内閣府が5年毎に実施している「高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」の平成27年(第8回)の結果が公表された(*1)。
その中身を眺めていたところ、一つのデータに目が止まった。それは、日本の高齢者の"4人に1人は、友人が1人もいない"、という結果である。
「家族以外に相談あるいは世話をし合う親しい友人がいるか」の設問に対して、約4人に1人(25.9%)が「いずれもいない」と答えている(*2)。
調査対象者は60歳以上であり、そのまま60歳以上の人口(*3)にその割合を掛け合わせると実に1087万人の高齢者(ここでは60歳以上)は友人が1人もいないということである。
今回の調査は、日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの4カ国で調査が行われたが、他国との比較からも日本は友人がいない高齢者が多いことが顕著に確認できる(図表1)。この現状を社会としてどのように考えるべきか、見過ごしてよいことなのだろうか。
■当調査結果に対する見方
こうした状況について、友人がいなくても家族がいればよいだろう、個人の価値観の問題であり社会的に課題視する必要はないと考える人も少なくないかもしれない。誰とつきあうか誰ともつきあわないかは本人の自由である。
ただ、配偶者がいてもいずれは独りになる。また、子供がいても子供と同居し直す(または同居し続ける)ことは、転居や住居の問題等から簡単ではないのが実態と思われる。
"遠くの親戚より近くの他人"ということわざもあるように、日々の暮らしや生きがいを家族(親戚)だけに依存せず、友人を持ち続ける、友人と交流し続けることは、高齢期の日々の暮らしを充実させるため、また精神的な健康を保つ上でも必要なことと考える。
誰にも看取られずに最期を迎えてしまう孤立死が年間3万人にも及ぶと推計されている今日(*4)、孤立死を回避する意味でも高齢期における友人の存在は重要だと考える。
また一方で、前記の各国比較の結果について、日本と他国とでは"友人"と捉える境界線が異なるのではないかと考える人もいるかもしれない。
例えば、より親密でなければ友人と呼ばない日本に対して、知り合いレベルでも友人と呼ぶのが他国であるという見方である。しかし、この点については、指摘には及ばないであろう。
設問を見る限り、「相談できる人」あるいは「世話をし合える人」のいずれかの存在を尋ねている。友人と呼ぶかどうかはさておいたとしても、少なくとも「相談できる相手」が一人もいない人が他国よりも多いということは、課題視されることである。
■友人ゼロ高齢者を減らしていくために
では、なぜ友人がいない高齢者が他国に比べて日本は多いのだろうか。誰もが生まれてから友人がいないまま生きてきた人はおそらくいない。学校や職場等を通じて、自然に誰かと友人関係を築いていったはずである。
しかし、年を重ねるなかで特に高齢期を迎えると、その貴重な友人が1人、2人と去っていく。永遠の別れを積み重ねていった結果、気づけば1人もいなくなってしまった、というのが「いずれもいない(友人はいない)」と回答した方々と思われる。
ただ、年を重ねて友人を失っていくことはどの国も基本的には変わらない。それにも関わらず、前述のように実態が異なるということは、何かが違うということである。
その違いは何だろうか。一般的に聞かれるように、特に男性において、高齢期になってから新たな友人を作ろうとする人が日本は少ないということ、また作れる機会が他国よりも日本は少ないということではないだろうか。
日本人は非常に律儀であり、他人に対する配慮や気兼ねの意識が強く、また身内(仲間)かそうでないかで極端に態度が異なる(=ウチ・ソト文化) と言われている。こうした日本人特有の意識(精神性)が、もしかしたら高齢期に新たに友人を作るという行為を抑制してしまっているのかもしれない。
他の理由としては、長年の人生経験から、人間関係の煩わしさばかりが強調される結果、高齢になって新たな友人を作ることを妨げてしまっているといったことも考えられる。
いずれにしても、友人はいないよりもいたほうが良いことは前述のとおりであり、社会としては友人を作れる機会をさらに提供していくことが肝要であろう。
特に高齢者の日常的な行動範囲である「地域(自治体)」にその役割が期待される。高齢者の社会参加を促す取組みは、これまでも各地で百花繚乱のごとく行われてきていることは確認できるが、何かを催しても出てくる人はいつも同じ人で、出てこない人はいつも出てこないのが実態と思われる。
この出てこない人の中に友人ゼロの人が多いと思われる。難しい問題ではあるが、この出てこない人に出てきてもらう新たな取組みを地域が提供できるかどうかが、友人ゼロの高齢者を減らす鍵となろう。
例えば、高齢者向けの「仕事」の場を積極的に創るということも一つの解決策になろう。普段の地域活動には参加しない(興味がない)人でも、経済的なことや健康や生きがいのために軽易な仕事を求める人は少なくない。
仕事の場があれば必然的に仲間ができる可能性が高い。
また、各地で見られる「還暦式」のような催しも、集まって懇親を楽しむだけではなく、参加すれば何らかの特典が得られるようなもう一段の工夫ができないものだろうか(各自治体における行政サービス上での特典等)。人の意識や行動を変えるには何らかの"アメ"が必要である。
さらなる策としては、半ば強制的に社会参加を義務付けるようなことも一案になりえるかもしれない。好き嫌いに関わらず地域社会の活動に参加してもらうことが、住民同士のつながりの強化になり、めぐりめぐって本人のためになるという考えである。
例えば、「セカンド小学校(仮称)」のような形で、一定の年齢になれば一定期間、その地域の学校に通ってもらうことを義務付けるようなことである。
かなり大胆な取組みであり、実現に向けては課題も少なくないと考えるが、仕事の場と同じく、参加しなければならない場があることは、人とのつながりを築くきっかけになることは言うまでもない。
以上のようなことも含めて、高齢になって相談する相手もいない寂しい日々をおくる高齢者を一人でも減らしていくように、地域社会における新たな「機会」づくりが活発になることを切に願う次第である。
関連レポート
(*1) 平成27年度第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査結果(2016年5月30日公表)
(*2) 過年度の調査においても、当設問に対する回答割合は大きくは変わっていない。
(*3) 総務省統計局「平成26年人口推計(10月1日現在人口)」より。60歳以上は4198万人。
(*4) ニッセイ基礎研究所・特別研究プロジェクトチーム「長寿時代の孤立予防に関する総合研究~孤立死3万人時代を迎えて」(特別研究Report、2014年12月17日)
(*5) 広井良典「コミュニティを問いなおす」(ちくま書房、2009年8月)の中で日本人特有の精神性として紹介されている。
(2016年8月16日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
生活研究部 主任研究員