あなたは「空気を読んで」ライブ会場で一緒に立ち上がって歌っていませんか?

少し前に女性週刊誌が配信した、とあるライブ会場で起きた「事件」についての記事を読んで、自らを顧みた人間は私だけではあるまい。

とあるライブ会場にて――

「あっ、この曲では立った方がいい? は、はい、立ちます、立ちますね......(ヨ、ヨッコイショ......)」「あっ、手拍子? て、手拍子ね! ぱん、ぱぱん、っと、こりゃ普通の手拍子じゃないね、ぱん、ぱぱん、ぱん、ぱぱん、ぱぱぱぱん......。む、むずかしいな。ぱん、ぱぱん、ぱん、って、こ、これであってますぅ......?(チラッチラッ......)」「な、なんだ!? みんなして歌いはじめたけど......。えーと、う、歌った方がいい? い、いや、歌います、う、歌いますってば! かかかかかなしみのはてにぃ~♪ って、し、しまった、声がでかすぎた! 音も外しちまったよ......!(カアアアア......)」

大好きなアーティストの演奏を聴きにいったはずなのに、そこで聞こえたのは根深い己の業の声だけ。大好きなアーティストの生の姿を観にいったはずなのに、そこに見えたのは肥大化した己の自我の姿だけ。こは、如何に。

少し前に女性週刊誌が配信した、とあるライブ会場で起きた「事件」についての記事を読んで、自らを省みた人間は私だけではあるまい。

ユーミンも困惑…「ライブ中に立つな」って暴論?

《一列の真ん中のお客さんが、コンサートの半ばの曲でスタンディングをなさったのですが、その真後ろの席の方が、ふいに立たれた方の頭をたたいたんです。邪魔だから座れ! という合図だったと思います。そのあと、最前列の方は席に着かれました。あまりに唐突な出来事で、びっくりしてしまいました》

 松任谷由実のファンサイトの掲示板に寄せられたこの一文が波紋を呼んでいる。"事件"が起きたのは、昨年12月6日『松任谷由実コンサートツアー2013-2014 POP CLASSICO』大阪・フェスティバルホール公演。ツアー関係者の1人はこう話す。

「今回のツアーは、新アルバム『POP CLASSICO』の発売に合わせたもので、バックミュージシャンも若手を起用し、MCで『変わらないのは私だけ!?』と今年還暦を迎えたユーミンがおどけるシーンもあります。ただ来ているファンはあきらかに高齢化。また新アルバムはミディアムテンポの曲が多く、ファンもこの曲は立っていいのか、座って聴くべきか、判断がむずかしい」

 果たしてライブの途中で立つのはOKかNGか?(以下略)

女性自身 3月28日(金)0時0分配信

これをめぐってネット上で議論は紛糾。大変な物議を醸しているようだ。

「盛り上がりを演者に伝えるためにも立ち上がるべきだ、座ってるやつ意味わからん」「いや、元気な人だけがライブに来るわけじゃない、座ったままじっくり聴きたい人だっているだろう、その人たちのことを考えるとうかつに立てない」「周りが座ったままだと自分がどんなに盛り上がっていても立ちづらいよね」「スタンディング席と座って観たい人用の席を別々に設ければいいじゃん、おい、主催者なんとかしろ」「いや、そういう問題じゃないだろう、ライブは自由な空間なのだから」云々......。

私個人の意見はこの場では言及するつもりはないが、これらの議論の根底に流れるひとつの潮流を見てとることはできるだろう。

「空気」を読むか、読まない(読めない)か。それが問題なのである。

「音の波に飛び込んじまえええええ!」「この瞬間の雰囲気を全力で味わえええええ!」「みんなでひとつのカタマリになっちまおうぜええええ!」「ドントシンク! ジャストフイイイイイル!」......みたいな感じでライブ空間を楽しめる人間はいい。しかし、ライブ会場に集うのはそんなタイプの人間だけではないから話はややこしくなるのだ。

「KY」なんて言葉はもはや死語になってしまったのかもしれないが、「空気読めよ」的な「空気」は、現代日本のそこここに、いまなお根強く存在し続けている。そして、それは、世間のしがらみからもっとも自由であるはずの音楽の世界にも、ばっちり侵入してしまっているようだ。客席全員で同じ手のフリをするべきだとか、ウェーブが起こったら然るべきタイミングで立ち上がるべきだとか、それらの「不文律」を順守することを積極的に是とする人間ばかりがライブ会場にやってくるわけではない。でも、「非国民」や「被告人」の扱いに耐えられない、という理由で、言わば「空気を読んで」、消極的な態度でそれらをこなしている人間だって、確実に存在しているはずなのである。

場面は変わって、とあるライブ会場にて―― 

「今日こそは!」と、息巻くひとりの人間がいた。「今日こそは、ぜったいにみんなに合わせてやるもんか! 自分なりの楽しみ方でライブってもんを楽しんでやるぞ! 好きなときに立って、好きなときに座ってやるぞ! 手なんかぜったいにふってやるもんか......!」

そんな「彼(または彼女)」の頭の中に、突如として「開廷!」の声が響き渡った。気が付けば「彼(または彼女)」は、被告人として法廷に立っているのだった。

と、同時に、みんなと同じ手のフリを拒否した「彼(または彼女)」を右隣の席から激しくねめつけてきた四十がらみの化粧の濃い女が証人として入廷してくる。証言台に立った彼女の手には、アーティストの最新アルバム。

「宣誓! 私は、この世でもっとも神聖な、このCDアルバムに誓い、良心に従って、真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います!」

