みなさんは「新聞紙学的」というブログをご存知だろうか。ハフィントンポストに転載されているので、そっちで読んだ方も多いと思う。
ブログの著者は、平和博氏。朝日新聞の記者で、名刺には"デジタルウォッチャー"という肩書が刷られている。記事審査室という、朝日と他紙の記事を読んで社内向けのレポートを書く仕事をしていて、各社と海外のデジタル関係の取組みも社内に紹介していたのでつけた肩書だそうだ。
筆者も、テレビを軸にメディアの行く末をブログ「クリエイティブビジネス論」で書いており、ハフィントンポストに転載されている。新聞メディアの立場から似たようなことをやっているなと、同世代らしいことも含めて気になっていた。
ある催しでお会いして、名刺交換したのが約一年前。またお会いする機会があったらと思っていたら年賀の挨拶をやり取りできたので、この機にお話を聞いてみようと考えた。アポをもらったらタイムリーに「新聞紙学的」にこんな記事が出た。
これは"分散型メディア"をキーワードに、テレビにとっても参考になる話が聞けそうだ。期待しながらお会いしたら、期待以上のインタビューになった。
平氏は、言葉をきちんと選びながら喋る。ひとつひとつの言葉を、考えて、噛みしめて、確かめるように口にしていくのだ。短髪で落ち着いた風貌のせいもあり、悟りに近づいた僧と向き合っているような気持ちにさせられる。だが話の中身はむしろ、メディアの最先端であるところが面白い。デジタルの虚空から見えてきた、メディアの未来を教えてもらっているような感覚で受けとめた。俗人に知れぬ異界が、この僧には見えているのだ。
平さんは朝日新聞で"デジタルウォッチャー"をやってらして、ブログ「新聞紙学的」もその一貫なのでしょうか?
平:いえ、あれはまったくの趣味でして。ブログはもう5年前からやってるんですが、新聞紙学的としたのは2012年頃だったと思います。 最初は会社としてのブログを持ち回りで書いてたんです。それが終了した時、せっかくだから自分でやってみようかなと始めたのが「新聞紙学的」の原形ですね。
2003〜05年春までシリコンバレーに駐在していまして、その頃にソーシャルメディアの第一次ブームがアメリカで始まった。その少し前からブログもはじまっていて、それがどうやらジャーナリズムを大きく変えるぞという"うねり"が出てきたんですね。シリコンバレーのジャーナリストが書いた、ブログが起こした変化を描いた本を、翻訳して出版したんですよ。
それがまさにいまブログの原点みたいな感じで。ネットがメディアやジャーナリズムをどう変えてしまったのかをその時から問題意識として持っていて、その関心の中で勉強は続けていこうというのが「新聞紙学的」の最大の目的ですね。
新聞はこれからどうなるのでしょうか?デジタル化するのだという答えがありつつ、日本の中で言うとどれくらいのペースで進んでいくと思われますか?
平:これはなんとも難しいですねえ。まだやっぱり収入の大半が紙からのものなので、もう紙の時代じゃないとは言いづらい。もろとも落ち込むわけには行かないので、紙は紙でしっかりつくろう、と。アメリカと比べると加速度的には行かないと思うし。そして社員の意識改革が絡んでくると・・・これがいちばん時間がかかるんじゃないかと思います。
アメリカの新聞社はすでにデジタルベースの意識になってるんでしょうか?
