石川大我さんが同性婚制度を願う理由 「愛し合う価値は、男女も同性も変わらない」【LGBT】

性的少数者のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)が、国政で解決したかった課題とは何だったのか。石川大我氏に聞いた。
Taichiro Yoshino

12月14日投開票の衆院選で、同性愛者であることを公言している前東京都豊島区議の石川大我さん(40)が、比例区東京ブロックに社民党から単独1位で立候補した。「ダイバーシティー(多様性)促進基本法の制定」や「日本にも同性婚(制度)を」などの公約を掲げ、約13万票を得たが、当選はならなかった。

性的少数者のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)が、国政で解決したかった課題とは何だったのか。石川さんに聞いた。

___ゲイ(男性の同性愛者)をカミングアウトした初の国会議員をめざしましたが、及びませんでした。選挙を振り返ってどうでしたか。

ビラを配っても反応はよかったんですが、それにしても自公圧勝という、大きすぎる波に呑み込まれました。自分たちで少し波は起こせたと思いますけど、当選できる波にはならなかった。

街宣日程をネットで流すと、必ず2人、3人と来てくれて「自分もLGBTで目立った応援はできないけど会いに来ました」と震える手で握手してくれたり、私の著書にサインを求めてくれたりする人もいた。そういう出会いなど、得る物は大きかったと思います。前回2012年の衆院選から比べると、社民党としての東京ブロックの得票率は前回の2.09%から2.26%に上がりました。得票数は約13万票。前回より6千票ほど減っていますけど、投票率自体も8%ほど下がっていますから。

新たな横のつながりができたのは収穫です。社民党の選挙とは別に、巣鴨の個人後援会の事務所を拠点に、いろんな人が集まった選挙でした。都知事選で宇都宮健児氏の選対にいた人がだいぶ入ってくれましたし、車にステッカーを貼るなどの美術回りをゲイのアーティストがやってくれたり、宇都宮選対の人や反レイシズムカウンターの人たちがホームページをつくったり、Twitterで騒いでくれたりしました。

実は2014年2月、ロシア大使館前であった「反同性愛法」に抗議するアクションを少し手助けしたんですが、当事者のLGBT以外にも、反ヘイトスピーチのカウンターや女性問題の人たち、いろんなテーマの人たちが集まっていました。その直後に、豊島区が在特会(「在日特権を許さない市民の会」)に公会堂の使用許可を出したことについて、私が区議会で反対する趣旨の質問をしたことが新聞で大きく報じられ、反ヘイトスピーチの人たちが支援に集まってくれました。そんな縁もありました。

___ダイバーシティーは選挙の主要な争点にはなりませんでした。

同性愛の人権問題を「取り組まなくてよい」といった政党が大勝して、同性婚を含めてきちんと扱おうと言った我々がボロ負けしました。いろんな争点があったにも関わらず、「景気回復、この道しかない」と言われ、争点が景気回復だけに絞られ、押し流されてしまいました。

___「社民党」という党名を書くことに抵抗のある人もいたのではないでしょうか。

「個人は応援したいけど、『社民党』と書くのは抵抗がある」と言われて「まあまあ、そこは社民と書いて石川大我と読んでください」と言ったけど、ちょっと厳しかったですね。逆に若い人たちは社民党へのアレルギーもなかったように思います。

今回から党の公約に「同性婚制度をつくる」と初めて明記されました。社民党が、セクシュアルマイノリティー(性的少数者)を国政選挙の比例ブロック1位に置くのは画期的だし、彼らなりの悩み、決断があっただろうと思っています。かつては日本社会党という、労組に支えられた巨大政党で、まだ古い体質の人もいます。私が社民党の党首選に立候補しただけで、古株の党員が「耐えられない」と言って辞めたという話も聞きました。

1996年から2000年にかけて、党首だった土井たか子さんが「市民との絆」として呼び集めた辻元清美さん(現・民主党の衆院議員)、保坂展人さん(現・東京都世田谷区長)ら市民運動出身の人たちが去り、相対的に労組の比重が大きくなる中で、市民の味方をする人たちも一定程度必要だと思っていました。新しい形の政党に生まれ変わる第一歩だったと思っています。社民党の選挙は「いつもの人たちが、いつものように集まり、いつものようにやって、いつものように負ける」と言われますが、今回は少し変わって、いつもじゃない人たちが集まってくれました。

___公約に「同性婚制度をつくる」と掲げました。日本では関心が高まらないテーマでもあります。

そうなんですよね。反発されたり「NO」と言われれば対話する余地もあるけど、無視されるのが、いじめでも実はいちばん辛いのではないかと思っています。ただ、日本の世論調査で同性婚に賛成は約40%。アメリカで最初に同性婚がテーマになったときより、ずっと高いんですよ。死刑廃止などと比べたら、よっぽど早く実現可能性があるんじゃないかと思っているんです。

2004年に性同一性障害特例法ができたとたん、今まで「オカマ」と言われてバカにされてきた人たちに病名がついて「保護すべき対象だ」となったように、「日本も海外にならって同性婚を認めます」と言って法律をつくっちゃえば、今まで白い目で見ていた近所の人たちも祝福してくれたりするんじゃないか。その方が世の中早く変わるかもしれないと思っているんです。

