父は歳を取ってから骨董に嵌り、一時期ずいぶんたくさんの皿やガラス器などが家にあったと、後で母から聞いた。
ガレやドームの小品がいくつかあるのは見ていたが、実家に行ってもそんなコレクションの話は出なかったので、私は父の骨董狂いを長い間知らなかった。
知識も見る目も大してないのに、気に入るとどうしても欲しくなり、薦められるままに言い値で買ってしまい、後で母に「ここに40万振り込んでおいてくれ」などと言っていたらしい金銭感覚の全然なかった父。
母は貯蓄に励んでいたけれども、そんなことが一ヶ月の間に2回あった時、さすがに苦言を呈したら、「僕が働いたお金を僕が何に遣おうといいだろ」と言われた。父に逆らえなかった母は、貯金を切り崩して払っていたという。
すべて数万から数十万、高くてせいぜい百万円代のものだったが、度重なれば高額になる。「貯金してたらマンションの一つも買えたのに」と、後で母はこぼした。
そんな骨董の品々も、父が80を過ぎてから「お墓に持っていけないんだし、残しても娘たちが困るし」と母が処分を提案し、父自身も身辺整理をしたくなったようで、買った時の半額から三分の一くらいの値ですっかり売り払ってしまった。
今年の2月に父が老人ホームで亡くなった後、実家に行った時に母が、「何にもなくなっちゃったけど、これ、お父さんがどっかの市で買ってきた物で」と、猪口を一つ出してきた。白地に赤い小花の絵が適当な感じでプリントしてあって、裏に「MADE IN CHINA」とある、どこから見ても大量生産の、露天のワゴンに一個50円くらいで売ってそうな二足三文の雑器だった。
「なにこれ、すごい安もんじゃん」
「でもお父さん、『お母さん、これ可愛いだろ?』ってとっても気に入ってて、ずっとこれで晩酌してたのよ」
たしかに父は、少し少女趣味なところがあった。まあ可愛いと言えば言えないこともないし、形見に貰っておくことにした。
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寒くなってきたので、今日は熱燗をつけた。徳利は、夫が以前、岩手県の高校にボランティア授業に行った帰り、遠野方面で買ってきた河童のかたちの一合徳利。これで燗をつける時はレンチンしないで、小鍋に湧かした湯で徳利を暖める。湯気が立ってくると、河童が温泉に入っているみたいで面白い。
仕舞いっぱなしだった父の猪口を出す。徳利と猪口を並べてみると、全然違うテイストながら安物同士で妙に釣り合っている。いろいろな物に手を伸ばし手に入れようとして、結局握った手に最後まで残っているのは、こういうチープな物だったりするのかもしれない。物としての価値はない、思い出だけの品。
テーブルの上の河童と猪口。やや遠くにいる夫と、ものすごく遠くにいる父が、今ここに一緒にいるようだ。
(2014年10月22日「Ohnoblog2」より転載)