「Uターン、鮭活を広めたい」移住希望地1位・長野の仕掛け人、"地方の仕事"の魅力を語る

長野で、「Uターン」にこだわり、地元愛をベースに活動している人がいる。

地方創生が叫ばれるようになり、各地方に注目が集まっている。ユニークな取り組みをしている地域に人が集まる時代になった。

そんな時代の流れのなか、2011年以降、移住希望地ランキング(NPO法人ふるさと回帰支援センター調べ)の1位に輝き続けているのが長野県だ。長寿で知られる県でもあり、山々の美しい風景や風土に魅了される人が後を絶たない。

その長野で、「Uターン」にこだわり、地元愛をベースに活動している人がいる。株式会社地元カンパニーと一般社団法人信州若者会議で代表を務める児玉光史(こだま・みつし)さんだ。

彼の仕掛ける活動を機に、移住ではなく「Uターン」する人が増えている。「東京のIT企業で働いていた」と語る児玉さんに、Uターンを促す「鮭活」の活動や、地方の仕事について話を聞いた。

■“その地域ならでは”の産品を贈る「地元のギフト」

――児玉さんは今、一般企業と社団法人という2つの組織の代表を務めていらっしゃいますね。まずは株式会社地元カンパニーのご活動について教えてもらえますか。

地域産品が選べるカタログギフト「地元のギフト」という商品の制作・販売をしています。これは小さな箱の中に10枚前後のポストカードが入っている商品で、カードの1枚ずつに、その地域の野菜や果物、加工品などの産品と、それを手がける作り手が紹介されているんです。

カードの表には、師匠と弟子、今作っている人・これから作っていく人などの作り手の写真を掲載し、裏には商品への思いを語る2人の方言交じりの会話を紹介しています。ギフトを受け取った人が気に入ったものを選んで申し込むと、旬の時期に作り手から直接商品が届くという仕組みです。

「地元のギフト」に入っている小さなポストカード

――地元で有名な花やベーグル、デニムエプロンなど、その地域らしさが感じられるユニークな産品もありますね。

えぇ、その地域で長年愛されている産品が多いです。現在は「信州のギフト」「飛騨高山のギフト」「女川町のギフト」など、全国のギフトがあり、制作中のものを含めると23あります(2015年9月現在)。

結婚式の引き出物や、お中元、お歳暮、ふるさと納税の返礼品などで利用していただいています。贈った側からは「自分の地元のものを贈れてよかった」、受け取った側からは「一般的なカタログギフトと違っていて楽しい」などの声が届いていますよ。

■地元に戻る、または貢献する「鮭活」を広めたい

――他に、Uターンに関する活動もされていますよね。

主に東京に住んでいる人たちを対象にUターンをすすめる「鮭活」(さけかつ)という取り組みもしています。故郷に戻っていく鮭をイメージして、そう名付けました。これを、広めていきたいんです!

特に意識しているのは若い出身者です。なぜかと言うと、若くして戻ってきてくれたら、地元で長く働いてくれるという単純な理由なんですが、それ以上に、そこを意識するほうが、今地元にいる自分たちのあり方を律することができるというか。

上京するタイミングは大学進学が多いので、地元で高校時代までを過ごしている人がほとんど。長年住んだ彼らが「戻りたくない」と思うような地域に、未来はないのではないでしょうか。他の地域のほうが魅力がある、と思われているんですから。

都心部の人が地方に移住するIターンも悪くはないんです。でも、Iターンの場合だと、直接働きかけることができないんですよね。Iターンを狙う前に目の前にいる高校生に対して何を発信できるのかって考えたいんですよね。

高校時代まで地元で暮らす若者にどんなメッセージを伝えられるのか、彼らが地元を離れた時に「地元のほうがイケてるじゃん」と思ってもらえるように、いま地元にいる大人が勝負していきたいですよね。若いUターン者が増えれば、今地元に暮らしている中高生たちも刺激を受けるでしょう。

そうした思いから先日、地元の高校生や大学生、若い経営者5名で、人・街・文化の交流をコンセプトとした蚤の市(ロッピス)のイベント「ロッピスウエダ」を開催しました。

――「鮭活」とUターンは、どう違うんでしょうか?

