日本の著作権法をデジタルにアップデートしよう!「海賊版」を取り締まっても意味がない理由5つ

ブリュッセルの欧州議会の海賊党で働く日本人のRioさんは、「日本の著作権法」と「海賊版」をどう考える?

Tatsumaru Times初の寄稿記事です!

初の寄稿記事は、なんとブリュッセルの欧州議会の海賊党で働いているRioさんからになります。欧州議会の海賊党で働く日本人はおそらくRioさんが初めてで、ぼく自身もいつもブログを読ませていただいています。

ずばりテーマは、「日本の著作権法」と「海賊版」についてです。それではどうぞ!

TPPが合意にいたり、日本でも著作権改正にかんする議論が盛りあがってきています。とくに、「非親告罪化」―作者の訴えがなくても著作権侵害を告発できてしまうこと―はアニメやマンガの二次創作ファンを中心に「コミケが摘発される」などと波紋をよんでいます。

いっぽうで、近年の「著作権の強化」という動きそのものにたいする懸念の声は日本ではほとんどあがりません。デジタルテクノロジーが発達するにつれ、コピーやシェアはインターネット以前の時代からは考えられないほどかんたんで、1クリックでだれもができる「あたりまえ」のこととなりました。それとは対照的に、世界の著作権法は年々厳しく、「コンテンツのコピーやシェア」をゆるさないものとなってきています。TPPの締結でこの動きは加速します。これはなぜなのか?はたしてそれはこのデジタル時代に妥当な法律なのか?日本で議論されることはほとんどありません。

私が住んでいるヨーロッパではこの「デジタル時代の著作権」にかんする議論がとりわけ盛んです。それは、コンテンツが国を超えて消費され、違法ダウンロードや海賊版が世界中で流通している状況に向き合い、「それらはもはや撲滅することはできない」という「現実」をまず見据えること。そして「このデジタル時代にあったあたらしいコンテンツ消費のありかたを追求していかなければならない」という未来志向の議論をすることからはじまっています。日本ではアニメキャラに「ありがとう」と言わせたりして海賊版をとめようとしているようですが、なぜ海賊版が流通するのかという背景的な議論はほとんどなく、海賊版対策はコストがベネフィットに見合ったものなのかという根拠は不明瞭です。

まず、以下はヨーロッパでよく議論される「海賊版を取り締まっても意味がない理由」5つです。

1.「海賊版」を取り締まっても正規版の売り上げはあがらない

海賊版をどんなに摘発し、どんなに逮捕しても正規版の売り上げは上がりません。これは、いくつもの科学的論文(たとえばこれこれこれ)でも結果がでています。日本でも、この時期の風物詩となっている年間シングルCDランキングをみればわかります。トップを独占しているのは、「違法ダウンロードに関係なく売れる」アーティスト、つまりCDをオマケとして、本当は「付加価値」(握手券やミュージックカードなど)をメインとして売っているアイドルたちです。もし海賊版を取り締まったぶんだけ正規版が売れているなら(日本では違法ダウンロードは2012年に刑事罰化しています)、ランキングには握手券なしで売れるアーティストが入っていることでしょう。

2. 「海賊版」は正規版がでないから流通する

私が住んでいたスウェーデンでは、みんな違法ダウンロードすることがあたりまえでした。日本のアニメやマンガが好きな彼らに「なんで違法ダウンロードするの?」と聞くと、「だってどこにも売ってないから」。とくにスウェーデンのような小国だと、日本のアニメやマンガは正規翻訳版を手に入れることができるのがヘタすると日本語版の2年後だったりします。正規版が配信されないものさえあります。配信されるかされないかわからない状況で、オタクが待つことなど当然できません。海賊版の流通は正規版がでないからこそおきる現象―つまり、良質な正規版を日本と同時に世界中に配信しないかぎり、海賊版を撲滅することなど絶対に不可能なのです。

スウェーデンはこれを実証しています。スウェーデンは世界一ともいえる違法ダウンロード大国で、80%を超える国民が「違法ダウンロードは合法化されるべき」と考えていますが、SpotifyやNetflixなどの上質な正規版が普及したことによって違法ダウンロードの数が減少しています

「違法ファイルシェアをしたことがない」「ファイルシェアは違法なのでするべきでないと考える」

スウェーデン若年層の統計(copiaより)

3.「海賊版」の取り締まりは二次創作をつぶしてしまう

世界中で蔓延している海賊版を取り締まろうとすると、人がいちいちチェックしていては対処しきれないので、一定のアルゴリズムで海賊版を検知するソフトウェアにその判断を任せることになります。これは日本が誇る「二次創作文化」をつぶしてしまうことにつながります。たとえばMAD動画や「踊ってみた」動画、「実況動画」などはオリジナルのコンテンツをそのままつかっているため、もし本格的に海賊版を取り締まることになった場合、消される可能性が高いでしょう。

仮にこれらが取り締まりの対象外となったとしても、コンテンツをそのままつかった「翻訳吹替版」はどうなのか?マンガのファンサブは?コピーやリミックスがこれだけかんたんになった時代に「海賊版」と「二次創作」を明確に線引きすることなど不可能です。日本では「二次創作を尊重し、海賊版を撲滅する」という主張ばかりが先行しているようですが、なにが二次創作で、なにが海賊版なのか?だれがその線引きをするのか?といった疑問の声はほとんど聞かれません。

