カッコよく生きること

人は何のために生きているのだろうか。何のために仕事をするのか。なんで働くのか。仕事を通じて何をしたいのか。何のために勉強するのか。
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新年明けまして、おめでとうございます!

年初らしくこの時期はやはり、1年の抱負や人生の振り返りのタイミングに最適だ。

ということで人生について、思いを巡らせてみたい。

そもそもの話、人は何のために生きているのだろうか。

何のために仕事をするのか。

なんで働くのか。

仕事を通じて何をしたいのか。

何のために勉強するのか。

会社に行ったり、学校に行ったり、家族や友人と楽しい時間を共有することは、何のためなのだろうか。

仕事は生活のため必要。それはそうかもしれない。

しかし、なぜ今の仕事をするのか。

なぜ今のような勤務形態でするのか。する必要があるのか。

皆さんは、この質問にどう答えるだろうか。

この質問に答えるためには、人生の目的や、キャリアの目的を考える必要があるのかもしれない。

実はこの人生の目的を考えること、自分なりに設定すること自体が一番大切なんだと思う。

同じ仕事をやっていても、その理由や思いは様々だ。

「いい仕事」の定義だって、様々だ。

最初の就職活動時に考えたり言ったりしていた、自分の夢やキャリアの夢は忘れてしまっていないか。

ただ生活して衣食住に困りたくないとか、 お金をたくさん稼ぎたいとか、そんな理由で生きてないか。

それが仕事の目的になっていないか。

それは目的ではなくて、手段だ。

金金ばかり言う人は、金が1つの目標のようになっているのかもしれない。

しかし本来は、その金を使ってどういう人生を築きたいのか。

どうやって社会と関わりたいのか。

そっちが大切なのではないか。

金は目標というより、大きな目標へ向かう1つのステップだ。

最終的に何を成し遂げたいのか。何を求めているのか。

私は、そこに向かって走る人間をリスペクトする。

目的がないと、欲望のおもむくままや、損得だけで生きている人間になりがちだ。これは、ただの動物だ。

動物と人間の違いはそこだ。

この「そもそも論」、理想的には世の中と自分がどう関わっていくのか。

社会にどうインパクトを与えたいのか。貢献したいのか。

そこだ。

そこに自分なりの道を見つけ、進んでいくことが「カッコよくて人間らしい」のだと思う。

単純な欲望や損得ではない、「カッコよさ」を求めることが人間らしさだ。

私が年初に読む愛読本はやはり、福沢諭吉の「学問のすすめ」だ。

福沢諭吉の言う学びとは、要約すると「独立自尊して、世の中の文明に貢献すること」だ。

衣食住を得てこれに満足するだけでは、人間の生涯はただ生まれて死ぬだけで、アリとかわらない。ただ他人に害をなさないというだけで、他人にプラスになるような者ではない

そう彼は断言している。

正月はやはりゆっくり本を読んで、自分を振り返る時間を大切にしたいもんだ。

アリヴェデルチッ!

(2015年1月2日「yubu23.com」より転載)