クロムが織りなす豊かな色彩

緑色の結晶を水に溶かして、翌日見てみると水溶液が紫色に変わっていて驚いた。「どうしてこんなことが?」と不思議に思ったのを覚えている。

クロム(Cr)にまつわる華やかな歴史と鮮やかな色彩について、チャルマース工科大学(スウェーデン)のAnders Lennartsonが、ルビーからロールス・ロイスまで、さまざまな例を挙げて説明する。

少年時代、私は実家の地下に仮設実験室を設けて化学研究にいそしんでいた。

研究を始めた頃、塩化クロム(III)六水和物(CrCl∙6HO)という緑色の結晶を手に入れた。これを水に溶かすと同じく緑色の水溶液になったのだが、翌日実験室に戻ると、水溶液が紫色に変わっていて驚いた。

「どうしてこんなことが?」と不思議に思ったのを覚えている。

Cr(III)錯体の重要な特性は、配位子の交換速度が遅いことだ。CrCl∙6HOの緑色結晶は、 [CrCl(HO)]∙Cl(HO)で表される構造を持ち、水に溶かすと水分子とゆっくり反応して、紫色を呈する錯イオン[Cr(HO)]と遊離Clを生成する。

これが、溶液の色が時間をかけて緑色から紫色へと変化した理由だ。

もしも水に溶かしたのが硫酸クロム(III)(Cr(SO))の結晶だったなら、逆の色変化が観察できていただろう。 Cr(SO)の結晶は、[Cr(HO)]の硫酸塩水和物の形で存在し、これを水に溶かして加熱すると、紫色から緑色へと変化する。

これは、配位水の解離速度とSOの配位速度が遅いことに起因する。Cr(III)のこうした性質によって、多種多様なCr(III)配位化合物の単離が可能となる。これが、Alfred Wernerをはじめとする初期の配位化学者たちの間で、Coと共にCrが大いにもてはやされた理由なのだ。

一方、Cr(II)錯体はCr(III)とは異なり、配位子交換速度が速い。青色のCrCl溶液に酢酸塩を加えると、2つのCr原子間に四重結合を持つ赤色のCr(OAc)(A = CHCOO)が沈殿する。

Crには、+IV以上の酸化状態のものも存在する。

黒色の酸化クロム(IV)(CrO)は、強磁性を示すことから、古き良き時代の磁気テープに広く用いられていた。赤色のフッ化クロム(V)(CrF)は、不安定な揮発性固体である。また、「クロムグリーン」の名で知られる緑色顔料の主成分である酸化クロム(III)(CrO)は、炭酸カリウム(KCO)および硝酸カリウム(KNO)と共に加熱すると徐々に黄色へと変化するが、この色変化はクロム(VI)酸カリウムKCrOの形成に起因する。

Cr(VI)化合物には他に、鮮やかな橙赤色の二クロム酸カリウムKCrOや、赤色の三クロム酸カリウムKCrO、同じく赤色の酸化クロム(VI) CrOがある。

CrOは酸性酸化物で、水に溶かすとクロム酸(HCrO)および二クロム酸(HCrO)を生じ、これに希硫酸(HSO)を加えると、アルコールをケトンやカルボン酸に変換する反応である「ジョーンズ酸化」に使われる「ジョーンズ試薬」となる。

KCrOもまた強力な酸化剤で、上記と同じ反応に使用可能だ。この化合物を使う利点は、合成に失敗しても、ガラス器具をKCrOの硫酸溶液で洗浄すれば、汚れを酸化してきれいに落とすことができることである。

Cr(VI)化合物が有毒な発がん性物質であることは、今は誰もが知るところだろう。しかし、その危険性が認識される前は、PbCrOやPbOCrOなどのクロム酸鉛がそれぞれ「クロムイエロー」や「クロムレッド」という名の顔料として広く用いられていた。

古代から人々に愛されている宝石の数々も、その美しい色はCrに起因するところが大きい。例えば、ルビーやピンクサファイアは酸化アルミニウム(AlO)の結晶からなる鉱物、鋼玉(コランダム)で、この結晶は純粋なら無色透明だが、不純物として微量のCrを含むことで鮮やかな赤色やピンク色を呈する。また、エメラルドは緑柱石(BeAl(SiO))の一種で、その緑色も微量のCrが存在することによる。

そう考えると、1797年にCrを発見したLouis Nicholas Vauquelinが、「色」を意味するギリシャ語の「chroma」にちなんで名付けた「クロム(chromium)」という名前は、まさにうってつけと言えよう。ところが、金属としてのCrは、すぐに商業的成功に結び付いたわけではなかった。

実際、発見から15年後に出版されたHumphrey Davy卿の有名な化学の教科書『Elements of Chemical Philosophy』でも、Crについての記述はさして多くなく、「クロム酸には酸味がある」と書かれていたことが印象的なくらいだ(参考文献1)。どうやら当時は、化学物質の味見をするのが慣習だったらしい。というのも、まさに同じ年、Jöns Jacob Berzeliusが自身の著書に「有毒であるクロム酸の後味はえぐ味と金属味」と書いていたからだ(参考文献2)。

Berzeliusの教科書にはまた、金属Crは脆いが酸や空気中での酸化に対して非常に強い、と記されていた。Crが酸や酸化に強い理由は、空気に触れると金属表面に非常に薄くて密な酸化物膜ができるからであることが、今では分かっている。

1820年代、鋼にCrを添加すると錆びにくくなることが明らかになった。しかし残念なことに、当時入手可能だったCrは炭素(C)含有量が多かったため、Crを添加しても過剰なCのせいで合金鋼は脆くなってしまい、実用には向かなかった。

ところが、1890年代にCを含まないCrの生産方法が開発されると状況は一変し、間もなく、主にCrを18%、ニッケル(Ni)を8%含むステンレス鋼が広く用いられるようになった。こうしたステンレス鋼は今でも、Crの主用途の1つになっている。

さらに、1920年代には鋼の表面に光沢のあるCr薄層を形成する「電気めっき法」が開発され、自動車業界に大きな喜びをもたらした。もしもCrめっきがなかったら、1930年代の高級乗用車ロールス・ロイス・ファントムIIはどうなっていただろうか。

doi:10.1038/nchem.2068

著者: ANDERS LENNARTSON

参考文献:
  1. Davy, H. Elements of Chemical Philosophy Part 1 Vol 1, 463 (J. Johnson, 1812).
  2. Berzelius, J. J. Lärbok i Kemien Part 289 (Henr. A. Nordström, 1812).

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Nature Chemistry5, 76(2013年1月号) | doi:10.1038/nchem.1535

Nature Chemistry5, 146(2013年2月号) | doi:10.1038/nchem.1551

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