年金額改定のニュースを見る際に気をつけたいこと
1月30日に来年度の年金額改定が発表され、当日の夕刊の1面を賑わせた。昨年と同様に、同日に発表された消費者物価の上昇率と並んで掲載されているが、これをどのように捉えれば良いだろうか。
例えば、下記の紙面ではどうだろうか。来年度の年金額は0.9%増と書いてあり、小見出しには16年ぶりの増額とも書いてある。他方、隣には消費者物価が2.6%上昇したと書いてある。小幅だが年金額の増加は朗報だろうし、デフレからの脱却は明るいニュースかも知れないが...。
このような紙面を理解する際に重要なのは、「年金の改定率と物価上昇率を比較する」ことである。なぜなら、人間には「貨幣錯覚」の傾向がある、と言われているからだ。
「貨幣錯覚」とは、「実質的な価値よりも、名目的な価値に影響される」ことを指す。名目的な価値とは「実際に表示されている金額」であり、実質的な価値とは「その金額で、いくらの価値のものが買えるか」である。
年金額でいえば、「預金通帳に記載される年金の振込金額」が名目的な価値であり、「その年金額で、どのくらいの買い物ができるか」が実質的な価値になる。
先ほどの紙面の場合、年金の改定率は来年度のもので物価上昇率は昨年のものであるため厳密な話ではないが、大雑把な理解のために同じ年の数値だとみなせば、次のように考えることができる(*1)。
今年度は10万円の年金を受け取って、10万円の支出をしていたとしよう。来年度の年金額は0.9%増額されるので、10万900円になる。一方、物価(物の値段)は2.6%上昇するので、今年度と同じ買い物をするためには、来年度は10万2600円が必要になる。
しかし、来年度の年金額は10万900円しかないので、今年度と同じ買い物ができない。つまり、来年度の年金額の実質的な価値は今年度よりも下がっているのだ。
このことは、見出しに載っている年金の改定率と物価上昇率を比較することで簡単に気付くことができる。先ほどの例では「0.9%増」が名目的な価値の変化だが、年金の改定率と物価上昇率の差(0.9%-2.6%=マイナス1.7%)が実質的な価値の変化であり、この値がマイナスであれば年金額が実質的には低下することを意味する。
引き算が面倒でも、年金の改定率が物価上昇率を下回っていれば、年金額が実質的には目減りすると理解することができる。
実際の紙面を見たところ、年金額改定の見出しに「実質目減り」という表現が添えられたものがあったり、中には「実質目減り」と書いて「0.9%増」を見出しに載せていないものもあった。その一方で、「実質目減り」とは書かずに「0.9%増に抑制」などと書いているものもあった。
何が正解というわけではないが、先ほど述べた「貨幣錯覚」を避けるためには「実質目減り」とハッキリ書いた方が読者に役立つ、と個人的には思っている。
昨年6月に公表された年金財政の見通しによると、年金額の実質的な目減り(*2)は、アベノミクスが成功した場合でも今後約30年間は続くことになっている。
受給者の生活を考えれば、毎年の年金額改定の際には、貨幣錯覚を誘発してしまう「名目額はいくらか」という説明にとどまらず、実質的な目減りであることも説明すべきであろう。
加えて、実質的な目減りに対する受給者の深い理解を得るために、制度改正の意義(*3)についても繰り返し真摯に説明するべきではないだろうか。
*1 時間の対応を厳密に考えれば、来年度の年金改定率は、来年度の物価上昇率と比較されるべきである。
時間の対応のほかにも、何を「実質」の基準とするかという、難しい問題も存在する。例えば、見出しになった2.6%の物価上昇率は生鮮食品を含まない変化率であり、年金額の改定率の計算基礎となるのは生鮮食品を含む物価上昇率である。また、日本全体では2.6%の物価上昇であっても、消費実態に即して考えると、高齢者や特定の個人が直面する物価上昇率は日本全体の値と異なる値になり得る。さらには、年金額の実質的な価値は物価との対比よりも現役世代の賃金との対比で見るべき、との考え方もある(この概念に基づくのが、所得代替率という指標である)。
ただ、来年度の物価上昇率は来年度末を過ぎなければ分からないし、「実質」の基準として考えられる各種の数値は別途調べる必要がある。そこで、来年度の年金額は前年(暦年)の物価上昇率を考慮して決定されることを踏まえて、簡便な次善策として、見出しに掲載されている物価上昇率と年金改定率との比較を提案した。
*2 ここでいう実質的な目減りは、「マクロ経済スライド」と呼ばれる給付削減の仕組みによるものを指している。また、ここでいう「実質」は物価との対比ではなく、現役世代の賃金との対比(所得代替率)を指している。マクロ経済スライドによって所得代替率が低下する仕組みについては 拙稿「基礎から理解する年金改革 ― (1)給付水準50%とは何か?」『年金ストラテジー』2004年4月号 を、近年の年金額改定については 拙稿「2014年度の年金額は実質1.0%の削減。15年度は1.7%削減の見込み」『ニッセイ年金ストラテジー』2014年04月号 を参照されたい。
*3 公的年金には、もともと、物価や賃金の変化に合わせて年金額を改定して、実質的な価値を守る仕組みがある。ただそれは、主に将来の保険料を引き上げることで賄われてきた。そこで、将来世代や今後の企業の負担を考慮して、再来年(2017年)に保険料の引上げが打ち止めになる。その代わりとして、物価や賃金の上昇率から現役世代の減少に合わせた「調整率」を差し引いて年金額を実質的に目減りさせること(マクロ経済スライド)で、年金財政のバランスをとることになっている。従来の仕組みでは負担が将来世代に集中していたが、今後はいまの受給者の年金額も実質的に削減されるため、世代間の格差が縮小する方向に働く。
関連レポート
(2015年2月13日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
年金総合リサーチセンター 主任研究員