エルビウムを解きほぐす

物語は1787年、この町の採石場で、Carl Arrheniusというスウェーデンの陸軍中尉が奇妙な黒い石を採取したことに始まる。

68番元素エルビウム(Er)は、同じ希土類元素のイットリウム(Y)やイッテルビウム(Yb)、テルビウム(Tb)との結び付きが非常に強く、単離が困難であった。ジュネーブ大学のClaude Piguetがエルビウムの歴史を振り返る。

Credit: SAMANTHA CRADDOCK / ALAMY

エルビウム(Er)の発見は、単独の「華々しい発見」というより、むしろ他の多くの新元素の発見と密接に絡み合った、大きな流れの一部としてもたらされた。それはまさに、スウェーデンの首都ストックホルムから10マイルほど離れた小さな鉱山町、イッテルビーの住民の想像を超えるほど大規模なものだった。

物語は1787年、この町の採石場で、Carl Arrheniusというスウェーデンの陸軍中尉が奇妙な黒い石を採取したことに始まる。

この石は、化学分析によって新しい土類(現代の用語では金属酸化物だが、当時は元素と考えられていた)を含んでいることが明らかになり、後に町の名前にちなんで「イットリア」と名付けられた。

そのころフランスでは、酸化反応および質量保存の法則の発見で知られるAntoine Lavoisierが、「フランス共和国に科学者や化学者は不要」という革命政策によってギロチンの刑に処されてしまう。

彼の功績は、処刑を覆すには不十分だったものの、当時の科学者たちには重く受け止められ、この事件を機に元素の再考が進み、フロギストン説は棄却され、酸化物から金属元素を抽出する研究が行われるようになった。

一方スウェーデンでは、Carl Mosanderが新たに開発された還元方法を応用して、酸化物であるイットリアを金属イットリウム(Y)へと変換していた。そしてこのときになって初めて、単一物質と見なされ「イットリア」と呼ばれていた物質に、イットリア(無色酸化物)の他にも、単離可能な2種類の酸化物が含まれていることが判明する。

彼は、これら2種の酸化物を実際に単離し、黄色っぽい物質を「酸化エルビウム」、薄いアメジスト色の粉末を「酸化テルビウム」と名付けた。

Mosanderはこれら「新元素」の純度に確信を持てずにいたが、指導者に結果の公表を迫られたことで、1843年に「エルビウム」と「テルビウム(Tb)」の発見を発表した(参考文献1)。

その後数十年にわたり、ジュネーブの化学者、地質学者、分光学者からなるドリームチームが系統的に調べた結果、この2つの「新元素」が少なくとも7種類の元素の混合物であることが判明する。ErとTbの他に、イッテルビウム(Yb)、スカンジウム(Sc)、ツリウム(Tm)、ホルミウム(Ho)、ガドリニウム(Gd)が含まれていることが明らかになったのだ。

イッテルビーで発見された鉱石からは、この時点ですでに8つの新元素が抽出され、そのうち4つに町名にちなんだ名前が付けられており、この鉱山町はまさに元素の宝庫であったといえる。さらに、1907年にイッテルビア(酸化イッテルビウム)のサンプルからまた別の元素が抽出されたことによって、これらの元素の分離の難しさが改めて浮き彫りになった。この新元素は、複数の化学者によってほぼ同時に発見され、フランスとドイツとでそれぞれ別の名前が付けられた。

正式名称としてはフランスの「ルテチウム(Lu)」が採用されたが、ドイツ人化学者の中には、いまだにこの元素をドイツ名の「カシオペイウム」と呼ぶ人もいる。

YやTb、Erの存在を示す明白な証拠は、1864年、スイスの化学者Marc Delafontaineによって得られた。ところがここでも思わぬ展開があった。Delafontaineは、これらの元素の存在を光学分光法を使って確認する際、Mosanderが付けた2つの名前を誤って取り違え、アメジスト色の化合物の方を「酸化エルビウム」、淡黄色の物質の方を「酸化テルビウム」と呼んでしまったのである。

この名前の取り違えはその後も修正されることはなく、現在我々がErの三二酸化物(ErO)と認識している物質の色は、黄色ではなく薄いピンク色をしている。

20世紀の変わり目、周期表に原子論が反映されたことでErとその仲間のランタノイド元素群は、最終的に4fブロックに置かれることとなった。その後、Er研究は半世紀にわたって下火になるが、1959年、新興分野フォトニクスとの関連からErへの関心が再燃する。

Erに見られる等間隔のエネルギー準位や長寿命励起状態が、固体中の特定イオンの逐次的励起準位における連続吸収から光子を検出・計数(つまり光子検出器として超励起を利用)する、という理論上の赤外検出器の実験的検証にうってつけであることが判明したのである(参考文献2)。

しかしながら、提唱されたアップコンバージョン経路の検出は、基底状態から逐次的励起状態を経る線形吸収に完全に依存していたものの、Er3+イオンによる光子の直接吸収はなかなか効率が上がらなかった。

転機が訪れたのは1966年、François Auzelが、パートナーイオンによる間接集光後のErアクチベーターへのエネルギー移動が、超励起に非常に有利になることを実証したときであった(参考文献3)。これは、現在歯科治療や皮膚治療に用いられているErレーザーと同様の機構である。

現在、Er含有固体への少量の3価Yb不純物の導入が、近赤外光から緑色光への高効率アップコンバーターの設計に利用されている。こうした技術は、レーザーポインターや太陽電池技術、可視光を発する光ファイバー(図参照)のドーパントとして広く使われている。かつての化学者たちが、Erをはじめとした関連元素の分離・精製に多大な努力と工夫を費やしてきたことを考えると、ErをYbで積極的に「汚染」している事実は、幾分皮肉といえよう。

doi:10.1038/nchem.1908

著者: CLAUDE PIGUET

参考文献:
  1. Szabadvary, F. in Handbook on the Physics and Chemistry of Rare Earths Vol. 11 (eds Gschneidner, K. A. Jr & Eyring, L.) 33-80 (Elsevier, 1988).
  2. Auzel, F. Chem. Rev. 104, 139-173 (2004).
  3. Auzel, F. C. R. Acad. Sci. ParisB262, 1016-1019 (1966).

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Nature Chemistry5, 1066(2013年12月号) | doi:10.1038/nchem.1803

Nature Chemistry6, 82(2014年1月号) | doi:10.1038/nchem.1825

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