BLOG
2014年11月18日 22時47分 JST | 更新 2015年01月18日 19時12分 JST

廃校体育館でビニール栽培...もはや単一学級しかない街・夕張で教育の未来を考える

本来、学校の統廃合というのは、非常に抵抗が強く、実現が難しい政策の一つです。

前回の記事に大変大きな反響をいただきましたが、

本日は再び夕張についての続きです。

「燃えるゴミ」が燃やせない町・夕張に、暗い日本の未来をみた

http://otokitashun.com/blog/daily/5009/

上記リンクの記事中でも、財政破綻によって夕張市内は

小学校・中学校・高校がそれぞれ一校ずつになったことに触れました。

小学校にいたっては、6校→1校と大ナタを振るわれています。

夕張市内の各地から、バスで小学校に通う子どもたち。

ちなみに廃校になった小学校では、

その跡地活用として体育館内でビニールハウス栽培なんてやっていました。

これはこれでまた、衝撃的な光景...。

さて、この夕張の小中高は、

児童生徒数の減少から、すべての学年が単一学級です。

...これ、良く考えるととても恐ろしいことではないでしょうか。

今や事実上、ほとんどの子どもたちが高校に通うことを考えると、

なんと12年間クラス替えが一切行われないことになります。

昨今は都内でも少子化が進み、学校の統廃合が行われますが、

その際に統廃合の大きな理由になるのが、単一学級の回避です。

定期的なクラス替えというのは、子どもたちのコミュニケーションにとって、

とても大きな意味を持ちます。何か問題に直面しても、クラス替えによって

人間関係が強制的にリセットされ、解決されることは少なくありません。

都心では主に、この単一学級の弊害を防ぐために

学校の統廃合が行われるわけですが、夕張の場合は元々の人口減少に加えて、

破綻によって強制的に一つになり、これで転校という選択肢まで消滅したのです。

私自身も小学生の時、身体が小さかったこともあり、

いじめに近い行為の対象になった時期があります。

幸いにもクラス替えによって人間関係がリセットされたのですが、

ずっと同じクラスだったら...と思うと背筋がゾッとします。

クラス替えがなければ、問題児はずっと問題児のまま、

問題クラスはずっと問題クラスのままという可能性が必然的に高まります。

実際、夕張小学校ではとある学年が学級崩壊に近い状態になっており、

これをどういうきっかけで解決すればいいのか、

行政としても頭を悩ませている状況だそうです。

と、今回も煽るだけ煽るとまた批判をされますので(苦笑)、

これについての処方箋となりうる政策も提案してみます。

(一連の記事は、夕張を非難するためではありません。当然ながら)

少し前に、最先端のICT教育導入に取り組む、

ユニークな校長先生がいる学校を視察した記事を書きました。

児童のノートをオンライン共有、レゴをプログラミング操作...最先端のICT教育現場が凄すぎる!

http://otokitashun.com/blog/daily/4826/

ICT教育の影に埋もれていますが、この校長先生がやっている

もう一つの独自政策が、「縦割りクラス編成」です。

この学校も多摩ニュータウンの急激な少子化に伴い、

ほとんどの学年で単一学級となった時期がありました。

そこで校長は、

・6年生を頂点として、1年生までそれぞれ何人かずつを選んだグループをつくる

・学校行事や○○係などの校内活動は、このグループ単位で頻繁に行う

・このグループを1年に1回入れ替えることで、疑似的なクラス替えを体験させる

という施策を実施して、

コミュニケーションにおける成長や、人間関係の解決を図ったそうです。

これは法的な裏付けがある取組みではありませんので、

校長の裁量で実施できます。もうすでに、類似の取組みを

行っている小規模学校も多いようです。

自分が小学校のときはこうした学年横断の活動は、

運動会や遠足などの大きな行事を除いてあまりなかったので、

初めて聞いたときに新鮮な感想を覚えました。

もちろん、人口増によって複数学級が持てるに越したことはありませんが、

疑似的なクラス替えを体験させることは、夕張はもちろんのこと、すでに都内に

多く存在する小規模学校にとっても、有効な対応策の一つではないでしょうか。

それにしても。

本来、学校の統廃合というのは、

非常に抵抗が強く、実現が難しい政策の一つです。

子どもたちのため、街のため、伝統のためetc..

しかし夕張の場合、仕方のないこととはいえ、

真っ先に実現したコストカットの一つが、各学校の統廃合でした。

見方によっては、教育予算から手を付けられたとも取れるわけです。

我が国の財政がいよいよ厳しくなった時、

社会保障ではなく、子どもたちのための予算から

手を付けられないことを心から祈るとともに、そのために行動を続けていきます。

それでは、また明日。