バイオセーフティー管理の危うい現状

「安全文化(culture of safety)」という言葉はバイオセーフティーだけに用いられる「村言葉」ではない。

米国疾病対策センターで、炭疽菌と高病原性インフルエンザウイルスが 関係する事故が続けざまに起こった。それを受けて、バイオ実験施設により強力な「安全文化」を求める声が上がっている。

米国のバイオテロ監視機関であるCDCで、「不活化」されていて増殖しないはずの炭疽菌(Bacillus anthracis;炭疽症の病原細菌)試料が増殖しているのが発見された。

TODD PARKER/CDC

米国疾病対策センター(CDC;ジョージア州アトランタ)で、致死的な病原体の関係する事故が2度にわたって起こった。この事故によって、バイオセーフティー管理の大規模かつ広範な再検討の必要性が明らかになった、と専門家らは指摘する。

CDCの報告によれば、致死的なH5N1型インフルエンザウイルスと炭疽菌がそれぞれ関係する2件の事故が、2014年の3月と6月に起こった。3月の事故では、別の研究室へ送った毒性の低いインフルエンザウイルス試料に、致死的なH5N1型鳥インフルエンザウイルスを誤って混入させてしまっていた。6月の事故では、不活化が不十分だった可能性のある炭疽菌が、手違いによって、封じ込め実験室であるバイオセーフティー・レベル3(BSL-3)の研究室からそれよりレベルの低いBSL-2の研究室へと送られた。それを受け取った研究室には、生きた炭疽菌を扱えるような設備はなかった。

これらの事件から、たとえ高度に安全な施設があっても、バイオセーフティーを確保しようとする強い「文化」がなければ手違いが起こりやすくなり、研究者や一般市民を危険にさらす可能性があることがはっきり示されたとバイオセーフティーの専門家らは述べている。

バイオセーフティー政策に助言する非営利団体「International Council for the Life Sciences」(米国バージニア州マクレーン)の常任理事を務めるTim Trevanは、これまでのバイオセーフティーの内容のほとんどは、物理的な生物学的封じ込めと、安全規則や広く認められた標準的な操作手順の順守に関するものだったと話す。しかし、研究機関はより強固な安全性の精神を育てることに注力する必要があり、「今回の事件を契機に、CDCだけでなく、高度の生物学的封じ込め実験室のある研究所全てにおいて、安全文化の大変革が起こってほしいと思います」と彼は言う。

CDCで発生した2件の事故はメディアや行政に騒乱を引き起こし、その結果、CDCや米国の他の研究機関に対して安全策の改善を促す大きな圧力がかかった。7月16日、CDC所長のThomas Friedenは、下院の委員会で問題の炭疽菌誤送事件について証言するために召喚された。「こうした最高レベルの研究所で今回のような事故が起こったことは憂慮すべきであり、CDC全体で安全文化をチェックする必要があると考えています。我々が直面しているのは、米国中ひいては世界中の研究所に関わる問題なのです」と彼は公聴会に先立って述べた。

7月下旬、CDCは安全対策を見直すための第三者委員会を設立すると発表し、この委員会が8月に1回目の会合を開き、安全文化など複数の議題について話し合う予定であると述べた。

「安全文化(culture of safety)」という言葉はバイオセーフティーだけに用いられる「村言葉」ではない。組織業務の安全性を確保するための管理体制は、例えば航空業界や原子力業界ではかなりよく確立されているとTrevanは言う。そうした安全文化を育て上げるには、リスクへの体系的な取り組みや、業務運営の恒常的な監視および改善に重点を置いた訓練や研修が求められる。

しかし、現実に研究者や監視機関がやっているのは、ほとんどの場合、チェックリストの□に印を付けるだけの「チェックボックス文化」だとTrevanは指摘する。

このチェックボックス文化は、「実験計画の当事者でもないかぎり、その計画が正しく稼働するかどうかは気にかけない」という管理者的な考え方に行き着く可能性があると、B-BIS社(Behavioral-Based Improvement Solutions;米国ジョージア州ウッドストック)の社長Sean Kaufmanは話す。同社は、生物学的封じ込めレベルの実験施設で働くスタッフの研修を行っている。Kaufmanによれば、多くの場合、研究機関は慣習の改善にはリソースの投資を惜しむ傾向があるという。