4.「海賊版」の取り締まりは大量監視社会をひきおこす

これもヨーロッパではよく行われている議論です。もし海賊版の取り締まりをしようとすると、ユーザーがどのようなコンテンツをアップロードしたのか、そしてそのユーザーはどんな人間なのかをつきとめ、開示する権限をインターネットサービスプロバイダーに与えることになります。これはオンライン上のユーザーのプライバシー侵害の問題を抱えていることに加え、プロバイダーが「オンラインにあるべき情報」「あってはいけない情報」を決定できるという点で表現の自由、言論の自由にも関わってくる問題です。

2010年、海賊版撲滅を目的として、ACTAという国際条約が日本主導で(ほとんど報道されることなく)合意されました。けれど、批准の段階でヨーロッパ中でACTA反対のデモがふきあれ、結局欧州議会が圧倒的多数で否決し、EUは批准を見送り。これにつられるようにほかのすべての署名国も批准をせず、批准したのは日本だけというおそマツな結果に。

日本はACTAのために著作権法改正までして著作権侵害への取り締まりを準備万端にしたのに、結局ACTAは発効せず、国際社会から見捨てられることになりました。このときヨーロッパのデモで叫ばれたのが、上にあげたように「ACTAは海賊版取り締まりを名目として、大量監視社会をひきおこす」というもの。この視点を理解していかない限り、日本は世界の著作権法改正という分野でまた過ちをくりかえすことでしょう。

ACTA反対デモのようす

5.「海賊版」の取り締まりはイノベーションを阻害する

スウェーデンでは2000年代中盤から違法ダウンロード問題が深刻になり始めました。しかし、この状況を実際的に克服しようという動きから、Spotifyがうまれ、Soundcloudがうまれ、それが音楽ストリーミングサービスやフリーミアムモデルといった、デジタルコンテンツのあらたなビジネスモデルへと花開いていきました。

日本の議論は「海賊版=いけないもの」という先入観がつよすぎて、「海賊版がでてきてしまう背景にはなにがあるのか?それを克服するにはどうすればいいのか?」というイノベーションの観点が欠落しています。たとえば翻訳正規版を日本と同時に公開するにはどうすればいいのか?商業目的の二次創作をオリジナルに還元していく方法はないのか?など。これは日本のコンテンツが世界でうまくいかない根本的な理由であると私は思っています。

コンテンツをコピーすることで稼ぐビジネスモデルに依存しない、そして仲介業者ではなくクリエイターそのものに還元するような、あらたなコンテンツビジネスの形を探しましょう。海外のスタートアップであるPatreonNounProjectは良いロールモデルになります。

そしてこれらを促進するにはまず、イノベーティブなビジネスを違法としてしまわないような、柔軟な著作権がなくてはならないのです。

...私がいま働いている欧州議会の海賊党では、まさにこのような主張をしてEUの著作権法をアップデートしようとしています。私たちは、デジタルテクノロジーがコンテンツのシェアとコピーを限りなく容易にした時代に生きています。この時代では、だれもが自由に創造できるクリエイターであり、だれもがそれを自由にリミックスし二次創作し、拡散させることができる力を持っているのです。にも関わらず、私たちはまだ19世紀にうまれた著作権法にしばられて生きている。19世紀にYoutubeやFacebookやTwitterの出現を誰が予想できたでしょうか?二次創作やコピーを違法とする現代の著作権は時代にあっていない―これを主張して台頭したのが、スウェーデンで始まった海賊党でした。

EUでは2020年のデジタル単一市場完成に向けて著作権の改正を重要政策のひとつと位置付けており、今年から本格的に動きはじめています。日本でも、来年の著作権改正にむけて(まだTPP批准していませんが...。)すでに議論がはじまっています。日本は世界一、ユーザー発のコンテンツ(UGC)の文化が発達している国。そんな文化をもっと豊かにするために、ユーザーだれもが自由に創作でき、イノベーションを促進するような自由で柔軟な著作権法をつくっていくこと。日本でこそ、デジタル時代の著作権は可能だと私は考えています。ネットを使う私たちひとりひとりが考え、声をあげていきましょう。

【参照文献】

寄稿者プロフィール

Rio。1991年生まれ。早稲田大学社会科学部・政治経済学部中退。早稲田在学中にスウェーデンに留学し海賊党に出会う。そのままEU政治とEUデジタル著作権法改正について勉強するためオランダに移る。大学卒業後、現在欧州議会の海賊党議員、ジュリア・レダ議員のもとでインターン中。https://ldjp.wordpress.com/

※この文章はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 ライセンスの下に提供されています。

以上、Rioさんによる寄稿でした!ありがとうございました!

著作権法と海賊版について、ヨーロッパの流れをくみながら、ここまでわかりやすくまとめることができるのはおそらくRioさんしかいませんね。

ぼく自身もエドワード・スノーデン事件を発端に、ネットとプライバシーに関するヨーロッパの議論を追っていた時期がありました。そしてその中で、著作権に関する問題を知るようになったのでしたが、そこまで深入り出来ずにいて議論を整理できずにいたのでした。

ですので、このようにわかりやすくまとめていただき、大変助かりました。

とくに「監視社会」に関する議論は、エドワード・スノーデンのNSAの諜報活動について書いた、こちらの記事とも非常に関連があります。というか、ACTAが批准された日本では著作権法改正もされたので、ヨーロッパとは真逆の方向に進んでいます。これがあるからSpotifyも日本進出が遅れているんですかね。

記事でも触れていますが、コンテンツ大国の日本が、今じゃ逆に自分たちの首を絞めているということですね。音楽、マンガなどに限らず、すべてのクリエイターがこのイシューを認識する必要があります。今のままじゃ「アンクール」なジャパンにしかなれないということです。

【関連記事】

注目記事