「新国立競技場のもう1つの可能性」5月12日
昨日のシンポジウムでは多くの方々にご参加いただきましてありがとうございました。伊東豊雄先生と中沢新一先生の軽妙闊達でありながら、肚を割ったお話しに私もとても感激しました。
当日の配布資料やプレゼンデータは下記です。
パリ=マラケ建築大学 の校長でもあるナスリン・セラジ氏から寄せられた伊東先生への応援コメント
◎上映画像
・伊東豊雄「新国立競技場への疑問」
・森山高至「新国立競技場もうひとつの可能性」
・松隈洋「明治神宮外苑の歴史的文脈と2つの東京オリンピックから考える」
・森山高至「新国立競技場建て替え計画の諸問題」
・松隈洋「新国立競技場計画に求められる未来への想像力」
配信の画像ではプレゼン資料が読み取れなかった方々もいらっしゃったでしょうから、解説を加えてみたいと思います。
まず、伊東先生のコンペ応募案の解説からです。
コンペ応募時に求められた唯一の決定根拠が鳥瞰パースであったため、
この見え方ではペラっとインパクト弱いでしょう?それには理由があります。
この屋根面全体はソーラーパネルなのです。
なので空の色を暗く反射しているだけなのです。
また、四角い開口部もシャッターみたいに見えますが、これはピッチの芝を健全に育成させるにはこれくらいの大型開口が必要なのと、ピッチに妙な影を落とさない工夫です。
といっても、この見え方は鳥瞰図というくらいですから、
「上空からはこう見える」というだけで、
このように建築が補足されることはありません。
あくまで建築の良しあしの判断は、
槇先生もおっしゃっているように足元から、
地上1.2~1.5mからの見え方が重要だったんですけどね、、、
ザハ案との比較です。白い輪郭がザハ、その中にすっぽり入る大きさですよね。
本体はザハ案の70%くらいですが、屋根の開口部はザハ案より大きいのがわかります。
続いて高さ方向での比較。
高さは50メートルに抑えてあります。同時に屋根面の厚みを薄く薄くしようとするデザインであることがわかりますね。
ここからが重要です。人間からの目線です。
楕円の壁面がすーっと展開しているだけですが、何か透明なのかなんなのか透けていますよね。
これはですね、スクリーンなのです。
ちょうど京都の家等で屋根の軒につるす簾(すだれ)とか葭簀(よしず)のような機能をもっているんです。
外からは建築の輪郭を決める外壁ですが、そのことで、スタジアムの周囲を半外部化してあります。
そのスクリーンの内側は、透かし彫した薩摩焼の壺みたいな網目模様になっていますが、
これは本当に透かし彫りで、外からの風を入れて自然喚換気による空調を兼ねた模様なんです。
その透かし彫り薩摩焼と簾(すだれ)の間が、遊歩道と公園となっておりまして建築周囲には水を流してある。そしてこの半外部空間はスタジアムを利用しない人たちでも自由に出入りできるため、非常に公共性の高い建築であると同時に、建築物本体が広い溜まりが縁側のように取り巻かれているため、入退場時の混雑の緩和と災害時の一時避難場所としても機能すると思われます。
そのデザインソースは直視的には気付きにくいですが、非常に日本的なものといえるでしょう。
あくまで私の見立てですが、この建築のコンセプトを画像化すれば、
こんな感じではないでしょうかね。
薄い軒の下に吊るされた簾(すだれ)と縁側の空間に透かし彫り薩摩焼がすっぽり収まっているというわけです。
この伊東案は、応募案中でいってみれば機能を優先してデザインされた側の代表といえるのではないでしょうか。
にもかかわらず、どこかに伊東先生らしさというものも残っていて、地味に見えますが、大がかりなスタジアムという建築をあくまで都市的な背景として抑えた表現に収まっていると思います。
伊東先生がシンポジウムでおっしゃっていたことに、
「応募要項のせいでザハの案が大きくなった!JSCが悪い!という声もありますが、応募要項で70mとされ、利用敷地も拡大されていたとしても、きちんと配慮して小さく設計デザインして機能を確保することは出来るんです。」
というご意見をはっきりと物語るものですよね。
つづいて、改修提案について解説します。
(2014年5月13日「建築エコノミスト 森山のブログ」より転載)