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2018年11月08日 12時14分 JST | 更新 2018年11月09日 15時11分 JST

日本とパキスタンのハーフ。避けていたルーツが今では誇りに。

今では、自分を何人と呼ぼうと構わないと思っています。僕は僕。それで良いんだと思います。

HuffPost Japan
自分のルーツを誇りと思えるようになった経緯を話してくれました

 

現在、大学院で日本におけるムスリム(イスラム教徒)第二世代の葛藤とその解消をテーマに研究をしているクレシ愛民(あみん)さん。日本とパキスタンのハーフとして生まれ、名古屋、モーリシャス、南アフリカ、イギリス、パキスタンという、文化も言語も異なる地域で自身の"アイデンティティ"を模索してきました。人種の悩み、宗教の悩み、言語の悩み、ステレオタイプの悩み。葛藤を繰り返した末に辿り着いたアイデンティティは、自らのルーツに誇りを持つ「日本人ムスリム」でした。

 

——愛民さん、よろしくお願いします。まずは、名古屋で暮らしていた幼少期の経験から教えてください。このころからアイデンティティの葛藤があったのですか?

 「はじめはインターナショナルスクールに通っていたのですが、葛藤の記憶は特にありません。日本語の授業だけが苦手だったことがあまりに悔しく、途中で公立の小学校に転校することにしました。環境は変わりましたが、ありがたいことに両親や学校の教職員の方々など、多くの方がとても配慮をしてくれました。ただ、僕の苗字がカタカナであることや、宗教上の理由で給食の豚肉を食べないことなど、自分が"みんなと違う"ことを初めて意識するようになり、時に恥ずかしく感じることもありました。中学1年生の終わり頃、弟と二人でモーリシャスに留学することになりました」

  

——"みんなと違う"ことを意識するようになったのが小学生の頃なんですね。モーリシャスではどんな体験を?

「道端に生えるグアバを採って食べたり、グアバ畑に連れて行ってもらったりと、楽しい思い出がたくさんあります。父の知り合いが経営していたイスラム学校に通いました。カリキュラムは英語でしたが、輪の中に入っていくには、僕が慣れていないクレオール語が必要な時もありました。コーランの授業では、周りの生徒に追いつくのに少し苦労もしました。休暇中、南アフリカを訪問しました。ところが、その後モーリシャスに戻ろうとしたとき、モーリシャスの空港から南アフリカに強制送還されてしまったんです。急遽、ありがたいことに遠い知り合いだという人が受け入れてくれ、南アフリカでさらに2ヶ月ほど過ごすことになりました」

  

HuffPost Japan
子ども時代のお話をする愛民さん

  

——それは大変でしたね。その後日本に帰国できたのですか?

 「日本に帰りたい気持ちはとても強かったです。でも、帰国後の学校の事情などもあり、今度はロンドンに行くことにしました。まずは編入試験に備えて英語の上達のため、ホームステイ先の近くの学校に。ここは、ギャングや喧嘩などの多い、映画のような世界でした(笑)。弟は一足先に帰国することになったのですが、僕はステイ先の家族だけでなく、モスクの大人たちも本当によく面倒を見てくれました。夜に家を抜け出してでも、モスクに通いつめるようになっていたほどです。途中からイスラム学校に通い、憧れるような先輩との出会いや、非常に良くしてくれる人たちに恵まれましたし、ムスリムとしての生活には何の違和感も感じることはありませんでした。そして、中学3年生の終わりに、ようやく日本に帰国できました」

 

——念願の日本での生活。自身のアイデンティティに変化はありましたか?

「名古屋で通うことになったのは帰国生が多い学校で、素敵な友人や先生と出会うことができました。アイデンティティについて毎日そこまで考えていたわけではありませんが、いつの間にか、パキスタンやイスラムのルーツを全く誇らしく思わないようにはなっていましたね。それから大学2年のころまで、何となく、隠すべきルーツなんだとも思い込んでいたかもしれません」

 

——大学に入ってから、アイデンティティとの向き合い方はどのように変化したのですか? 

