「忙しそうですね」と他人に言われてしまったら、敗北だと思う。

時間を支配する生き方をしたい。
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「忙しい」について最近、考えている。

僕は会った人に「忙しそうですね?」とよく言われる。その度に、「そうでもないですよ」と答える。それを繰り返しているうちに、「忙しい」の概念に他の人とズレがあることを意識するようになった。

「忙しい」を物理的な状況として捉えている人が多い気する。つまり、そういう人は予定がたくさん入っていることを忙しいと考える。

僕は「予定が詰まっていますね?」と聞かれると「そうなんですよ」と答える。でも、忙しいとは感じていない。忙しいとは、心の問題だと考えているからだ。つまり、どれだけ予定が詰まっていても、忙しくないようにするためにはどうすればいいのかということを、ずっと考えてきた。そして、努力をしてきた。

「忙しい」という言葉は、「急ぐ」が語源になっているらしい。早いのはいいことだけど、急ぐと失敗する。だから、僕は急ぐことなく、ゆっくりと淡々とやることをやっていきたいと思っている。

同時に、僕は予定がないということは「ない状態がある」と捉えている。誰かと会ったり、作業をしたりするのは、短期的な目標のための時間で、予定がないのは長期的な目標のための時間だと思っている。もっとも貴重なのは、時間だ。だから、どの時間もどのように使うのか、意識したいと思っている。時間を支配する生き方をしたい。

だから、「忙しいですね」と言われることを、僕は敗北と感じる。まだ忙しく感じる振る舞いをしているのか、と。

多くの人は、人から批判されると傷つく。僕も傷つかない訳ではないけど、そんなに落ち込まない。でも、自分で自分に課している基準をクリアできていないと知った時に、僕は落ち込む。だから、「忙しそうですね」と言われて、勝手に悔しがっていたりする。

「忙しい」は、「心が亡くなる」状態だ。でも、同じように「忘れる」も「心が亡くなる」状態だ。

何が違うのか?

りっしんべんは外的な状況によって、心がない状態。したごころは、意志によってない状態。「忙しい」は、心を亡くさせられている。一方、「忘れる」は、心の中から亡くしている。

僕は、心を亡くさずに、日々を暮らしていきたい。

僕の本が、やっと発売になった。ここでもらったフィードバックがすごく役に立った。ありがとう。

本の最後に、僕は主張をアップデートしていくということを書いた。

本の中で「信用」と「信頼」について考えた時に、語源について調べた。そうすると、色々なことがわかった。使っている言葉の歴史に知りたい情報が隠されているのだ。同じように「忙しい」と「忘れる」について考えた。僕は、こんな風に思考をアップデートしていくのだ。

(2018年5月9日noteより転載)

心を亡くさずに、日々を暮らす佐渡島さんの「アタラシイ時間」。

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