JAPAN
2014年08月29日 18時28分 JST

中国人の信仰はどこへ向かうのか――キリスト、ブッダ、そして毛沢東

今日の中国では、共産党の独裁政権が勝利の鐘を鳴り響かせている。経済成長の目標は達成され、ライバル国には追いつき、北京オリンピックも無事に終えることができた。しかし上海大学で哲学を研究している名誉教授の話では、政府が勝利だと主張しているものも、中国の国民にとっては空虚なものだと思われているという。

「表面上は目標を達成しましたが、幸せになった人は誰もいません」英語名で「ルーク」と名乗る教授は、ハフポスト・ワールドポストの取材に対し、そうこぼした。「愛も希望のかけらもありません。欧米諸国に追いつこうと、我々中国人は100年以上費やしてきました。我々は科学、技術、そして軍事力を求めています。しかし何より重要なのは『文化の核』となるものです。思考は文化の核を拠り所とするのに、我々はそれを失ってしまったのです」

中国に数多く存在する非合法の教会を信仰しているため、中国語の名前を伏せたいと言うルーク氏は、この国の根幹が揺るがされていると危惧している。彼は、キリスト教へと改宗した。彼と共に大勢の中国人が、現在の中国社会の秩序の溝が広がるのをなんとか防ごうと、多様な信仰へと向かっている。

「人々は愛を示すことを恐れ、他者から嘲笑されることを恐れている。これは社会の終わりと同義である」とルーク氏は落胆する。

中国におけるキリスト教人口は、同国のGDP成長率に匹敵するほどの拡大を見せており、ある学者の予測では2030年までに中国のキリスト教信者の数は、地球上のどの国よりも多くなると考えられている。また、仏教や儒教といった伝統的な宗教に救いを求めようとする中国人も多く、それは中国社会が貧しい農業中心の社会から近代的な産業国家へと転身したことによる反動であると彼らは説明している。中には共産主義のイデオロギーに精神的な安定を見出し、中国共産党の主席だった毛沢東を共同社会の絆を復活させる救世主とみなす者もいる。

「現在の中国は道徳と思想の危機に瀕していると感じている人は多い」と中国の宗教的復興を分析している学術雑誌「Review of Religion and Chinese Society」の編集者は述べている。「中国のよりよい将来を築く礎には、思想の再生によってもたらされると多くの人が信じている」。

信仰と人々の思想に関する問題は1978年以降先延ばしにされている。1978年、当時の主席だった鄧小平が共産主義の桃源郷を築き上げる方向から一転して、現代的な市場経済を構築する方向へと舵を切ったのだ。

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2013年12月、北京景山公園に集まり毛主席の生誕120周年を祝う民衆。

鄧小平が現実主義的に淡々と進めた経済改革は、毛沢東の文化大革命を引き起こした。文化大革命は、1966年から1976年に及び、毛沢東が描いた社会主義を実現するため、資本主義、儒教主義など敵対するイデオロギーをすべて一掃することを目的とした。この運動の熱狂的信者たちは数千年に及び中国の思想の基盤として位置づけられてきた仏教及び儒教の寺院を冒涜した。この間、毛沢東はイデオロギーのマニフェストを発行し、多くの集会の中心的役割を担うことで、自らを神のような存在として多くの人々の心に焼き付けたのである。

文化大革命は10年分の成長を中国から奪い去り、伝統的な中国の宗教を衰退させてしまった。さらにその過程において、何百万人もの人々から毛沢東主義への信頼が消え去った。それ以降35年間の経済改革で、地方と都市部の収入格差は5倍以上にもなった。それでもルーク氏からしたら、国民生活は現在でも「下の下」の状態だと言う。

中国社会が低い水準にある根拠としてルーク氏を含む多くの中国人は、2011年10月13日に起きた事件を挙げる。その日、中国南部で小売店を営む店主の2歳になる娘ワン・ユエちゃんが父親の店の裏路地を歩いていた時、2台の車に引かれた。7分間、彼女は倒れたまま泣き叫び、出血した状態で道路に放置された。その間、18人の通行人がそこを通りがかったが、彼女の身体を避けて通るだけで、手を差し伸べる者はいなかった。その後、ゴミを漁りに来た女性がぼろぼろになった少女を発見し、病院へとようやく搬送された。ユエちゃんは、8日後に息を引き取った。