「普通、研究機関の首脳部はバイオセーフティーに対して限られた投資しか行おうとしません。機関をトラブルなくコンプライアンスに沿って維持するのに必要な最低限の投資で済ませようとします」。

この10年でバイオセーフティーを専門とする研究者の数が増え、それに伴ってバイオ研究の安全文化への関心も高まってきた。2008年に欧州標準化委員会(CEN;ベルギー・ブリュッセル)は、危険な病原体を扱う施設の組織的安全管理の枠組みとして「CEN Workshop Agreement(CWA)15793」を導入した。CENが自主作成したこの枠組みは、国際的に初めて認知されたものであり、現在、国際標準化機構(ISO)の規格の1つとなるべく改良を加えているところで、ISOが採用すれば世界全体の認知が得られるだろう。

世界保健機関(WHO)は研究機関がCWA 15793を採用することを推奨していると、WHOでバイオセーフティーおよび実験室バイオセキュリティーの担当責任者を務めた経験のあるNicoletta Previsaniは話す。現在、WHOポリオ撲滅プログラムでウイルス封じ込めの責任者となっているPrevisaniは、「CWA 15793の本領は考え方の大幅なシフトにあります。ただし、これを実践するにはかなりの投資が必要になります」と付け加えた。

WHOは、現存する最後の天然痘ウイルスを保管する2つの研究所(米国アトランタにあるCDCの研究所とロシアのノボシビルスクにある研究所)を監督するための基準として、CWA 15793を採用した。WHOはさらに、インフルエンザウイルスに何らかの機能を獲得させる研究を行っている研究施設に対して、CWA準拠かそれと同等の基準に従うよう勧告した。こうした研究はウイルスの感染力や病原性を高め、宿主の範囲を広げる危険なものだからだ。

しかし、これまでのところCWA 15793の浸透度は限られている。例えば、CDCでもCWA 15793を完全には実践していない。また、欧州バイオセーフティー学会(EBSA)の会員118人を対象とした2013年の調査では、そのうち4分の3がバイオセーフティーの専門家だったにもかかわらず、所属する研究機関でCWA 15793を採用していると答えたのはわずか33%で、15%はCWA 15793という名称すら知らなかった。CWA 15793を実践しない理由としては、「割けるリソースがない」「そこまでやる必要はない」「国が定めた同様の基準が利用できる」などが挙げられた。

しかし現在では多くの研究機関がCWA 15793を採用しつつあり、公的認証のための時間や費用をかけずにバイオセーフティー管理を向上させていると、英国のバイオセーフティー・コンサルタントでCWA 15793開発グループの副委員長だったGary Burnsは話す。もし、CWA 15793がISOの規格として採用されれば、公式・非公式を問わずより広く使われるようになるだろうと彼は期待している。

ただし、こうした安全管理基準は「特効薬」ではないと、国際バイオセーフティー学会連盟(IFBA;カナダ・オタワ)の事務局長Maureen Ellisは言う。その理由は、基準が有効に機能するためにはスタッフ全員がそれを受け入れる必要があるからだ。研究者らは多くがバイオセーフティーを余計な負担だと感じており、「規則にあるからそうするだけ」程度の意識しか持っていないのだと彼女は説明する。

IFBAは、研究機関のバイオセーフティー文化を向上させるための資金提供を呼びかけているが、資金提供組織の関心は薄い。その一因は、結果を具体的に数値化するのが難しいことにあるとEllisは言う。「病気の診断や研究のためなら金を出すが、優先順位の低いバイオセーフティーに出せる金はない、というのが現在の趨勢なのです」と彼女は話す。

Nature ダイジェスト Vol. 11 No. 10 | doi : 10.1038/ndigest.2014.141008

原文: Nature (2014-07-31) | doi: 10.1038/511515a | Biosafety controls come under fire

Declan Butler

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