政治家というのはハードな仕事だが、メルケル首相が今年2月に展開した精力的な首脳外交には、度肝を抜かれた。
メルケル氏は、ウクライナ東部の内戦が激化していたことから、停戦実現のために、2月5日にフランスのオランド大統領とともに、キエフに飛びポロシェンコ大統領と会談。
メルケルは2月6日にベルリンで別の日程をこなしてから、今度はモスクワへ行ってプーチン大統領と会談。その後、2月8日にミュンヘンの安全保障会議に出席し、すぐまた飛行機に乗ってワシントンへ向かった。
2月9日にオバマ大統領と会談したメルケルは、再び機上の人となり、欧州へ帰還。2月11日にはミンスクで、プーチン、ポロシェンコ、オランドとともに四者会談に臨んだ。
16時間にわたるマラソン会議で、ウクライナと分離独立勢力は、停戦に合意した。(その後戦闘は再開され、停戦は事実上無効になった)
メルケルはその後ブリュッセルへ飛んで、EU首脳会議に出席、ギリシャのチプラス首相と会談。何たる体力!
メルケルが各国の首都を1日おきに飛び回ってプーチンとポロシェンコを説得し、話し合いのテーブルにつかせたのは、欧州でウクライナ内戦についての懸念が刻々と増しているからである。
米国では「ウクライナに武器を供与するべきだ」という意見が出始めている。メルケルは米国でオバマに武器供与を思いとどまるよう要請したに違いない。
メルケルは、「ウクライナ危機は軍事的手段では解決できない」と固く信じているからだ。彼女はミュンヘンの安全保障会議で行った演説で、「1961年に東ドイツ政府がベルリンの壁を築いた時、米国が軍事介入しなかったことは、正しい判断でした」と強調。
もしも米軍が武力で壁の建設を防ごうとしていたら、東ドイツ軍やソ連軍との間で戦闘が展開され、多くの犠牲者が出ていたかもしれない。メルケルによると、ベルリンの壁が1989年に、武力ではなく市民の力で崩壊したことも、軍事力以外のパワーの重要さを示している。
ウクライナの親ロシア勢力は、東部地域を共和国として独立させることを希望している。ウクライナ政府は、独立を認める気は全くない。プーチンは門外漢を装っているが、ロシアが戦闘部隊や兵器をウクライナ東部に送り込み、分離独立派を支援していることは周知の事実だ。
この三すくみ状態をメルケルは打破することができるだろうか。ポーランドやバルト3国では、ロシアで帝国主義が復活したことについて、不安の声が高まっている。一刻も早く戦争の暗雲を打ち払うべきだ。
(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ
保険毎日新聞連載コラムに加筆の上転載