この一連の事件は有線テレビで放映された。苦しむ人への無関心さを示した、この骨まで凍りつくような映像はその年の動画再生数で2位となった。「ユエちゃん事件」として知られるこの出来事は中国人民の間に自戒と焦燥感を巻き起こし、ルーク氏の中で、「神のご加護が必要だ」という思いが確信に変わった。

■信仰を求めて

ルーク氏のキリスト教への道のりは、何千何百万もの中国人が直面する苦渋の決断をした数年前から始まっていた。彼は妻と幼い子供を残し、より良い仕事に就くために単身で別の地方に引っ越したのだ。彼の望んだ、名門大学の哲学教授という地位は、孤立と結婚生活の破綻と引き換えだった。

ルーク氏は最初仏教の教えに精神の平穏を見出そうとしたが、僧侶の階級制度の強調や儀式の贈答物を目の当たりにして、ほどなくその幻想から目を覚ましたと言う。

「私は法名をもらい、様々な書物を読み、2カ月間毎日祈りを捧げましたが、心の平穏を見出すことができませんでした」とルーク氏は振り返る。

彼はその後、キリスト教に傾倒した。最初にキリスト教を知ったのは、数年前に受けた哲学の授業でであった。国の認可を受けた「三自」教会にしばらく通った後、ルーク氏はこの反勢力的「家庭教会」に愛すべきコミュニティーと帰属意識を持つようになった。

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中国人カトリック信者が河北省自貢市で行われた違法反対勢力教会のミサに到着した時の様子。2013年5月26日撮影

「兄弟姉妹のような関係には愛が満ち溢れ、誰でも発言することができます」とルーク氏は言う。「司祭が話し、その他の人はただ座って聞いているという三自教会とは異なります」。

改宗に伴い、目的意識と謙虚さがもたらされ、それにより彼の人生と結婚生活は一遍した。それと同時にこの国と文化に対する見方も変わったと彼は言う。キリスト教を信仰することで中国社会に存在する無数の悲劇や、文化大革命が引き起こした思想の流浪は解決するとルーク氏は信じている。

「文化は未だに破壊されたままです」とルーク氏は言う。「中国人にとって最も重要なものが壊されてしまったのです。幼いユエちゃんの事件はそれが意味していたものが破壊されたことを示唆しているのです」

■ 赤への回帰

毎週日曜日の朝、ルーク氏が自宅教会でキリスト教の神に祈りを捧げている頃、54歳のファン・フイミン氏は北京中心部にある景山公園で自身の儀礼に参加している。彼女は、集会メンバー、そして伝道者であり、さらには賛美歌隊のメンバーでもある。全身全霊をこめて歌い讃えるのは、毛沢東主席である。

「彼のリーダーシップ、芸術、詩、哲学、書写、どれをとってみても私の心には彼が完璧な人間にしか見えません」とファン氏は言う。「毛沢東主席を心から愛し、そして真のマルクス・レーニン主義者として、私は信仰を変えることは絶対にありません」

ファン氏の信仰は特殊な歴史的状況下で彼女が生まれたことに由来する。1949年秋、毛沢東の紅軍は北京を制圧し、中国人民共和国の建国宣言の準備をしていた。ファン氏の両親は、敗北した蒋介石の国民政府高官で、彼女は首都で生を受けた。彼女の家族の大半は台湾に逃れることができたが、身籠っていたファン氏の母親はその旅路に耐えることができなかったため、共産党の出現で起きた騒動の最中出産したのだ。

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ある日曜日の朝、北京景山公園にて通行人に毛主席の講義を行うファン・フイミン氏。

毛沢東の天敵でもある国民党員の子供という彼女の立場は、彼女の人生の大半を惨めなものにしてきた。毛沢東に対する熱狂的な献身と、国民党員への凄まじい憎悪を抱きつつも、彼女は一度として中国共産党への加入を許可されたことはない。しかし資格要件に欠如しているものを、彼女はその情熱で補った。文化大革命を通じ彼女は毛沢東の記念品を収集し、彼のスピーチを覚え、資本主義などプロレタリア階級の敵になるもの全てに立ち向かったのである。