Uターンだけじゃなくて、「Uターンはできないけれど、東京で地元のために何か貢献しよう」という行為も含め、広義の意味で「鮭活」と呼んでいます。呼んでいるのは僕ぐらいですけど。地元に対して想いがあって行動するムーブメントや取り組みを総称して「鮭活」としたいんです。

現在は、東京にいながら地元に貢献できることを考えたり、そういう想いをもった仲間と出会ったりするために「◯◯ゆかり飲み」と称して、飲み会を開催しています。それをきっかけに、地元にUターンする人も出てきています。

鮭って、ダムがあると生まれ故郷に戻れなくなっちゃいますよね。地元のことを考えている人たちに、「あなたにとっての“ダム”は何ですか?」と、問いかけていきたい。

■人が交流する場づくりや、地元情報の発信

――もうひとつ、代表をされているのが一般社団法人信州若者会議ですね。

はい、地元カンパニーでは全国を対象に活動していますが、信州若者会議では信州、つまり長野県に絞った活動をしています。スタッフも信州出身者です。

いずれ地元・信州へ戻ってきてもらいたいという思いを込めて、年に一度都内で開催している「信州若者1000人会議」や、信州の企業の就職・転職説明会、信州出身の大学生を対象にしたイベント、信州の現場・企業を訪ねて地域課題や自分の仕事を考えるツアー「若鮭アカデミー」などを実施しています。

地元を離れた若者の多くは、地元の情報をほとんどキャッチできていません。その原因は、信州を離れた若者が読みたくなるようなメディアがないからだと考えました。そこで、会報誌『SALMON1000』の制作をしたり、ウェブメディア「SALMON1000」で求人情報や「夏の帰省時あるある8選」など記事の発信も行っています。

――2015年6月に開催された「信州若者1000人会議」は、約250人が来場していましたね。学生さんと企業の社長さんたちが熱心に語り合っていました。

東京で暮らしている、信州にゆかりのある人たちが信州の将来を考えるイベントです。長野県教育長や経営者をはじめ、多くの社会人、学生の方が参加してくださいました。

今回は3回目で、運営を初めて学生スタッフにまかせてみたら、ワークショップを企画してくれて、盛り上がりましたね。信州のソウルフード、おやきも配りました。

■いろいろな職種の人がいる地方の面白さ

――参加された学生さんは「地元を好きではなかった自分が恥ずかしくなった。将来的には地元に帰りたい」「地元に愛着をもって課題解決の実践をしている人たちをかっこいいと思った」などと話していました。また、ある社長さんは「今の若い人たちは、同じ目標に対して私と違う手段を考える能力があると感じた。一緒にやっていかないとだめだ」「こういうイベントが東京で開催されること自体がすごい」と話していました。

僕自身が、信州にUターンしてから地元の企業の社長さんと話す機会に恵まれて、その内容がとてもおもしろかったんです。ふつうに帰省しただけでは、そういう機会はなかなかもてないじゃないですか。

企業の若い社長さん30人以上が新しいビジネスで勝負をしていたり、何代も続く老舗の社長も悩んでいたりして。そういう人たちと話すことで「仲間がいっぱいいる。なんかイケそうだな、もっとおもしろいことができそうだ。東京より楽しい!」と感じたんです。

――「東京より楽しい」。そう思えた理由は何でしょう?

何なんですかね。うまく言葉にできないんですが、東京じゃなくてもできるんだぜっていうのを、見せつけたい部分もあるんですが、やっぱり、地域に対する愛をみんな持っています。自分の事業はもちろんだけど、それによってこの地域を盛り上げていきたいという思いが共通していることを感じているんだと思います。

信州若者会議での写真。運営スタッフは学生が中心。

■地方と都会をつなげた「セガレ・セガール」

――児玉さんにとって、地元の魅力は何ですか。

4月中旬からの新緑の景色や、11月くらいの冬に入る瞬間の涼しさも、冬の寒さも好きです。景色や気候が魅力ですね。東京に住んでいたころは、もう暑くてしんどくて、夏が(笑)。長野の涼しくてカラッとしている気候が、すごく好きで。

自分のやりたいことを整えることはどの地域でもできるけれど、気候は人間の手ではどうしようもないじゃないですか。僕にとって景色や気候がかなり大事なんです(笑)。

――もともと児玉さんは、東京大学農学部を卒業された後、都内の大手IT企業に勤めていたのですよね。

えぇ。ソフトウェア販売の仕事です。やりがいはあって4年勤めたのですが、あるとき「自分にしかできないことをしたい」と思い、社会的な存在意義を求めて辞めました。面倒臭いですね(笑)。