「進学した早稲田の国際教養学部には多様なルーツを持つ人たちが多くいました。ここで、イスラムに関連する授業で、教授やクラスメイトがパキスタンやイスラムについて興味をもって様々な質問をしてくれたことがとても新鮮で、自分のルーツが"強み"としても生きるんだと驚いたことをよく覚えています」

 

——周りに肯定されたり求められたりすることが、自分のルーツに誇りを持てるようになったきっかけだったんですね。 

「はい。また、初めて、同じパキスタンとのハーフで、ムスリムである友人ができたんです。彼が体現するイスラムはとても自然でかっこよく、出会ってすぐ、僕がこの数年間イスラムに対して偏見を抱いていたと気づいたんです。パキスタンやイスラムについて、自分のもう半分についてもっと知りたいという想いが芽生え、1年間のパキスタン留学を決めました」

  

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礼拝中の様子です。

  

——パキスタンでの留学中はどのような経験をしましたか?

「留学を通して、僕はパキスタンをもう一つの自分の国と思えるようになって帰ってくるつもりでした。でも、結果はその逆です(笑)。もちろん、パキスタンの大学で文化や歴史、宗教などを学び、有意義な時間を過ごしました。おもてなしの精神などパキスタンの魅力も知り、経験することができました。言語面でのトラブルや文化の違いから、『自分はやっぱり日本人だな』と感じることも多くありました。僕にとっては、日本の礼節や文化、生活様式が心地良いですし、どこよりも日本が自分の国です」

 

 

——日本では人種や宗教が異なると、壁を感じてしまう人も少なくないと思います。本人が"日本人"だと感じていても、周りはそう受け入れないという話もあります。そのような経験はありますか。

「日本にいると"日本人"と思われないことはあります。パキスタンでも"パキスタン人"とは思われませんし、どこにも"ホーム"がないと悩むこともありました。でも、今では、自分を何人と呼ぼうと構わないと思っています。僕は僕。それで良いんだと思います。"違い"は自分らしさであり、周囲からその"違い"を否定されても、他人の"日本人像"に無理に合わせる必要はありません」

 

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礼拝中の様子です。

 

——周囲から求められる"日本人像"に無理に合わせることは必要ない、その通りですね。

 「僕は、一つ以上の国の文化や伝統を同時に尊重し、誇りに思うことが可能だと信じています。海外では日本人としての自信と誇りを持って日本の美しさを自慢しますし、日本ではイスラムの美しさを語ります。少なくとも自分の中では、"日本人"も"ムスリム"も、両方が共存していますし、どちらかを消す必要もないと思っています。これに対して不快感を覚える方もいれば、『受け入れて欲しい』と憤りを感じる当事者もいるでしょう。出来ればお互い、感情に身を任せて盲目的に攻撃し合うのではなく、なぜそう思うのか、なぜそう思われてしまうのか、原因をきちんと探ることが大切だと思います。互いに非があればそれを認め、正していくことが望ましい社会を作るのではないでしょうか。理想論かもしれませんが、自分自身も正すべき認識があれば正したいですし、そうした動きの一部になっていきたいです」

——たくさん悩んで、葛藤を乗り越えてきたからこそ、今の誇りに繋がってるんですね。今は日本におけるムスリム第二世代の研究に取り組まれていますが、これを通して成し遂げたいことはどんなことですか?

「ムスリム第二世代といっても非常に多様で、実際、皆が葛藤を経験するわけではないでしょう。でも、中には家庭環境や学校での友人関係、アイデンティなどに悩む子や、昔の自分のように実はかなり偏ったイスラムやムスリムの在り方しか知らない子もいます。今は、アンケートやインタビューを通して、彼らに何が課題なのか、本音を聞かせもらっているところです。研究が少しでもそういった人たちの役に立てば嬉しいです」

HuffPost Japan
東京にあるモスク「東京ジャーミイ」の中。定期的に訪れるそうです。

——アイデンティティやルーツの悩み、自分の認識と周りの認識の狭間で悩んでいる人にとって、とても共感できるお話だったとだと思います。日本の社会や個人がどのように多様なルーツを持つ人と接し、彼らの葛藤を乗り越えるサポートができるのかを考えるためにも、とても参考になるお話でした。ありがとうございました。

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SHIORI CLARK

様々なルーツやバックグラウンドの交差点に立つ人たちは、自分を取り巻く地域の風景や社会のありようを、どう感じているのでしょうか。当事者本人が綴った思いを、紹介していきます。
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