毛沢東死去から38年、毎週日曜日の朝は景山公園に毛沢東信奉者が集い、紅軍の歌を歌い、毛沢東の肖像画を掲げてマイクで通行人に講義を行う。頑強で真面目なファン氏は、彼女の60代の友人が楽しむ「紅軍」の踊りには参加せず、その代わりに毛沢東のイメージを曇らせようとする人に挑み続ける。

「最近毛沢東主席を非難する人々が増えています」とファン氏は憤る。「そのような人たちはアメリカ政府の金になびいているだけだと私は物怖じせずに言ってやります」

彼女が毛沢東の威厳を守る情熱は、毛沢東主席の在任中だった幼少時代の素晴らしい記憶に由来すると彼女は言う。日々の生活は共同社会の思想に満ちあふれていたと彼女は語る。

「毛沢東の時代は全て人々の魂を救い、さらなる高みを目指す方法を人々に教えることだった」とファン氏は言う。「当時の人々はこの国を築くことに全身全霊を注ぎ、毛沢東について行ったのです」

当時、誰もが夜に自宅のドアに鍵をかけずに過ごしたとファン氏は思い出しながら言う。2013年のたった1日の間に起きた犯罪の件数は、毛沢東が在任した27年間で起きた犯罪の総数を超えた。彼女の認識では、文化大革命は共産主義の桃源郷を築くのに必要な試練であり、物事が上手くいかなったのは経済の再編時だったからだと彼女は言う。

「鄧小平が初めて最初に何人かの人を裕福にさせようという考えを提唱した時、誤った考えだと思いました。共産運動の主要原理に完全に違反するものだったからです」とファン氏は強調する。「全ての物事が民営化に突き進んでいます。私たちに欠落しているのは公共の用のため、国家のため、そして人々に尽くすために何かを行おうとする概念です」

1980年初頭、彼女は鄧小平に宛ててその想いを綴った。中国のリーダーからの返答はなく、代わりに国家安全保障局からの不吉な訪問を受けた。

10年間の変革により、中国は超大国としての地位を得たが、彼女は若かりし頃に抱いていた、原理主義への真の信仰者のままだ。

「私たちは多くの困難を乗り越えてきました。そして毛沢東思想こそが唯一今ある中国を救うことができるのです」ファン氏はそう語る。「長年に渡る改革開放政策により、人々は今まで以上に孤立し、希望を失っているのです」

毛沢東に対する敬意が最も顕著に現れているのは文化大革命時代の世代だが、国際的な緊張が高まる中、異なる世代にも広がりを見せている。近年の反日抗議の高まりの中、愛国的なデモ参加者は頻繁にかの指導者の肖像画を抱え、「毛主席万歳!」と唱えている。

ファン氏と仲間にとって、毛沢東への絶対的な忠誠は、彼を亡くなった今でもその精神がこの世界に影響を与え続ける全知全能の神へと変貌させた。2013年夏、アメリカ中西部で悲惨な竜巻が発生した時には、彼女は文書を書いた。「毛沢東主席の精神は彼が愛してやまない人民と世界中の人々を常に見守っています…もしアメリカ政府が悪事を働こうものなら、天罰を受けるでしょう! さらに甚大なトルネードや火山噴火となって現れるのです!」

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「全ての反動政治家はこけおどしに過ぎない」という団旗を掲げ、毛沢東支持者たちと共に抗議活動を行うファン・フイミン氏

天罰という視点かもしれないが、彼女は長距離バス会社の仕事を退職して以来、毎週日曜日の朝に景山公園で人々にメッセージを伝え、人々を改革へ促すことができ満足していると言う。唯一気に病むのは、彼女の息子が毛沢東のメッセージに無関心でいることだ。

文化大革命期の毛沢東のボタンを親指で触りながらファン氏は「本当のことを言うと、息子に話しても、彼は政治に関わることを嫌がるのです」と語る。「彼は私に『それはもう過去のことだよ、いつも引き合いに出すのはやめてくれ』というのです。でもその言葉が私の心を悲しみでいっぱいにさせるのです」

