「障害者スポーツは福祉なのかスポーツなのか。」パラスポーツの可能性

障害の有無以外の面でも多様性がすごい!
Paul Hanna / Reuters

障害者スポーツ=福祉?

「パラスポーツが好きです。」「車椅子ソフトボールに関わってます。」

こう周りに話すと、「へえ、そういう福祉系のことやってるって偉いね。」「ボランティアみたいなこと好きなんだね。」などとよく言われる。しかしその度に私は違和感を感じる。

私はスポーツの観戦が趣味だ。いろんな障害者スポーツの試合も観に行くし、車椅子ソフトボールのチームの活動にも関わっている。だが私は、純粋にスポーツとしてパラスポーツも好きなのであって、福祉の気持ちで観戦するのではない。

2014年に、それまで厚生労働省の所管だった障害者スポーツが文部科学省の所管に移るなど、少しずつパラスポーツも「福祉」から「スポーツ」に変わってきている。しかし未だに人々の認識では福祉という面も大きいのかもしれない。

先日の平昌大会では、オリンピックと比べてパラリンピック競技の放映時間は少なく、ワイドショーなどを見ていてもパラリンピックの注目度はオリンピックよりも低いことが感じられた。この原因として、多くの人の心の中に、パラリンピック=「障害者の」スポーツ、という認識があるのではないかと思う。皆さんの中に障害者スポーツをプレーしたことがある人、または見たことがある人はどのくらいいるだろうか。テレビでの放映も少なく、体育の授業で体験することもほとんどないため、障害を持っていない人にとって障害者スポーツはなじみが薄く、ルールを知る機会や興味をもつ機会も限られているのではないか。

心のバリアフリー

2020年の東京大会に向け、少しずつではあるが物質的な壁は取り除かれはじめ、バリアフリーが進んで来ているように思う。しかし心のバリアは、法や設備を整備するだけではなかなか取り除くことはできないのではないか。

パラリンピック創設者であるルートヴィヒ・グットマン博士の言葉にこんな言葉がある。

It's ability, not disability, that counts.(失ったものを数えるな。残された物を最大限にいかせ。)ルートヴィヒ・グットマン

パラスポーツを見ていると、人間の可能性は本当に無限大であることを改めて感じることができる。例えばゴールボールをプレイしている選手はアイシェードで視力こそ無になるものの、彼らは音だけで方向や空間ですら把握することができるのだ。障害者スポーツ=福祉と考える人には、障害を持っている人は自分よりできないことが多く、助けてあげなくてはいけない人、と考えている人も少なくないのではないか。わたしもパラスポーツに出会うまではその1人であった。しかし選手達の生き方や前向きな姿勢、競技との向き合い方は、健常者の障害を持つ人への偏見を取り払ってくれるだけでなく、同じ障害を持つ人のロールモデルにもなっていくと思う。

障害の有無以外の面でも多様性がすごい!

今回平昌パラリンピックでも話題になったパラアイスホッケーのように、パラスポーツには選手の年齢層が広いものや、男女混合で行う競技もよく見られる。多様な人々が同じ場所で競い合う、それもパラスポーツの大きな魅力の1つである。

2年後の2020年には東京でパラリンピックが開催される。これはより多くの日本人にパラスポーツを身近に感じさせるきっかけになるはずだ。そしてこれを機にパラスポーツが、「障害者がするスポーツ」ではなく、「みんなで楽しむスポーツ」になってほしいと思う。

注目記事