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2018年07月13日 18時54分 JST | 更新 2018年07月13日 18時54分 JST

日本が大好き。だから、日本にも居場所があればいいな。

私の両親は日本人ですが、父親の仕事の関係で、私は6カ国で育ちました。

Culmony

「私は日本が大好きなんです。祖国を大切にしたいし、この国の良いところをもっと発信したい。海外の人に、日本の魅力をもっと知ってもらいたいと思っています」

想いの込もった明るい声で語るのは、早稲田大学を卒業し、入社1年目の長吉絢香さん。6カ国で育ったという彼女が抱く日本人としての想いと、帰国子女として日本で生きることの葛藤を話してくれました。  

——本日は、よろしくお願いします!早速ですが、まずは経歴を教えてください。

「はい。私の両親は日本人ですが、父親の仕事の関係で、私は6カ国で育ちました。23年前、メキシコのメキシコシティーで生まれ、3歳でジャマイカへ。現地の幼稚園に3年間通いました。6歳で帰国し、千葉県で4年間暮らしました。小学校でも友達がたくさんできて、楽しい時期だったのを覚えています。その後、ニューヨークで3年間、サウジアラビアで2年半、スリランカで3年間学校に通い、高校を卒業してから日本の大学に通うために東京に来ました」  

Ayaka Nagayoshi

(ジャマイカに住んでいた頃、近所のお姉さんと)

——日本以外で過ごした期間の方が長いんですね。海外の大学ではなく、なぜ日本の大学を選んだのですか?

「私は、日本という祖国をとても大切に思っています。"日本人である"というアイデンティティが強いんです。海外に住んでいると、いろんな人に日本の歴史や文化について質問されるんですね。でも、当時の私は日本への知識もなく、彼らの質問に答えられないことがたくさんあったのが、とても悔しかったんです。自分のルーツのある国のことをもっと知りたいと思い、日本の大学を選びました」  

——日本に住んだ期間が短いのに、「日本人」としてのアイデンティティは強いんですね。

「日本人を代表する機会が多かったからだと思います。私が自分自身を「日本人」として意識し始めたのは、サウジアラビアに住んでいた時なんです。その頃は私が学年で唯一の日本人でした。インターナショナルスクールには様々な国にルーツがある人たちがクラスにいたので、それぞれが自分の国や文化を紹介する機会がたくさんあったんです。そこで私が日本を代表して話をするうちに、日本人というアイデンティティが強まったのだと思います。その直前に住んでいたニューヨークでは、日本人も多かったので、わざわざ私が日本を代表するようなことはなかったんですよね」  

——そうなんですね。6カ国、それぞれ全く言語も文化も異なる国ですが、どこが一番居心地よく感じられる場所でしたか。

「私にとって、高校時代を過ごしたスリランカが一番居心地のいい場所でした。寛容で、違いを受け入れてくれる人たちに恵まれたんです。スリランカの人はとても暖かく、それまで住んでいた都市で感じていた"疎外感"のようなものがなかったんですね。例えば、ニューヨークでは"日本人"というステレオタイプを押し付けられることもありました。"日本人は絵が上手"、"日本人は数学が得意"、"日本人はピアノができる"ーー私がその期待に応えることができず、また、日本独特の文化を押し付けられてる気持ちになりました」  

——実際の大学生になってから日本に住んでみて、どんな印象を受けましたか?

「ようやく自分のルーツのある国に戻れたことは、とても嬉しく思っています。ただ、私が期待していた"日本人"として日本で生活をする"ことは未だにできていません。"帰国子女"という肩書きを周りから意識されることは多く、周りから"日本人"として扱ってもらえないこともあるんです。"近寄りがたい"、"気取ってる"というステレオタイプを押し付けられたり、逆に『海外生活が長かったのに日本語上手ですね』とも褒められることもあります。『帰国子女は英語もできるし、日本人より有利だからずるいよね』と言われたりすることもありました。自分で努力した結果なんですけどね。どこか距離を置かれるような雰囲気はあります。社会で"日本人"として受け入れてもらうって難しいんですね。あらゆる要素を完璧に備えていないといけないんだなと痛感しました」  

Culmony
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(日本で経験した壁に戸惑いを覚えた絢香さん)

——なるほど。他の国と比べて、日本の多様性への寛容性については、どのように感じていますか?

「残念ですが、日本はマイノリティに対して排他的だと思います。帰国子女だけでなく、周りの留学生やハーフ、LGBTや障害者の友人から、差別を受けたという話も聞きます。多様性への寛容性は非常に低いと感じざるを得ないのですが、意図的な差別をしようという人は多くないのかもしれません。もっと"知識"があれば、変われるのかなと思います。世界にある多様性や違いへの"知識"や、海外にはない日本の文化や魅力への"知識"。あと、特に若い人は祖国心が薄く、日本という国や文化に対するリスペクトを持っていない傾向にあるような気がするんです。だから、他の国や文化へのリスペクトも低いのかもしれないと感じています。」

——もっと興味を持ってコミュニケーションをお互い取れるといいのかもしれませんね。

「まさに、そうなんです。"ふーん、帰国生なんだ"と距離を置くのではなくて、"サウジアラビアってどんな国?""ジャマイカでは何を食べてたの?"、などと経験を聞いてもらえると会話が弾むと思うんです。でも、脳内を様々なステレオタイプが先に埋めつくしてしまって、その固定観念を変える質問までたどり着かない。"違い"や"知らないもの"との相互理解って、興味を持つところから始まると思うんです」

——日系の組織を就職先に選んだのは、それでも日本に住み続けたいと感じたからですか?

「私は、"海外で日本を代表する"仕事がしたいと思っています。それは、日本の魅力や強み、面白いところを、世界の人たちにもっと知ってほしいという想いがあるのと、相互理解の促進に貢献できたらいいなと思っているからです。なので、日本にベースを置きながら、日本と海外を繋げる架け橋になれる組織を就職先に選びました。帰国子女として日系に絞って就職活動を行ったのも、日本に住み続ける選択をしたことにも、周りからは『意外だね』と言われたり。自分にもこの変化に驚きを隠せないのが正直な気持ちです。でも、やっぱり日本のためになる仕事がしたいという気持ちは強くあります」

Culmony
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(しばらくは日本で働いて経験を積みたい、と話す絢香さん)

——絢香さんは、日本を含む様々な国で育ちました。もしも、将来子どもを育てるとしたら、どこの国が理想ですか?

「『違い』に寛容な国ですね。その子がどんなルーツや特性を持っていても、社会がその子を認めて受け入れてくれる国で育てたいです。それは、私が様々な国を経験して、「個」を否定することのない多様性に寛容な国の方が、人生が豊かになり、幸せな時間を過ごせたからです。日本には魅力はたくさんありますし、大好きな国なので、もっと帰国子女を含む多種多様な人々を受け入れられる寛容な国になることを願っています」  

——絢香さんにとって日本は大好きな国だけれども、日本人として日本で受け入れられることがないというのは、なんか悔しいですね。次の世代の帰国子女が、私たちと同じような悩みを抱えなくて済む社会になることを、私も願っています。本日は本当にありがとうございました。

帰り際、絢香さんは振り返って、もう一度言った。

「周りがどう言おうと、私は私であり、日本が好きな日本人。それは私のアイデンティティですし、周りがなんと言おうと、日本人であることに誇りを持っています!」

 

笑顔で力強く話す絢香さんをみて、日本と海外の架け橋になった彼女は、きっと多くの外国人に日本の魅力を伝え、世界での日本のブランディングに貢献するんだな、とそんな気がしました。