僕の実家はアスパラ農家なんですが、家業を継ぐカタチではなく、実家や地元の農産物を売る活動を始めようと思いました。そこで2007年に始めたのが「セガレ・セガール」という活動です。都会で暮らしている農家の息子や娘がメンバーで、都内のマーケットで実家のアスパラなどの農産物や加工品を売りました。このときの仲間の一人と、2012年に地元カンパニーを立ち上げたんです。

2013年8月に、故郷の長野県上田市に帰りました。今は上田市と都内にそれぞれオフィスがあり、月に一度くらいのペースで上京しています。

■東京は今のままでいてほしいけれど、みんな幸せなのか

――今、児玉さんにとって東京はどういうところですか?

東京には、おもしろい考え方や取り組みをしている人がたくさんいます。東京に来ればそういう人たちに会えることは、ありがたいですね。

僕は、自分が住む・住まないは別として、東京は今のままであってほしいです。人やビジネス量がすごいからこそ、新しい価値も創造されますし。国としても、こういう部分ってなきゃいけないし。地元に戻ってみて、東京って、ビジネスをやりたい人には非常にいい環境が整っていると思います。

だから、東京にはぜひ今のままでいてほしい。でも、東京で暮らしている人の中で、「自分は東京じゃなくてもいいんじゃね?」って思っている人がいたら、そんな思いとちょっとの時間でもいいので向き合ってほしいなと思います。

――「地方に住みたいけれど仕事がない」と考えている人も多いのではないでしょうか。

地元に戻ってみると、仕事って結構あるんですよね。“求人”として顕在化していない仕事もいっぱいありますよ。あと、誰も手をつけていない仕事もあります。ニーズだけが転がっている状態です。

人がいるからこそ、困ることが発生する。人の願望があって、現状との差分が「困りごと」です。そこを代わりに請け負うのが仕事じゃないですか。だから、人が増えれば、仕事は増えますよ。

■信州をはじめ全国にUターン者を増やしたい

――児玉さんは地域の仕掛人ですね。

何か面白いことをやっていたいんです。最近は、危機感を煽るような雰囲気もあるじゃないですか、自分としては危機感があるから何かをやるっていう感じではないんですが、せっかくできている今の雰囲気に上手に乗りながら何か面白いことをやっていたいですね。

ただ、起業してこの3年半ぐらいの間に、カフェとかゲストハウスとか、やってみたいものを片っ端からやってみたんですけど、なかなかうまくいかなくて。やっぱり餅は餅屋だなと。

最近は個別にUターンの相談も受けていますが、予想以上に相談希望者が多いです。今までと同じことをしたいような人は少なくて、新しいことにチャレンジしたいって思っているんですよね。「企業の社長」と「Uターン希望者」とうちの会社で面白いことを一緒にやっていきたいなと思っています。

――今後の予定など、どんな未来を描いていますか?

まぁ、自由です(笑)。そりゃ事業的には、全国の「◯◯のギフト」ももっと増やしていきたいですし、「鮭活」も全国に広げていきたいですが、それにとらわれ過ぎず、自由でいたいです。

興味や関心はありますよ。最近、子供が生まれたので保育園にも興味がありますし、大学の時は森林や木材を学んでいたので、山の管理にも興味あります。ただ、餅は餅屋なので、県内の企業さんとおもしろい事業を乱立させたい(笑)。楽しい事業にして、採用者を増やしていきたいです。そうすれば、若者がもっと、都会から戻ってくると思います。

%MTSlideshow-236SLIDEEXPAND%

児玉光史(こだま・みつし)

1979年、長野県上田市生まれ。東京大学農学部を卒業後、大手IT企業に就職し、メーカー向けのソフトウェア販売を担当する。退社後は実家の農産物などを売る「セガレ・セガール」を結成する。2012年、株式会社地元カンパニーを設立。13年、一般社団法人信州若者会議を設立。同年、帰郷。現在は、上田市と東京を行き来しながら、地元の活性化のため奔走している。

【関連記事】

『東北食べる通信』編集長・高橋博之さんが語る、日本活性化計画

「地方創生、何が本当に必要なのか」 神山プロジェクトやオガールプロジェクトから学ぶべきは、そのプロセス

ハフポスト日本版ライフスタイルはTwitterでも情報発信しています@HPJPLifestyle をフォロー

関連記事