史上最年長の42歳でテニスのウィンブルドン選手権3回戦に進出したクルム伊達公子は29日の第6日、女子シングルス3回戦で2連覇を目指す第1シードのセリーナ・ウィリアムズ(米国)と対戦したが2―6、0―6で敗れ、四大大会で2008年の現役復帰後初のベスト16入りはならなかった。共同通信が伝えた。
クルム伊達選手は試合後、「セリーナ・ウィリアムズ選手のサーブの質が高く、リズムが作れなかった。ほかの選手とは格が違う。でも自分のテニスができる部分もあったので、今度は芝ではないハードコートで対戦してみたいと思った。42歳の私が3回戦まで来れたことはうれしいが、満足することなく戦い続けたい」と笑顔を見せていたことを、NHKは伝えている。
クルム伊達公子は1970年9月28日生まれ。京都府京都市出身。6歳の時からテニスを始めた。テニスの名門園田学園高等学校に入学後、88年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体優勝の3冠獲得を達成。高校卒業と同時にプロ転向した。
もともとは左利きだが、テニスでは右打ち、バックハンドは両手打ち。相手の打ったボールが自分のコートでバウンドした直後に打ち返す「ライジングショット」を武器に活躍。プロ転向後は着実に成績を伸ばし、92年には、テニス4大大会のシード権を得て全仏オープンテニスに出場し4回戦に進出した。他にも、全日本テニス選手権2連覇を達成し、それらの活躍からWTA(女子テニス協会)の「Most Improved Player of the Year(最も進歩した選手)」に選ばれた。
94年1月にオーストラリアのニュー・サウスウェールズ・オープンで海外初優勝、同年全豪オープンで自身初の4大大会での4強入りを果たす。95年の東レ パン・パシフィック・オープン・テニス・トーナメントで初優勝し世界ランキングを自己最高の4位まで上げた。全豪オープン(94年)、全仏オープン(95年)、全英オープン(96年)でそれぞれベスト4、全米オープンベスト8(93年・94年)などの成績を残し、96年9月に引退を発表した。
2001年12月1日、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚。引退から12年近くを経た08年4月7日、ツアープレーヤーとして復帰することを発表。本名の「クルム伊達公子 」として登録した。(コトバンク「クルム伊達公子」より要約)
ロイターによると、ウィンブルドン選手権の女子シングルスでは、1985年にバージニア・ウェード(英国)が39歳で3回戦に進出したのがこれまでの最年長記録だった。
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