「中国では、家族よりも社会的影響のほうが強いのです。息子が自宅でどのような教育を受けようとも、一歩家の外に出ればそのような社会が撒き散らす公害に出くわすのです」

■「社会教育」としての仏教

古代兵馬俑の故郷である西安の中心部で、サマンサ・ヤン氏は幸運にも息子のレオと共に新たな心の拠り所を共有することができた。自ら英会話学校を経営しているが、学校の財政的な圧迫とシングルマザーであることから生じる苦難が彼女を仏教へと導いた。

ヤン氏は人生において特段強い宗教的影響を受けて育ったわけではないが、大学卒業後故郷の西安を去り、海南島南部に仕事を求めて移り住んだ。化粧品会社の販売員を経て、2002年に故郷の子供たち向けの英語教育学校を設立した。

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サマンサ・ヤン氏、中国西安の職場にて

「長い間、ずっと自分はスーパーウーマンだと思っていました」とヤン氏は回想する。「自分にできないことなどないと思っていました」

「学校創立時、私の人生はプレッシャーで押しつぶされそうになっていました。2006年にサマープログラムを実施した際、私は20万元(約300万円)の損失を出し、本当に大変な思いをしました。哲学書を読みあさり、時には安易な自己啓発本にも目を通しました。しかし、どれもためにはなりませんでした」

ヤン氏が精神的な突破口を見出したのは、西安郊外の村にある仏教の修行寺へ友人に連れていかれた時だった。修行寺で出された最初の食事で、1オンス(16g)たりとも食事を無駄にしてはいけないという修行者の教えに彼女は感銘を受けた。ほとんど食べ終わったスイカの一切れを皿に残した際、皿を片付けに来た高齢の女性が、ヤン氏のスイカの皮に残った最後の赤身の部分をすすり上げたのだ。

そのような謙虚さと質素さが彼女を虜にした。彼女が現在仏教を信仰するのは心の安定を得られるからだけではなく、それが中国社会に必要な「社会教育制度」であるからだと言う。この信仰は、多くの人がいかなる犠牲を払ってでも富を手に入れようと執着することの対極にある平静と謙虚さを尊ぶ。その魅力はさらに加速し、多くの人々が中国で仏教が再燃していると言う。調査によれば実に中国人の1/3が仏教徒であると認識しているそうだ。

ヤン氏の考えでは、1919年以降、中国の伝統的な文化は衰退していったと言う。1919年、五・四運動として知られている国民党の学生による抗日運動で、儒教の伝統が自国での他国勢力の拡大を促しているとして非難された。中国で受け継がれてきた伝統への攻撃により、文化の根底は破壊されてしまったのだと彼女は見ている。

ヤン氏と息子は、それぞれ異なる方法で仏教と接している。レオ氏が寺院を訪れることはほとんどないが、中国の高校で圧力鍋のような環境におかれているにも関わらず、ヤン氏は息子に新たな平静が宿っていることに気づいた。ヤン氏は寺院でお経を唱えながら瞑想にふけることを、現代の中国社会に浸透しつつあると感じている「むやみに高級なものを求める考え」を頭の中から消し去る1つの方法として実践している。

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忙しいスケジュールの合間を縫い、サマンサ・ヤン氏は西安郊外の香積寺(Temple of Accumulated Fragrance )で一時を過ごす

ヤン氏は自らの精神世界の旅路の原点を捜し求めながら、中国の多様な民族文化を切り捨てなかった農民の祖母に思いを馳せた。

「私の祖母は信仰に対し非常にオープンな人でした」とヤン氏は言う。「彼女は、力が宿るとされるありとあらゆるものや神を信仰できる人でした。私に信仰の種を蒔いたのは彼女だったと思うのです」

自身の寺院で見出した質素さとコミュニティーに、彼女は、自らが言う「倫理的無法地帯」となっている現状から中国が救われる希望を見出した。彼女の信仰はルーク氏やファン氏とは異なる形だが、現代中国の騒乱を道徳的指針に基づいて導いてくれるものを探索しているという点では、それぞれがその道に個人の救済と社会的な贖罪を見出していると言えるだろう。

「欧米社会の辿っている運命はコメディのようなものです。でも中国にとって絶望的で、先が見えない、無意味な悲劇なのです」ルーク氏は言う。「中国の運命だってコメディに変えることができるはずです」

English Translated by Conyac

Dead Leaders On Display


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