先日掲載した弊社森口のコラム『「クリエイティブな会社」って言われるのはなぜなのか、考えてみた』の内容を受けて、企業のマネジャー層からよく聞くこんな嘆きについて考えてみたい。
「若手の社員からアイデアが出ない」
「若手がいまひとつ元気がなく、思うように成長してくれない」
上記のような悩みを抱えるマネジャーは、人材育成のためにもできるだけ若手の意見を聞こうと、ことあるごとに「●●くんはどう思う?」「何か意見はないの?」と投げかけるが、部下は下を向いて黙ってしまう。なぜなのか。
ワークショップファシリテーターの悩み
仕事がら、お客様先でワークショップのファシリテーターをつとめることがあるのだが、そのとき特に気を付けていることは「チーム分け」と「ルール作り」だ。ここを失敗すると、ワークショップの結果が大きく異なってくる。
【チーム分け】
・直属の上司と部下はできるだけ同じチームに入れない
・発言の影響力が大きすぎる人、人事考課を握っている人はできるだけワーク自体に入れない(席を外してもらう)
・若手に発表者などの役割を与え、発言の機会を増やす
【ルール作り】
・全員が同じだけの時間話す
・立場が上の人が最初に発言しない
・沢山のアイデアを出すこと、他の人の意見に乗っかることを歓迎する
など
先日掲載した座談会『まるでオーケストラ!? 1+1を10にする「場の力」とは何か』でも弊社の古川が語っていたが、人は「正解・不正解」にとらわれるとアイデアが出にくくなる。
まして「間違ったことを言ったら上司に叱責される(呆れられる)」「人事評価が下がるかもしれない」というプレッシャーにさらされていたらなおさらだ。
しかし、多くの企業では会議の場に組織のピラミッド構造がそのまま持ち込まれているので、若手からの意見がなかなか出ないのだ。
「発言できる雰囲気」はどうしたら生まれる?
米Googleが行った生産性向上プロジェクト「プロジェクト・アリストテレス(Project Aristotle)」*が導き出した結果によると、生産性向上に寄与するたった一つの要素は、その組織における「心理的安全性」なのだという。
「自分の考えを率直に伝えても受け入れられる」と思える場であれば、人はたとえ粗削りなアイデアであっても、上司の考え方に反する意見であっても、出すことができるだろう。
もし、誰かの価値観で組織が回っていて、その人の価値観に合わない意見はすべて否定されるような場であればどうだろうか。
または、「こうあるべき」という社員像やスキル・知識レベルが明確で、つねに能力の優劣を評価され、メンバー間で比較される。ルールが厳しく、少しでもそこからはみ出すとペナルティーを受ける...。
そんな環境ならば、メンバーは決まったレールからはみ出さないことにばかり気を取られてしまうだろう。そして、今までのやり方と異なる、新しいことをしたいと思ったら、果てしない「根回し」に時間を費やすことになる。それでは生産性も上がるわけがない。
そう考えてみると、ソフィアは「心理的安全性」がかなり高い職場だ。その背景として、ひとつはお互いの専門性に対するリスペクトがある。
それぞれに自分の得意分野を持っているが、自分1人でできることが多くないことも、異なるメンバーの異なる知識やスキルを合わせれば複雑な問題を解決できることもよく知っている。だからお互いの意見に耳を傾け、助け合う。
もう一つは、トップの姿勢だ。ソフィアで大切にされている「メンバーコード」には、「素直・謙虚・フェア」「お互いを尊重し讃え合う人であれ」「好奇心と遊び心をもつ楽しい人であれ」という3つの項目があり、何よりも社長自身が、自分の考えには固執せず柔軟にさまざまなアイデアを取り入れている。
そして、アイデア出しの場で、実現性を無視して誰よりも馬鹿げた突飛なアイデアを出しては周囲の社員からいじられまくるのも社長だ。
これがアイスブレイクになって、新しく入ったメンバーも、「自分の率直な意見を言ってもいいんだ」「粗削りな馬鹿げたアイデアを出してもいいんだ」「人と違うことを主張してもいいんだ」と徐々に自分らしさを出せるようになっていく。
ソフィアで求められている成果が「お客様の課題に対してクリエイティブな解決策を提案すること」ならば、「心理的安全性」がソフィアをクリエイティブな組織にしている一要素なのかもしれない。
アイデアに「正解」なんてない
たとえば、どうしても経験がものをいう職人的な仕事であれば、熟練した職人と入門したての職人の差は歴然だ。厳しい師弟関係の中で、まずは先輩のやり方をまねて型を身に付け、正しい知識と技術を身に付ける。創意工夫はその後だ、ということもあるだろう。
しかし、「新しいアイデア」を求める場で、上司や先輩の威厳は妨げになる。
会議の場で口ごもっていた人に、上司のいない場で話を聞いてみると、「自分は知識も経験も足りないので、もしかしたら間違っているかもしれないし...」「実はこんなアイデアがあるんですけど、どうせ上司の気に入るものではないので...」「今のやり方では上手くいかないってみんな思っているんですけど、言える雰囲気じゃないんです...」といった発言が出てくることがある。
本当のところを言えば、アイデアに良いも悪いもないし、アイデアはアイデアなのでその時点で根拠がしっかりしている必要はない。足りないものがあれば、他の人が補足してもいいし、あとから調べて付け加えてもいいのである。まずはアイデアの量を確保する。
そしてアイデアが採用されるかどうかの基準は「良い・悪い」「好き・嫌い」ではなく、「目的やゴールに照らして、そのアイデアが適切かどうか」のみだ。
「正解を求める」雰囲気を作っているのは上司なのだろうか、それとも部下が勝手に「完璧な意見でなければ発言してはいけない」と思い込んでいるのだろうか。
率直に自分の考えを言っても良いという安心感は、ひとえにお互いに「一人の人間として尊重してもらっている」という信頼や、相手の個性や能力に対するリスペクトから生まれるのだと思う。
誰にも得意なことと不得意なことがあるのは当たり前のこと。部下にも上司より優れている点が必ずある。1人1人はデコボコでも、それぞれの得意なことを生かして補い合えば大きな結果を出すこともできる。
完璧を目指すスーパー社員が何人も揃ってお互いにしのぎを削っている組織よりも、デコボコな人間が集まって自分らしく能力を発揮できる組織の方が、よりクリエイティブになれるのではないだろうか。
「若手からアイデアが出ない」と感じたら、まず職場の「心理的安全性」に注意してみるといいかもしれない。
*プロジェクト・アリストテレス 参考記事
text by seo
2015年6月16日Sofiaコラムより転載