだろうか?
私たちは、ティッシュペーパーやマーカーを学校のために買っているかのように考えているけれど、ちょっと待って。彼らこそ、私たちのために自分を犠牲にしていないだろうか。
子供たちはピカピカの新品に慣れてしまっている。残念ながら現実だ。そしてそれがピカピカじゃなくなった時、子供たちの集中力は途切れがちになり、破壊行為に及ぶこともある。そしてどうなる?勉強は進まない。
とても安い給料で働いている先生たちが、どれだけ多くの犠牲を払っているかに私たちが気付いていない。それに私はうんざりしている。だからこう言いたい。学用品は安い時に買いだめしよう。ティッシュも安売りしている時に余分に買っておこう。そうやって、将来の私たちのために重要な決断をする子供たちを、素晴らしい人間に育ててくれている先生に、感謝を表そう。
ハフポストUS版に掲載された記事を翻訳しました。
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