平:ニューヨーク・タイムズ(以下NYT)が、去年の春ごろだと思いますが一面会議をやめて、まずデジタルのことを決めてからそのあとで紙のことを議論する大転換をしました。これはインパクト大きかったですね。NYTはいよいよ動きはじめたなと。
私なんかでも記事をイメージすると紙の方が浮かぶんですよね。このニュースはどの面のどれくらいの扱いになるかなあ、とイメージすることから抜け出せてないです。
なるほど、デジタルシフトとは、紙より先にデジタルの構成をイメージすることなんですね。
平:そうですね、紙の紙面の記事を考える場合はそうですけど、ブログのテーマを考える時はまた別の脳で、これはどういう見出しにするとリーチするかとか、ワーディングから入ったりとか、どういうアイキャッチにするとこんな難しい話でも読んでもらえるかとか、使う脳みそが違う感じがしますね。ブログの見出しと、twitterで告知する時の見出しは変えてみたりとか、そういう"デジタル脳"を使うわけです。
「新聞紙学的」が、朝日が合弁でやっているハフィントンポストの関係者の目に留まり、一昨年(2014年)の2月くらいから転載されるようになりました。そうすると見に来る人の層が広がったり数が増えたりしたんですが、見られ方とか説明のし方とかをものすごく意識するようになって、紙の新聞を作るのと別の脳みそを使うようになりましたね。twitterとかコメントで、「何書いてあるかわからない」みたいなことを言われて書き方を変えなきゃなあと思いました。変えてそれなりに読んでいただけたほうがいいし。読んでもらえないとカッコ悪いから。
デジタルのほうにそうやってシフトしていくには、それぞれがトライ&エラーをやってみる実戦の中でしかできないですよね。かっちりした教科書があるわけでもないし、教科書を読んでわかるかというと、実際にやってみての肌感覚の積み重ねでしか身に付いていかないんじゃないかと。 個人レベルでも組織でもそうなんじゃないでしょうか。
一方でジャーナリズムがどうなっていくかネットの時代になって難しくなっている気がしていて。 例えばネットの文化に合わせていくと、迎合するような、バズる書き方、バズるネタを拾おうとか、そういう風に傾きがちではないでしょうか。
平:そうですねえ、それはまたメディアの性格にもよるんじゃないかと。
朝日新聞本体であればメインストリームのジャーナリズムを求められているでしょうし。とっかかりやすいチューニングはできるんでしょうけど、ニュースの扱い方まで変えちゃうと、メインストリームのジャーナリズムのフレームが崩れちゃいますよね。
朝日新聞デジタルとは別にwithnews(ウィズニュース)というのがありますけど、あれは別ブランド、切り離したブランディングでやっていて、よりソーシャルを意識したニュース発信をしているようです。新聞社の取材力やデータの堅さはきっちりおさえたうえで、本体とは違うかまえですけど、ネットのユーザー層に合うんじゃないかと。
そんな風に、読んでほしいユーザー層というか、どんなメディアでどんな発信でリーチできるのか、個別にちがうところをきちんと見ていくということじゃないでしょうか。ウィズニュースとハフィントンポストでも違うんでしょうし、(朝日新聞)グループで言うと、CNETはまた違うでしょうし、それぞれ使い分けるんでしょう。
ブランディングという言葉が出てきたのが面白いですね。ジャーナリズムは、あるいはジャーナリストは、自分がどんなメディアで書いているのかを自覚してそのメディアにふさわしいコンテキストで書いていくことがこれからもっと大事になっていくのですね。
平:そうだと思うし、ビジネス的に言うとコアの周りにブランドのバリエーションを持たせてより多くの読者に届けるやり方がありつつ、コアのブランドをしっかり通しておくことも大事だと思います。分散型のメディアの考え方とか"ネイティブ"という考え方もそういうところにあるんじゃないかと思っていて、届けたいユーザーあるいは読者がどこにたくさんいて、そこにいちばん届く出しかた、プラットフォームであればそのプラットフォームに親和性のある出し方、Facebook、YouTubeそれぞれにいちばんリーチしやすい表現方法で出していくことがいちばん大事になるのでしょう。
広告の世界で使われていたコミュニケーションデザインとか、少し前の言い方だとメディアニュートラルとか、そういう考え方をジャーナリズムも意識的にやっていくべき必要がある。だからいまの分散型メディアをメインストリームのジャーナリズム、新聞社なんかも考えはじめているんじゃないかと思うんです。
そうかあ、分散型メディアという概念はともすると分散させればいいから置けるところにどんどん置いていこうとなりかねないですけど、そこをこういう読者に対してこういうコミュニケーションしたいから、こっちに置かない、あっちに置こうとか、そういう考え方が非常に重要になってくるわけですかね?
