くらしてみる
新潟県のほぼ真ん中にある、ものづくりのまち「燕三条」。
上越新幹線の駅名にもなっていますが、実はそんな地名はないんです。
どうやら燕市と三条市の一帯を燕三条と呼ぶらしく、そんなことを最近知った今日この頃。
私は、2年前にこのまち(三条市)に移住してきました。
もともと新潟県出身ですが、自分の知らない新潟を知りたい。そんな好奇心がきっかけ。
以前、旅行会社で働いており、私の中でありきたりな観光スポットばかり集めた「新潟」のイメージができてしまっていました。もっと気づくべきものがある。目の前の良いものに気づけるようになりたい。そして食や自然が魅力とされる新潟で「ものづくりのまち」と称される地域に感性を磨いてもらえそうで、なんとなく縁を感じ暮らしてみることにしました。
写真:日野浦刃物工房の刃物
しらべてみる
工場があまりない地域で育ったわたしは、このまちにきて「工場見学」が身近にあることに驚きました。そしてそれが「産業観光」になっていることにも。オープンファクトリー?産業観光?ってなんだろう?工場を観て楽しいの? はじめはそんな感覚でした。
写真:諏訪田製作所(オープンファクトリー)
この感覚に疑問をもったことをきっかけに、まず「観光」という言葉を調べてみました。
「観光」・・・語源は古代中国「易経」にある「観国之光、利用賓干王(国の光を観る、用いて王に賓たるに利し)」の一説による。この意味は色々な解釈が可能ですが、「普段生活をしている場所から離れ、見聞を増やし、勉強すること」。
私は、「観光=娯楽」という解釈をしていました。一生懸命働く人を娯楽の一環としてみることに若干の嫌悪感があった中で知った観光の語源。燕三条における、オープンファクトリーという現場を観て、職人さんに出会う産業観光は、「見聞を増やし、勉強すること」。きっとこの意味をもっているんですね。
写真:永塚製作所 工場の祭典の様子
いってみる
実際に工場に足を運んでみました。オープンファクトリーは、諏訪田製作所のようにガラス張りで工程を順番に見れるところ、小林工業のように現場の空気を一緒に感じられるところなど、1つ1つ工場によって色がありました。
写真:小林工業 職人さん
とある工場では「自分の作った製品がどこで売られているか知らない」という職人さんがいました。この方は、誰かに使ってもらう喜びではなく、自分の作ったものがこの世に残ること、そこに誇りを感じているのだろうか。
親から受け継ぎ、それを何十年も続けていること。きっと誰かがこの職人さんの作った製品をどこかで使っていること。それがもしかしたら自分かもしれないこと......。勝手な想像にすぎないのですが、「かっこいい」のひとことでは表せない感覚になりました。
写真:鎌を叩く職人
そんな風にリアルな雰囲気や職人さんから聞く話から、想いや人間模様を感じることができる工場って、おもしろい。きれいな景色をみて、美味しいものを食べることも良いけれど、工場見学も予想以上に五感を刺激される。そしてなにより、汗を流し、哀愁漂う大人、かっこいい。久しぶりに高揚感を得た1日でした。
きづいてみる
工場見学のあと、普段の生活に目を向けてみました。意識してみると、たくさんのものに囲まれていることがわかります。料理に使う鍋や包丁、カトラリー。畑で使う鎌や鍬。携帯電話の部品だって、もしかしたら燕三条でつくられているかもしれない。
写真:小林工業 カトラリー
工場を見学したあと、感覚が変わっている私に気が付きました。ものを大切にすることって、小さい頃に親や先生に言われていたけれど、大人になって工場をみて、職人さんに会って、初めて自発的に思いました。それと同時に、いまある目の前のものを長く使えるように手入れをして使っていこうとも。
私はどんなものに囲まれて暮らしをしたいか、どんなものに対価を払いたいか。工場見学で感じたこの感覚がこれからの暮らしを考えるものさしになりそうです。
写真:小林工業 作業様子
つたえてみる
しかし、工場見学を通し知ったこと、後継者や人材は不足しているんです。どうしたら、この問題が解決できるだろうか。
きっと、この文章を読んでくれるのは大人。そして工場のかっこよさに惹き付けられるのも大人。
私は、大人が子供にあきらめずに伝えること、そして子どもと一緒に工場をみることが未来につながるのではないかとふと思いました。将来の職業の選択肢として、テレビでみるスポーツ選手よりも生で見る職人の方がかっこいいかと。大人の感覚かもしれませんが。
そして、かっこいいだけではなく、工場を通してマナーを身につけることもできるはずです。職人に対し、マナーを守って敬意を払う。そしてその敬意を払われる職人さんにより威厳とかっこよさを感じるのではないかと思います。
写真:日野浦刃物工房
幼少期の自分は、工場育ちではないけれど、工場は暗くて、汚れていて、ずっと同じ作業でおもしろくなさそう。そう思っていました。
そんな経験をふまえ、いま伝えたいこと。
工場をちゃんと見てごらん。働く人の真剣な顔や細かな作業。今日のこの作業があるからこそ、ものがあって、暮らしがある。大人から子どもではなく、「おれんちの父ちゃんかっこいいんだよ」と子どもから子どもへ伝える連鎖が、このまちの暮らしを通して増えたら、未来が面白くなりそうですね。
※燕三条の工場についてはあわせてこちらのページもご覧下さい。
「燕三条工場の祭典」https://kouba-fes.jp/about-2018/
※この記事は、燕三条ローカリストカレッジの受講生が取材・執筆した記事です。