イスタンブールの裏道

ボスポラス海峡に面した古都イスタンブールは、古代ローマからオスマントルコまで、様々な帝国の記憶を秘めた、歴史遺産の宝庫である。

ボスポラス海峡に面した古都イスタンブールは、古代ローマからオスマントルコまで、様々な帝国の記憶を秘めた、歴史遺産の宝庫である。

私にとってこの町の最大の魅力は、迷路のような裏道である。衣類から家具、大工道具、香辛料、トルコ特有の甘い菓子まで様々な商品を売る小さな店がびっしりと路地を埋めている。路地には常に沢山の市民が歩いており、立錐の余地もない。この雑然とした雰囲気は、私が住んでいる西欧とは全く異質のものだ。

イスタンブールの市場にて(筆者撮影)

路地の途中には、無数のモスク(イスラム教の寺院)があり、市民が靴を脱いで礼拝所に入っていく。列柱とカーブを描いた丸屋根、そして美しい青色の装飾タイルが、自分がイスラム世界にいることを印象づける。

エミニェニュ地区にある「グランド・バザール」は、イスタンブール最大の商店街。3万1000平方メートルの敷地に、4000軒の小さな店がひしめく。15世紀に作られたバザールは、人いきれでむんむんしている。唐辛子の赤色、サフランの黄色が目に飛び込んでくる。アラブ世界のエネルギーがひしひしと伝わってくる場所だ。

私はバザールの近くの裏通りに、大きな中庭を持った古い4階建ての建物を見つけた。薄汚れた黄色い壁が、時の流れを感じさせる。中庭に面して廊下があり、小さな部屋が沢山作られている。

これは中世に欧州と中東の間を行き来した行商人たちが滞在した、キャラバン・サライ(隊商宿)である。かつて行商人たちが旅の疲れを癒した小部屋は、現在中小企業の事務所や、手工業者の作業場として使われている。

あるキャラバン・サライの最上階で、壁に設けられた小さな木の扉を開けると、狭い階段があった。この階段を通じて、屋根に上る。目の前に、ボスポラス海峡とイスタンブールの旧市街、新市街のパノラマが広がった。

その時、「アラー・アクバル(神は偉大なり)」という声が響いた。多数のモスクの尖塔に取りつけられたスピーカーから、憂愁に満ちた祈りの声が流れ始めた。冬空を映すボスポラス海峡は、深い灰色に沈んでいた。

ボスポラス海峡に「アラーは偉大なり」の声が響く。(筆者撮影)

たえ間ない人と車の行き来にもかかわらず、古都は陰鬱な雰囲気をたたえていた。この時トルコは、すぐ南の隣国シリアからの難民を160万人も受け入れていた。灰色のイスタンブールは、アラブ世界の混沌に首をすくめているかのように見えた。

(文と写真・ミュンヘン在住 熊谷 徹)

保険毎日新聞連載コラムに加筆の上転載

筆者ホームページ: http://www.tkumagai.de