平:重要でしょうね!NYTはNYTのファンがいて、直接見に来る読者もたくさんいるらしく、そうすると全部が全部よそのプラットフォームに置いとけばいいやっていうんじゃなくて、本体のサイトで読みたいんだっていう極めてロイヤリティの高い読者に対しては、きちっとそこで十分な体験をしていただく戦略をとっているようです。読者がどう読んでくれているのか、どこにいるのか、両方の対応が必要だと思います。データをもとにそういったことをきちんとデザインしていく。アメリカの新聞はそれをやっているようです。
なるほどー、メディアもコミュニケーションデザインを戦略的にやらないといけないんですね。
ネットメディアで気になるのは、やり玉に挙げるようで申し訳ないのですがハフィントンポストにしても、芸能の話題をけっこう載せていて、そういうメディアだったかなあと。もう少しジャーナリズムっぽかった気がしてるんですけど。
平:いわゆるバイラル系のニュースメディアって難しいというか、複雑というんですかね。ハフィントンポストは、当初はジャーナリズムというより、ブログをいっぱい集めてきてそれがネット上で拡散することでスケールしてきています。BuzzFeedなんかもそうですけど、いわゆるネタ系で規模をとってジャーナリズムにも踏み出すみたいな流れがあったと思うんですよ。なので、ジャーナリズムもやるけれども、ネタもやる、猫もやる、みたいな(笑
それをどうとらえるか、ポータルと考えると方向性としてはあるんだと思います。調査報道から猫までここに来れば全部ありますという。アメリカのバイラル系をみるとそんな感じがありますね。ハードニュースはかなりしっかりしてるけれども、ネタ系はほんとに"しょうもねえな"というのもあります。
BuzzFeedも柔らかいのが大半でちゃんとしたニュースがその中に乗っかってる感じなんですか?
平:そうですね、割合はいまどうなのかわかりませんけど、ハードニュースはかなりしっかりしてますよ。ちゃんとした調査報道のジャーナリストとかどんどん雇ってますからね。それはさっきも出たブランディングを考えてなんだと思います。
あと、イコール広告単価みたいなことも含めて、ハードニュースで信頼度を高めていくと。猫ばっかりのページだったのが、調査報道で政府系もビビるようなスクープ記事も出てくると、信頼度も変わってくるでしょうから、それはビジネスにも直結しますよね。
広告単価を上げるためにはちゃんとした記事が必要だったんですかね。
平:必要だったんだと思います。二、三年前の、ある程度のユーザー数を確保した時点で、その先のビジネスを考えた時、一斉に調査報道とかハードニュースみたいなことに動きました。ハフィントンポストも調査報道記者を入れてピューリッツァー賞をとったりとか、BuzzFeedも海外展開する中でジャーナリストをメインストリームから入れたりしてますから、そこはひとつ局面が数年前に変わっていると思いますね。
デジタルメディアの最新動向の中で、注目ポイントをお聞きしたいのですが、やはり"分散型メディア"は大きなキーワードでしょうか。
平:そうですね。各社がそっちに動いているし、数字的にもそこにユーザーがきちんといるデータがあがってきてるんでしょうね。
日本にBuzzFeedも来ましたし、分散型メディア、そこにネイティブ広告を掲載していくのがこれからのメディアのポイントになるんでしょうか。
平:ネイティブ広告もそうですし、できることはなんでもやりたいというか、今後伸びそうだということであれば、そっちに行くということだと思います。ハフィントンポストがライブストリーミングをやめるのも・・・
ハフポがライブをやめちゃうのは衝撃です。スタジオまでつくって頑張ってたのに・・・
平:中の事情がわからないので言いようがないんですけど、ハフポストライブを引っ張ってきたロイ・シーコフが辞めてしまうようだし。彼が辞めるのと前後して、リズ・ヘロンという、NYTとワシントンポストでまさにソーシャルメディアエディターをやってて、そのあと分散型の震源地であるFacebookでメディアとコンタクトとってた人物を引っぱってきています。
これからはそっちだと腹を決めてるんじゃないかなと。勝手な想像ですが、そういう形で人材を入れ替えて体制をつくっているように見えるので。
シーコフさんがやめるのはライブが成果を上げられなかったからでしょうか。ライブがネットに向かなかったとか?
