前回の本欄で、2020年東京オリンピック・パラリンピックの新国立競技場建設を巡る混乱の大きな理由は、巨額の税金を使うにもかかわらず意思決定プロセスが不透明で、国民に対する説明が不十分だからではないかと書いた。
日本社会が成熟するためには、専門家の知見「専門知」を尊重しながら、一般市民の声「市民知」を取り入れた国民不在にならない意思決定プロセスが何よりも重要だ。
今、五輪エンブレムのデザインの類似性を巡る問題が浮上している。新デザインの発表の日、私はワクワクしながらテレビを見ていた。巨大なベールが剥がされ、現れたデザインを見てがっかりした。
なぜなら、そこにオリンピックやスポーツの持つ躍動感と日本らしさをほとんど感じなかったからだ。招致活動時に使われた桜の花びらをモチーフにしたロゴの方がずっと好感が持てた。
私の個人的感想などは取るに足らないものだが、その後のネット上にはさまざまな賛否のコメントが寄せられていた。
オリンピックに対する国民の支持率の向上が不可欠な時代には、もう少し丁寧なデザイン選定のプロセスが必要ではなかったのか。そうすれば、他国の劇場のロゴとの類似性を指摘されるような事態も招かなかったように思う。
新国立競技場とエンブレム問題には、意思決定における情報開示の不十分さや業界の閉鎖性がある。それは今日の日本社会に共通する課題だ。建築家やデザイナーなど閉鎖的な専門家集団の中で、粛々と重要事項が決まる。
新エンブレムのデザインコンペの応募条件には、主要コンペ2回以上の受賞歴が必要とあったため、前述の招致ロゴをデザインした若手デザイナーは応募さえできなかったという。
最近、原子力規制委員会は原発の再稼動に向けた新たな安全基準を示し、川内原発の再稼働が決まった。しかし、NHKの世論調査結果をみると、「賛成」17%、「反対」48%、「どちらとも言えない」28%となっている。
専門家による技術的検討をいくら重ねても、福島原発の事故原因が完全に解明されず、廃炉に向けて多くの課題が残されている現状では、多くの国民が再稼動に納得できないのは当然だ。政策決定プロセスにも、専門家の「専門知」と一般市民の「市民知」には大きな乖離があるのだろう。
成熟社会とは、社会の重要事項の意思決定に双方の"知"が協働するプロセスが組み込まれた社会を意味するのではないか。
成熟社会には専門家と市民が互いに自律的に考えることが不可欠である。
協働には想像を超える時間と労力が必要になるだろうが、社会が成熟するとは、そのようなプロセスを我慢強く確実に歩んでゆくことではないだろうか。
関連レポート
(2015年8月25日「研究員の眼」より転載)
株式会社ニッセイ基礎研究所
社会研究部 主任研究員