彼女がおもむろに被告人たる「彼(または彼女)」をびしっと指差し、糾弾をはじめる。

「あたし、確かに見たんです! あの人が、みんながやってるのに、自分だけ手も動かさずに突っ立ってるだけなのを、あたし見たんです!」

それと同時に、傍聴人席からも次々に声が上がる。「僕も見た!」「あたしも見た!」「俺も!」「私も!」「おいどんも!」「ぽっくんも見たぶぁい! ヘケッ」

「静粛に! 静粛に!」裁判官が両の手のひらをこちらに向け、鷹揚に上下させる。

ざわめきがおさまったのを見計らって、相手方の弁護人が立ち上がり、勝ち誇ったような表情を見せたのち、たいそう芝居がかった口調で陳述をはじめた。

「いまの法廷内の『空気』がなによりの証拠です! 被告人が神聖なるライブ空間で『空気を読まない』行為に及んだことは間違いがないと考えます。裁判官、どうか厳正なる審判のほど、よろしくお願いいたします!」

相手方の弁護士が頭を下げる。と、裁判官3名が一斉に立ち上がる。

「判決を言い渡す! 主文! 被告人は、今後いかなるアーティストのライブ、コンサート、およびそれに準ずるものへの、一切の出入りを禁止とする!」

傍聴人席から割れんばかりの拍手が巻き起こる。その拍手はやがてアンコールを求めるあの独特な手拍子へと変わっていき......気がついてみれば、舞台上にはいつの間にやら大好きなアーティストの姿(グッズTシャツ着用済み)が......。

「アンコールありがとう。それでは聴いてください」♪ジャカジャーン、と奏でられるのは「彼(または彼女)」の一番好きなあの曲のイントロだ。思わず身を乗り出した「彼(または彼女)」は、突如として筋骨隆々たる屈強な男たちに四方から羽交い絞めにされることとなる。

「な、なにをするんだ!?」

「お前には厳罰が下されたのだ」「ここにいてはいけないのだ」「大人しく退場しなさい」男たちは顔色ひとつ変えず、抑揚なくそれらの言葉を繰り返し、さらに腕に力をこめて「彼(または彼女)」を拘束する。

「わ、私がなにをしたっていうんだ!?」

喚き散らしながら後ろ向きにひきずられていく「彼(または彼女)」の全身に、聴衆たちの冷たい視線が突き刺さる。

「空気読めよ」

聴衆のうちの誰からともなく放たれた言葉が「彼(または彼女)」の鼓膜を震わせた瞬間、ライブ会場の分厚いドアが音もなく閉ざされた――

と、この間約2秒。妄想の世界から舞い戻ってきた「彼(または彼女)」は、慌てて席を立ち、「空気」を読んで、周りと同じ動きに必死で自分を合わせていく。内心、「こんな自分は、自分じゃない」なんてことを思いつつ、そんなことはおくびにも出さず、顔の表面で笑って、必死で楽しげなふりをする。そう、「みんな」と同じように――

アーティストの演奏に心動かされて、自分の中から湧き上がってくる衝動を抑えきることができずに、思わず立ち上がったり声を上げたりしてしまうのはいっこうに構わない。でも、「やむにやまれず」そういったことができる幸運な観客は、ライブ会場に、果たしてどのぐらいいるのだろう。「なんとなく」「みんながやっているから」「お約束みたいだし」......つまり「空気を読んで」「仕方なく」、立ったり、体を揺らしたり、声をあげたりしている観客だって、実は結構な割合で存在しているような気がしてならないのだが......。

人間は、自分が無理してやっているものをやらずに済ませている他人を、そのまま黙って見過ごすことができない生き物である。この場合の眼目は「無理して」ということころに置かれている。そう、「無理」がすべての悲劇を生むのだ。

前述の事件の男性は、おそらく、ライブの間中、ずーっと「無理して」会場の「空気」に自分を合わせていたのだろう。みんなが立ったら慌てて立ち、みんなが座ったら慌てて座り、みんなが手拍子をしたら慌てて両の手のひらを打ち鳴らし......。自分の意志をすべて会場の「空気」にゆだねて、そうしてライブの間中過ごしてきたのだろう。

男性はいつしか、それがライブ中の観客の正しい姿であるかのように思いこみはじめた。自分が「無理」をしていることをもはや忘れてしまうほどに、空気を読んで行動を決めるクセが板についてきた。そうこうしているうちに、一種、奇妙な高揚感すら感じはじめている自分すら発見したのだった。

「も、もしかして、俺、いま、ちょっと、楽しいんじゃない!? い、一体感って、いいもんなんじゃない? ら、ライブ最高! い、いぇっふぅーい!(小声)」

ひっそりとしたガッツポーズを超こっそり決め込んだ、まさにその瞬間であった。あろうことか自分の真ん前、しかも最前列という、「もっとも空気を読んだ行動が求められる場所」に座った女性が、いきなり自分の視界をふさいだのだ。

女性は、アーティストの演奏に感動して、「やむにやまれず」立ち上がったようだった。そのことは、彼女の全身から発散される、キラキラした「空気」から一目瞭然だった。女性は、心底、ライブを楽しんでいた。もはや「心酔」と言っても過言ではなかった。そこには音楽を純粋に楽しむ、ひとりの人間の姿があった。

その事実を認めた瞬間、男性のアイデンティティは崩壊した。先ほどまで自分が味わっていた「楽しさ」は、どうやら見せかけのものであったらしい―― 

自分自身に向かうべき怒りの矛先は、完全にお門違いの方向へと駆けていった。考えるより先に手が伸びていた。

「くくくく空気読めよおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

ばっっっちこおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!

これが、この事件の顛末である―― ってまあこれ全部妄想ですけどね、すみません。

しかし、である。あなたには、この事件の男性を笑うことができるだろうか。「空気」ってものに翻弄されて、大なり小なり「無理」をし続けている私には、そんなこと、どうしたってできないのである。

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