テレビって不思議な存在だと思う。そのことを、思い返せば学生時代だった80年代からずっと考えていた。その80年代にはじまった『笑っていいとも!』が終了したことは何かを象徴している気がする。
これまで何度かとりあげてきたのだけど、テレビ論の原点であり終着点として「お前はただの現在に過ぎない」というテーゼがある。これは本のタイトルで、もう40年以上前にテレビマンたちが書いたものだ。
テレビ論に興味がある人は一度読んでおくといい。読んだ方がいいのだけれど、実は読まなくてもいいかもしれない。重要性のすべてはこのタイトルにこそあるからだ。
「お前はただの現在にすぎない」
このひと言こそがテレビだと思う。もっと言うと、"メディア"とはこういうことだと言えるし、そのメディアの中でももっともメディアであるのがテレビであり、だからよけいにこのひと言はテレビの意味をものすごく凝縮しているのだと思う。
「ただの現在」つまり、テレビなんて、まあ大したものではないのだ。だが何しろこれほど現在であるものも他にないので、そこには大いなる価値がある。
「ただの現在」であるテレビの利用価値を、ぼくたちは十分に絞り出せていないのではないだろうか。
前置きが長くなったけど、今日書きたいのは、わたくし境治はこの4月から、エムデータ社の顧問研究員となりましたということだ。顧問研究員というのもよくわからないわりにえらそうな肩書きだが、ようするにいろいろお手伝いすることになった。社員ではないので外部からのお手伝い。でも自分がやりたいことの鍵がこの会社にはあるので、けっこう注力していくつもり。
エムデータ社については少し前の記事に書いた。
この中で、他の会社とともにエムデータ社についても書いている。
同社はメタデータを生成する会社だ。もっと具体的に書くと、テレビで放送された番組情報をテキスト化する会社だ。テレビを見ながら、その中に出てきたあらゆる事柄をひたすら書き出す。内容、出演者、出てきたモノや店などなど、すべてを書き出す。そんな作業を何十人もの人がやっている。書き出されたものがメタデータだ。
そんなものが何になるのか、と普通は思うだろう。だがさっきの話に戻ってみよう。テレビとは"現在"なのだ。するとテレビに出てきた事柄を書き出したデータは、"現在"のデータなのだ。"現在"が次々に連なってできる時の流れをテキスト化したものがメタデータなのだ。
テレビが生み出した"現在"は、流行を生み出したりする。翌日スーパーで売れるものを左右したりする。これから売れそうな楽曲を人びとの耳に植え付けた記録でもある。あらゆる分野のトレンドの種子が蒔かれた様子が記録されている。
つまり、メタデータとは現在の記録であり、その上では未来が助走しはじめている。そこには個々のテレビ制作者が意図しなかったテレビの価値が潜んでいるのだ。
それぞれの番組、それぞれの局では見えないにしても、それを集積して大きな"テレビ"という装置だととらえると、それがはき出していく現在は大きな大きな価値に膨らむ可能性がある。メタデータを日々生成し、それを集約し、分析することで、テレビの価値が新たに出現するはずだ。
可能性はほんとうに多面的に広がる。そこには、視聴率とは別の番組評価軸が見いだせるかもしれない。テレビCMの価値を累乗的に拡大する未知の広告手法が開発できるかもしれない。テレビのメタデータだけでなく他のいわゆるビッグデータと結びつくことで、未来予想ができるかもしれない。
かもしれない、と書いたけれど、まちがいなくできるのだ。それらが見いだせた時、テレビはこれまでのビジネスモデルをステップアップしはじめる。そうなったら、これまでとは別の番組の面白さにもつながる。そんなことさえ起こりえる。
メタデータの可能性、エムデータが取り組みはじめていることについては、一度に書ききれないので、数回に分けて書いていこうと思う。そこにはテレビ界の新しい動きも含まれるので、お楽しみに。
コミュニケーションディレクター/メディアコンサルタント
境 治
sakaiosamu62@gmail.com