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2015年10月28日 15時54分 JST | 更新 2016年10月26日 18時12分 JST

塩素年代記

17番元素塩素(Cl)は良くも悪くも日常生活に深く浸透している。身の回りのClから環境問題を引き起こすClまで、Clのさまざまな側面についてカリフォルニア大学のBarbara Finlayson-Pittsが解説する。

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Barbara J. Finlayson-Pitts

塩素(Cl)は、天然環境、人工環境にかかわらず至る所に存在している。地殻や海水中に豊富に存在する他、例えば胃液中の塩酸など、人間の体内にも広く存在する。また、洗剤や殺虫剤にも塩素化合物が主成分として使用されている。

分子状塩素(Cl2)が初めて観察されたのは、1774年にScheeleが二酸化マンガンと塩酸を反応させて黄緑色の気体を発生させたときのことだった(参考文献1)。このとき、その気体に殺虫力や漂白力があることが確認されたが、当時はまだそれが元素単体とは認識されておらず、酸素と塩酸の化合物と考えられていた。その後1810年になってようやく、この気体が実は化合物ではなく元の物質から分離した元素単体であることがDavyによって主張され、この元素は翌年、黄緑色を意味するギリシャ語chlorosから「chlorine(塩素)」と命名された(参考文献2)。

Cl2ガスは当初、漂白剤として利用されていたが、実用的でなかったことから、この用途には間もなく次亜塩素酸塩溶液が使われるようになった。次亜塩素酸塩溶液は現在でも、紙・パルプの漂白や飲料水やプールの水の消毒に使われている。また、塩素化合物は他にも、溶剤やプラスチック(ポリ塩化ビニルなど)から医薬品に至るまで、さまざまな製品に広く利用されている。

ところが残念なことに、有害な塩素化合物も登場してしまう。Cl2ガスやホスゲン(COCl2)、マスタードガス((ClCH2CH2)2S)が破壊的・撹乱的な化学兵器として使用されたのだ。別の有害な塩素化合物の例としては、殺虫剤DDT(ジクロロ・ジフェニル・トリクロロエタン)があり、その影響については、Rachel Carsonが著書『沈黙の春(Silent Spring - 参考文献3)』で取り上げている。

17番元素Clはまた、クロロフルオロカーボン(CFC)すなわちフロンの形で、大気環境に多大な影響を与えている。CFCは1930年代に開発され、冷媒やエアゾル噴射剤、発泡剤として普及した。CFCは対流圏(高度約15 kmまでの下層大気)では無毒で反応性がなく、当初はそうした特性が好都合に思われたのだが、1974年、MolinaとRowlandはCFCが地球的規模で実際に重大な影響を及ぼすことを発見した(参考文献4)。この発見により彼らは1995年にノーベル化学賞を受賞(Crutzenと共同受賞)している。

CFCは下層大気に大きな吸収源がないため、上層大気へと輸送されるが、そこで波長240 nm未満の光が当たるとCFCが光分解してCl原子が発生する。そしてこのCl原子がオゾン(O3)の連鎖的破壊に関与するのだ。成層圏(高度約15~50 km)では、オゾンは太陽から放射される紫外光をブロックする働きをしている。オゾン濃度は通常安定しているが、CFCに起因するオゾン分解によってそれが減少すると、地表に届く紫外光が増加することになる。こうしたオゾン分解の影響が最も顕著に現れているのが、極域の春の南極オゾンホールの拡大であり、高度によってはオゾンがほぼ完全に破壊されている場合もある(参考文献5)。加えて、CFCは非常に強力な温室効果ガスでもある(参考文献5)。

別の興味深い例として、Clが対流圏の化学過程にも影響を及ぼすことが、数十年前から明らかになってきた(参考文献6)。波の作用によって、マイクロメートル未満の大きさの空中に塩粒子(海水由来のNaClが主成分)が発生する他、アルカリ性の乾燥湖から生じる塵にもClが含まれている。こうした粒子の表面の塩化物イオンが、HNO3、NO2、N2O5、OHラジカルなどの微量大気ガスと反応すると、HCl、ClNO、ClNO2、Cl2、HOClなどの塩化物が生成するのだ(参考文献6)。

意外なことに、最近の測定では内陸部でも広い範囲でClNO2が観測されていることから、対流圏での塩素化学反応はこうした内陸部でも起こっていると考えられる。ClNO2の発生源は不明だが、ハロゲン化合物と表面に結合した窒素酸化物(NOy)との不均一反応が関与している可能性がある。これらの塩化物のほとんどは急速にCl原子へと変換されるが、Cl原子は人工や天然の有機化合物と非常に反応しやすい傾向にあり、通常こうした反応によって有害な対流圏オゾンの生成が促進される。成層圏オゾンとは異なり、対流圏オゾンは有害な大気汚染物質で、高い温室効果能を持つのだ(参考文献5)。対流圏オゾンの生成はまさに、人為放出と自然放出の相乗作用(参考文献7)の典型的な例であり、その潜在的重要性は徐々に認識されつつある。

大気中で起きているこうした現象は、非常に複雑で研究が難しい。しかしながら、大気反応過程を定量的に予測するために、ひいては望ましくない影響を軽減・克服するためには、これらの現象を化学的に解明することが極めて重要だ。

良くも悪くも、我々は日常生活でClを避けることができない。問題は、いかにして良い影響を最大限に活用し、悪い影響を最小限に抑えていくか、なのである。

Nature Chemistry5, 724 (2013年8月号) | doi:10.1038/nchem.1717

原文: Chlorine chronicles

doi:10.1038/nchem.1717

著者: Barbara J. Finlayson-Pitts

参考文献:

  1. The Early History of Chlorine (The Alembic Club, 1905).
  2. Davy, H. The Elementary Nature of Chlorine. Papers by Humphry Davy Reprint 9 (The Alembic Club, 1902).
  3. Carson, R. Silent Spring (Houghton Mifflin, 1962).
  4. Molina, M. J. & Rowland, F. S. Nature29, 810-812 (1974).
  5. Finlayson-Pitts, B. J. & Pitts, J. N. Jr Chemistry of the Upper and Lower Atmosphere - Theory, Experiments, and Applications (Academic Press, 2000).
  6. Finlayson-Pitts, B. J. Anal. Chem. 82, 770-776 (2010).
  7. Finlayson-Pitts, B. J. Daedalus137, 135-138 (2008).

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