問題は、そのきっかけを誰がどうやってつくるのか。今回議席が得られれば、勉強会をやったり、超党派の議連をつくったりすることもできたんですが、非常に残念です。

___「同性婚制度がなぜ必要なのか」を日本では大半の人が認識していないと思います。あえて当事者にお聞きしますが、なぜ必要なのですか。

純粋に言って不便だからです。法律とは人が暮らす上でのルールですけど、同性愛のカップルはどこまで行っても法律上は仲の良い友達同士にしかなれない。相続や、病気になったときの面会権。不動産を買ったり、保険をかけたりするとき、同性同士だと家族としての保証がなく、いろんな場面で犯罪を疑われて保険にもなかなか入れない。とにかく生きていくのが不便。お互い愛し合って暮らしていくことの価値は、男女間でも同性間でも変わらないという前提で、人がスムーズに生きていくためのサポートをするのが法律なら、私たちLGBTに対しても、よりよい暮らしができる法律に変えていくべきじゃないか。反対する人も含め、別に誰の権利も侵害していないし、誰も傷つかないし不幸にならない。それが同性婚という法律です。

___日本国憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」と書かれています。同性婚制度の障害になりませんか。

ならないと考えています。大日本帝国憲法下では、結婚は戸主である父親の許可がないとできなかった。そうでなく、あくまで当事者2人の合意だけで、他の人の許可は要らないというところに力点があります。おそらく当時、同性婚までは想像が及ばなかったんでしょう。必ずしも男女の婚姻のみを規定しているのではなく、同性間の結婚を禁止するものではない。仮に同性婚制度ができたときに違憲訴訟が起きても、最高裁は無効とはしないのではないでしょうか。

___豊島区議をほぼ1期務め、ほかに国政でないと解決できないと感じたLGBTの課題とは?

いちばん大きかったのは教育ですね。地元でLGBTについて教育で扱ってもらおうとしても、実際の中身は学習指導要領に基づいて東京都教育委員会が策定した人権教育プログラムをベースにしていて、そこでは性同一性障害しか扱わない。文科省も「同性愛は学校現場で扱えない」と未だに言っています。しかしダイバーシティー(多様性)基本法をつくって差別禁止の努力規定などの条文を盛り込めば、障害者などと同様に「教育の中でやっていきましょう」となります。

福島瑞穂・前社民党首が男女共同参画担当大臣のとき、私は秘書を約1年務めたんですが、ちょうど男女共同参画の基本計画の改定時期で、そこにセクシュアルマイノリティーの人権施策を1項目入れました。その後、豊島区の男女共同参画計画の改定時にも「国の方にも入ったから豊島区にも入れて」と言うと、スムーズに行ったんです。豊島区議会の議員や区長を説得して先進的な条例をつくって、それを各地に飛び火させて国を動かす道もあると思う。でも、上から変えていくこともすごく大切ですよね。

___石川さんがご自身で同性愛を意識したのはいつごろでしたか。

小学校5年ぐらいのとき、1歳年上の、やさしく気遣って仲良くしてくれる男の子がいて、一緒にいると幸せだな、一緒にいたいなと思ったのが最初。中2ぐらいで、どうやら同性愛というものだと気づきました。辞書を引くと「同性に性欲を感じる異常性愛の一種」と書かれていて、これは人に言えないと即座に思った。これって当事者の間では共通していて、自分がそうだと気づいたときから、親や先生、友人には何も言えない。大学は法学部で憲法のゼミだったので、LGBTを人権問題として扱いたいという意識はずっとあったけど、きっと「何であなたはそれをやるの」と教授に聞かれるじゃないですか。結局やらずじまいだったんですよね。ほぼ大学を出るまで、ごく親しい友人1、2人くらいにしか言いませんでした。

1999年に自宅にパソコンが来て、インターネットを始めました。当時は個人ホームページが花盛りで、リンクを伝ってみんなが掲示板などでつながる時代でした。そこで「自分と同じような人がほかにもいるんだ。自分はいてもいい存在なんだ」と気づいたのが25歳ぐらいでした。それまでずっと我慢していたのが、目からウロコが落ちる思いでした。そこから社会を変えたいと漠然と思ったんです。

___今後は。

まったく白紙ですけど、自分の中では国政を目指した方が絶対に楽しいと思っています。ただ、2015年4月の豊島区議選に再挑戦する選択肢もあると思う。自分のできることを考えながら、どこということにとらわれず、一つずつできることを見つけてやっていきたいです。

石川大我氏 プロフィール

1974年、東京都豊島区生まれ。明治学院大学卒。衣料品店経営、LGBT支援のためのNPO法人ピアフレンズ代表理事、福島瑞穂・男女共同参画担当相(当時)の私設秘書などを経て、2011年4月に東京都豊島区議に初当選。2013年には社民党の党首選に立候補したが落選した。著書に「ボクの彼氏はどこにいる?」(講談社)など。

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