「おんぶ」と「だっこ」の社会学-「人間」から「世間」という社会へ!:研究員の眼

「おんぶ」と「だっこ」を適切に使い分けることが重要だ。
Mother and daughter having fun time in outdoors
Yagi-Studio via Getty Images
Mother and daughter having fun time in outdoors

われわれが日常生活でよく使う「社会」ということばは、それほど古くからあるものではないそうだ。加藤秀俊著『社会学~わたしと世間』(中公新書、2018年4月)によると、明治時代の初期に英語の"society"が「社会」と翻訳されたのが始まりだという。

日本ではそれまで「世間」ということばが広く使われており、「社会」とはわれわれを取り巻く身近な「世間」にほかならず、「社会学」という学問は、世間話の延長線上にある「世俗の学問」を意味するとのことである。

都市社会学も都市の暮らしの中で生じている事象を観察することが基点になる。先日、赤ちゃんを「おんぶ」する母親を見かけた。「だっこ」が主流となった今日では、昔は当たり前の「おんぶ」の光景がとても印象的だった。

現代の都市社会では、「おんぶ」よりも「だっこ」をしている母親がはるかに多い。「だっこ」は親子が向き合うために子どもの様子がよく分かり、子どもにとっても親の顔がいつも見えるので安心できるというメリットがあるのだろう。

一方、「おんぶ」は親の手が自由に使え、家事などするのにも便利であると同時に、子どもの視野が広がり脳への刺激が増すという。特に赤ちゃんの知育にとって、高い位置から親と同じ目線で景色を眺めると、「他者との共感性や社会性」を育む「ミラーニューロン」という神経細胞の働きを促すことにつながると言われている。

「だっこ」の場合は、親の表情がよく見える代わりに、親の顔や胸のあたりの近景に視界が限られるため、赤ちゃんの成長・発達上から「おんぶ」を推奨する専門家もいる。

また、前出の『社会学~わたしと世間』には、8世紀の『続 日本紀』に「人間」を「ジンカン」と読む用例があり、「世間」とほぼ同義に使われていたとある。同書は「人間」は「人」と「人」との「間」に生まれ、徐々に「世間」と接してゆき、「家族」という集団が人間にとって原初的な「世間」になるという。

「ヒト」が家族という小さな円を外側に向って大きな同心円に膨らませたものが「世間」であり、「人間」は少しずつ「世間」を広げて成長して、一人前の「社会人」になるというのだ。

幼い赤ちゃんが「人間」から「世間」を広げて一人前の「社会人」になるためには、「だっこ」するだけでなく「おんぶ」が必要だ。

これまでは他者にすべてを依存することを『おんぶにだっこ』と言ったが、子どもに安心を与えつつ自立を促す上でも、親が子どもの社会性を育てることを意識し、「おんぶ」と「だっこ」を適切に使い分けることが重要だ。

親の肩越しに眺める世界を通して子どもは新たな社会に船出する。先日、子どもを親と同じ前向きに「だっこ」する若い父親の姿を見かけ、妙に納得した。

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(2018年5月22日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 主任研究員