ゼロ戦のニックネームで知られる旧日本軍の零式艦上戦闘機が1月27日、再び日本の空を舞った。1941年の真珠湾攻撃などで主力を務め、1945年の終戦までに約1万機が製造されたが、飛行可能な状態で残っている機体は、6機だけ。このうち、唯一の日本人オーナーが所有する機体が、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地でテスト飛行に成功した。基地の外から撮影された写真が次々にネットに投稿されている。
■ゼロ戦のオーナー「日本を振り返るきっかけになれば」
この機体は、もともとパプアニューギニアで激戦地となったラバウル近郊に放置されていた零戦22型。アメリカ人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。これをニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀さん(54)が2008年ごろ、3億5000万円の私財を投じて購入。牧場や自宅、車などを売り払って資金をかき集めたという。
「今日は一つのスタート。博物館に入るのではなく、全国を飛べるようになって欲しい。こうした飛行機を作り出した過去の日本人の技術力は本当にすごかったことを実感してもらい、日本を振り返るきっかけになればと思っています」
【関連記事】ニコニコ生放送によると、石塚さんはテスト飛行の成功を受けて、記者団の囲み取材に以下のように答えた。
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