平:そこはわからないですねえ。放送がネットと親和性があるかは別の議論で、優先順位としてライブよりは分散型が喫緊の課題でかなり速い動きをしはじめているということでしょう。
これはBuzzFeedのほうですがトラフィックの内訳をCEOが話していて、動画のトラフィックが圧倒的にでかいのがFB上で、27%でいちばんだと。それ以外もYouTubeなども含めた外部でのコンテンツ消費が6割くらいだそうです。実態として外部のプラットフォームでのアクセスのほうが本体を上回っているというのですね。
となると、映像メディアも分散型を意識したほうがいいでしょうか。
平:さっきのBuzzFeedのデータを見る限りでは、トラフィックを引っぱっているのは動画ですから、新聞社もそこをめざしていくことになるでしょうし、テレビもでしょうね。分散型が強くなり動画の比重も高まるなら。
あとはスピード感ですね。アメリカと日本では危機感の次元が違うので、日本でも今日明日でやらなきゃいけないかはわからない。アメリカの状況を見極めてからでもいいのかもしれませんね。ただトライアルのようなことはテレビ局も新聞社もやっていって、事例を作っていくのはすごく大事だと思います。
日本のテレビ局も遅まきながら配信をはじめていて、TVerも好調みたいです。
平:そっからどういうデータをとって次に何をするかでしょうね。
そこでいうデータというのはどういうものでしょうか。
平:どういうコンテンツにどういう層がどこのプラットフォームで反応するか。テキストベースでも一緒ですけど、どこでどれだけのエンゲージメントをしてくれてという。単に見られるだけじゃなくて、それがソーシャルにどう広がるかも含めてのデータということでしょうね。
分散型になればなるほど、そこがキモになってきますから。ここにこういうユーザーがこの塊でいるからそこに出す、となるので。ここはこれだけのボリュームだけどここはこんなもん。そういうのが見えてないとリソースの配分もできないですからね。
テレビ局が各局で番組配信をしていますけど、プロフィール登録させないのが普通になってるんですよ。フジテレビはそこにこだわって生年月と都道府県を入れると視聴できる。一方で、TVerは登録させないからこそ大きくユーザーを獲得しています。
平:考え方ですね、ある程度の規模のお客さんをとってからデータを取るのか、最初からデータを取るところからはじめるか。最初はとにかくユーザー数を稼いで、ある時からデータをとりはじめる、というのも作戦次第ですね。
アメリカのテレビ業界はCATVや衛星放送の解約件数が年率10%ぐらいで増加するという地殻変動が起こってますけど、日本はそこまでではない。そういう意味ではそろりとはじめて試してみて、というスピード感でちょうどいいかもしれないですね。ゆとり持って見られるタイミングだからこそ、いろんなことをやってみる、トライアルを重ねることが大事なのだと思います。
トライアルが必要なのは、個人のレベルでも同じじゃないでしょうか。去年NYTの社長にインタビューしたら、これからは記者もプログラミングできなきゃというんですよ。自分でもネット講座でJavaScript勉強したと。彼はBBCの会長からNYTに来た、元々はテレビの人なんですけどね。
え?JavaScriptですか?すごいですね!
平:コンテンツづくりに関しては社内で教えてもらえますけど、それをネットでどう活かすか、プログラミングを使う部分も出てくる。コンテンツとメディアとテクノロジーの3点を考えながら情報発信せざるをえないだろうと思いますね。NYTのトップはまさにそういうことをやってる。
これまでやってきたことにテクノロジーをつなげて考えられるジャーナリストが必要、というかそっちに行くんだと思うんですよ。ジャーナリストも、ネット脳・ソーシャル脳を意識的に鍛えていかないといけない。
新聞社とテレビ局が何か一緒にやるというのもありそうですね。そこにインターネットやテクノロジーも介在させて・・
平:そうなんですよね、それが日本の場合やりやすい環境にありますよね。可能性あります。そっちに進んでいくんじゃないでしょうか。
アメリカの場合はメディアグループが不採算の新聞部門を分離する傾向があちこちで出ていて、その前は新聞社がテレビ局を買ってという傾向があったのに、逆にテレビとネットで経営的に安定させていく流れが出てきたんですよね。ワシントンポストをグラハム家がベゾスに売ったのもそういう流れですから。グラハムHDはテレビ局とネットと教育事業を残してますからね。
日本はローカルレベルでも新聞とテレビが近いですからネット起点、ユーザー起点でメディアニュートラルな方向に行けるかどうか、行ったら強くなると思います。
まあ正解はなくて、手探りでやっていくんでしょうけど、そういういろんなスタイルがどんどん出て行くといいなと思いますね。
メディアの僧との対話は、物静かだがその核にははっきりと熱がこもっていた。悟りを開いているようだと書いたが、一方で自分の問題としてもとらえ、まだまだ奥まで見極めようとしている。こちらも修業をまた積んで、再会してみたい。次にお会いするのは、焼鳥のにおいが漂う居酒屋かもしれないが。実は、まったく同い年のおじさん同士とわかったので。
ちなみに平氏はいまはオピニオン編集部に在籍し、またフォーラム欄という、読者の意見を集めてつくるページを担当しているそうだ。
それから、GQ Japanに今回のインタビューと近い内容の平氏の記事があるので参考に読んでもらうといいだろう。
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