細胞が死ぬしくみ

新たな発見とは、新たな視点を手に入れるようなもの。それは、裸眼でしか世界を見なかった人類が、顕微鏡や望遠鏡を手にしたようなもの。その視座から既知の事象を観察すると、これまでとは別の世界が見えてきます。

■ 生命現象の記述から、メカニズムの解明へ

「なぜ、これほど多くの専門家が世界中で研究活動に従事しているのに、際限なく研究活動が行われているのでしょう。研究対象は枯渇しないのでしょうか。」

ある日、筆者はこのような率直な疑問を投げかけられました。新たな発見とは、新たな視点を手に入れるようなもの。それは、裸眼でしか世界を見なかった人類が、顕微鏡や望遠鏡を手にしたようなもの。その視座から既知の事象を観察すると、これまでとは別の世界が見えてきます。人々の世界観をガラリと変えてしまう革命といってもいい。重大な知見は、存在すら知覚せず、疑問にすら感じなかった事柄を不思議に思わせます。先日のような、稀にもたらされるセンセーショナルな先端研究に触れるやいなや、我々は過去古くなった衣を自発的に、そして無意識的に脱ぎ去ります。そして新たな世界と反発なく調和するべく、新品の服に袖を通して澄ました顔をする。

まぁ、抽象的な御託を並べずに、線虫遺伝学研究の発展の歴史を振り返ることにしましょう。線虫がモデル動物として選択された背景については、前回簡単に触れました。

すべての細胞系譜が記述されたとき、研究者たちは次の研究目標をどのように設定したのでしょうか。当然、彼らは発生過程をただ記述しただけでは終わらなかった。多くの未解決な疑問があったからです。ある細胞は筋肉の細胞へと分化し、ある細胞は神経細胞へと分化します。ある細胞は分裂すると、同じ細胞から分裂するにも拘わらず、その娘細胞はそれぞれ異なる種類の細胞へと分裂していく。この非対称的な分裂を制御するメカニズムがあるに違いない、このメカニズムを明らかにできれば、と考えたのです。

異なる細胞の運命決定に影響を与える、そのような細胞が存在するとしたら。レーザー照射で特定の細胞を殺した後、細胞系譜を追跡することで、細胞同士の相互作用が発生に与える影響について、解析されました。

もう一つ効果的な役割を果たしたのが、遺伝学的な手法でした。もし、細胞系譜に異常が生じれば、その結果は見た目の違いにも現れるはずだ。そう考えた研究者たちは、体の大きさや動き・器官形成に異常がある突然変異系統の中から、細胞系譜に異常が生じる変異体を分離し、数々の原因遺伝子を同定していきました(図1参照)。そのうちの多くが、哺乳類にも機能的に保存されている重要なタンパク質をコードしていました。

■ 細胞死も、また一つの運命

我々人間は、死からまぬがれることはできないことを自覚し、絶望を抱えてなお生きる存在です。個体の発生の中で、一部の細胞もまた、死から逃れられないことが 170 年以上前から生物学者に発見されていました。しかし、細胞死が偶然の産物か、あるいは必然の結末か、長い間議論を呼んでいたのです。1970 年代には、プログラム細胞死(programmed cell death; apoptosis)を記述した論文が発表されたものの、細胞死の実態は闇に包まれたままでした。すなわち、細胞死の背景に生物学的なメカニズムがあるかどうか、ということ自体が不明だったのです。

細胞系譜を記述し、細胞の分化を調べていたホルビッツ博士率いる研究グループは、発生の過程で 959 個の細胞が誕生する一方で、131 個の細胞が決まって死んでいく現象を繰り返し観察していました。特に、神経系の発生中に多くの細胞死が観察されていました(図2参照)。

「細胞死も、細胞の一つの運命であり、細胞が分裂し分化するときと同じように、遺伝子によって制御されているのではないか」

1980 年代に、どのようにしてこの問題にチャレンジしていったのでしょうか。続きを読む前に小休止。もし実際にこの研究テーマを与えられたとして、読者の皆様ならどのような実験を組み立てますか。

■ 線虫遺伝学はダイナマイト 正攻法で岩盤打ちぬく

前回、「自然からサイエンスへの賜物であった」という線虫研究のパイオニアであるブレナー博士の言葉を紹介しました。まさに、ここにおいて線虫の破壊力が発揮されたのでした。生きた多細胞生物の発生中、決まったタイミングで細胞死が起こるという表現型が既に記述されていたことは、重要なポイントの一つでした。ならば、線虫に突然変異を誘発する薬剤を与え、その個体から生まれてくる子ども、あるいは孫の表現型をしらみつぶしに調べていけば、発生中に細胞死が起こらない突然変異系統を分離できる可能性がでてきます。でも、野生型の線虫では発生中に死んだ細胞はすぐに除去されてしまう(図2参照)。野生型を使って遺伝学的スクリーニングを行うことは困難でした。

遺伝学的実験の手法を大きく分けると、2つに分類されます。一つは、順遺伝学といい、もう一つは逆遺伝学といいます。前者は、網羅的な突然変異体の解析から目当ての表現型を示す変異体を分離し、原因遺伝子に落とし込む(マッピング)正攻法です。ゲノム情報も十分にない時代、実験手法自体の制約から、当初ではメジャーな方法論でした。今なお威力を発する実験手法の一つです。一方で現在では、遺伝子情報も蓄積しており、研究開始時点で調べたい遺伝子が決まっている場合が多く、その様な時には後者の手法を用います。最初から目的遺伝子の機能を破壊・あるいは変化させ、表現型観察を通じて遺伝子の機能を解析する手法です。既に突然変異体が分離されている場合には、それを取り寄せれば自前で準備しなくても研究を開始できます。

ホルビッツ博士らが注目したある突然変異体に ced (cell death abnormal)-1(注)がありました。名前と異なり、実際には細胞死は正常に起こります。野生型線虫の発生過程で細胞が死ぬと、すぐに別の細胞によって食べられてしまいます(この現象をファゴサイトーシス、あるいは貪食と呼びます)が、ced-1 変異体では、死細胞を取り込むことができないため、死んだ細胞が長期間、生体内に残り続けるのです。それならば、

ced-1 変異体に突然変異を誘発させ、死細胞が観察されない表現型を示す株を分離すればよい」

役立ったのは、細胞系譜をつぶさに観察するために開発された、線虫を生きた状態で観察し続ける方法でした。生きた状態で観察することができたため、突然変異体を分離する際、貴重なサンプルを失わずにすんだのです。研究グループは、正攻法の順遺伝学的手法を採用し、分離されたおよそ 4000 系統の中から、目的の突然変異体(実際にはダブルミュータント)2系統(ced-3, ced-4;図4)を分離しました。プログラム細胞死が分子の言葉で説明できる現象であることが証明され、見事に岩盤は打ちぬかれたのでした。

【引用文献】

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