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2016年04月06日 15時37分 JST | 更新 2016年04月07日 00時24分 JST

気分はラスト・エンペラー、皇帝が暮らした「紫禁城」は凄まじいスケールだった(画像集)

中国最後の統一王朝「清」が成立したのは今から380年前、1636年のことだ。中国東北部の国家「後金(こうきん)」を前身とする清は、やがて強大化。南進し、1644年には北京へ入城。それまで中国を支配した「明」の崩壊後、1912年に最後の皇帝・宣統帝(溥儀)が退位するまで約300年間にわたって中国を統治した。

forbidden city

故宮博物院・太和殿

明代に皇帝が暮らした「紫禁城」は清朝が継承。その面積は約72万平方メートルで、東京ドーム約15個分に相当する広大な宮殿だ。17世紀前半の反乱でほとんどが焼失し、現存する建造物は清代に再建されたものが多いが、創建当初の規模を今に伝えている。明・清時代の皇帝権力の強大さを示す象徴的な建造物と言えるだろう。

今回は、明・清の歴代皇帝が暮らした豪壮華麗な、かつての紫禁城(現 故宮博物院)の様子を画像集でお届けしよう。天安門広場から神武門まで、主要な建築を南から順に紹介する。

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かつての紫禁城(現 故宮博物院)の全図/Google, Inc.

  • 1:まずは天安門広場から
    1:まずは天安門広場から
    吉川慧
    広場には国旗掲揚台があり、日の出の時間に、人民解放軍の「国旗護衛隊」が国旗を掲揚する。1989年6月3〜4日、民主化を求めて広場に集まった多数の学生・市民が弾圧された「天安門事件」の現場となった。
  • 2:天安門をくぐり、いざ故宮へ
    2:天安門をくぐり、いざ故宮へ
    吉川慧
    楼閣の屋根上段の軒下には中国の国章がある。壁には簡体字で「中華人民共和国万歳」「世界人民大団結万歳」のスローガンとともに、初代国家主席・毛沢東(もうたくとう)の肖像画が掲げられている。
  • 2:国家主席の気分が味わえる天安門からの眺め
    2:国家主席の気分が味わえる天安門からの眺め
    吉川慧
    1949年10月1日、毛沢東は天安門楼上で「中華人民共和国」の成立を宣言した。以来、毎年10月1日は「国慶節」として祝われている。軍事パレードなどが実施される際、中国政府の要人はこの楼上から観閲する。
  • 2:見晴らしは抜群、人民大会堂も見える
    2:見晴らしは抜群、人民大会堂も見える
    吉川慧
    写真左側に見える建物は人民大会堂。毎年3月には、日本の国会に相当する全国人民代表大会(全人代)が開かれる。
  • 3:午門をくぐり、故宮博物館の中へ
    3:午門をくぐり、故宮博物館の中へ
    吉川慧
    紫禁城の南門。南=「午(うま)」の方角にあることから、午門(ごもん)と呼ばれる。「コの字型」にせり出した形が特徴。官吏たちが早朝に集まり、皇帝に拝謁した場所でもある。映画「ラスト・エンペラー」では、溥儀(宣統帝・せんとうてい)が城外に出ようと「Open the door !」と門扉を叩くシーンの舞台となった。
  • 4:あまりに広すぎる太和殿前広場
    4:あまりに広すぎる太和殿前広場
    吉川慧
    太和殿(たいわでん)前の広場は、映画「ラスト・エンペラー」でも登場。溥儀(ふぎ)が清朝12代皇帝・宣統帝に即位する儀式のシーンで、無数の官吏がずらりと並んでいた場所だ。
  • 5:太和殿は中国最大の木造建築
    5:太和殿は中国最大の木造建築
    吉川慧
    太和殿(たいわでん)は、紫禁城で最大の正殿。皇帝の即位や元旦などの祝日の式典,詔書の頒布などの重要な儀式が執り行われた。現存する中国最大の木造建築でもある。
  • 5:太和殿の中に入ると・・・
    5:太和殿の中に入ると・・・
    吉川慧
    玉座の上には大きな玉が吊るされており、皇帝以外や皇帝に適さない人物が座ると落下し、頭をかち割るという言い伝えがある。辛亥革命後の1916年に「皇帝」を自称した袁世凱(えんせいがい)は、この言い伝えを恐れてわざと玉座をずらして座ったとされる。\n映画「ラスト・エンペラー」では、ラストシーンの舞台にもなった。老いた溥儀が、玉座の後ろからコオロギの入った筒を取り出すシーンは有名。
  • 6:宴会場や試験会場にもなった保和殿
    6:宴会場や試験会場にもなった保和殿
    吉川慧
    保和殿(ほうわでん)は、年末や正月に催した皇族・王侯・要人が参加する宴席の会場として使われた。清朝6代皇帝・乾隆帝(けんりゅうてい)の時代からは、科挙(官吏登用試験)の最終試験「殿試(でんし)」の会場としても使用された。
  • 6:保和殿の中に入ると・・・
    6:保和殿の中に入ると・・・
    吉川慧
    玉座の上には、清朝6代皇帝・乾隆帝が揮毫した「皇建有極」の書が掲げられている。
  • 7:皇帝の寝室・執務場所だった乾清宮
    7:皇帝の寝室・執務場所だった乾清宮
    吉川慧
    乾清宮(けんしんきゅう)は皇帝・皇后の寝室として使用されていたが、清朝第5代皇帝・雍正帝(ようせいてい)の時代以降は、大臣との謁見や上奏文の処理など日常の執務をおこなう場所になった。
  • 7:乾清宮の中に入ると・・・
    7:乾清宮の中に入ると・・・
    吉川慧
    玉座の上に掲げられた「正大光明」の額の裏には、時の皇帝が後継者に指名した人物の名を記した勅書が保管された。皇帝が崩御すると、公開の場で勅書を開封し、次期皇帝が発表された。この皇帝の指名方法を「太子密建(たいしみっけん)」と呼ぶ。清朝5代皇帝・雍正帝(ようせいてい)が定めた。
  • 8:清朝の軍事・政治の最高機関だった軍機処
    8:清朝の軍事・政治の最高機関だった軍機処
    吉川慧
    軍機処(ぐんきしょ)は清朝の行政・軍事の最高機関。「太平天国の反乱」の鎮定で活躍した左宗棠(さそうとう)、清朝末期に西洋技術の導入で国力増強を目指す運動「洋務運動」を推進した張之洞(ちょうしどう)、清朝崩壊後に中華民国の初代大総統に就任、皇帝を称した袁世凱(えんせいがい)などが名を連ねた。
  • 9:一番北にあるのが神武門
    9:一番北にあるのが神武門
    吉川慧
    神武門(じんむもん)は紫禁城の北門で、現在は故宮博物院の出口になっている。
  • 9:神武門から故宮の全体を眺めると・・・
    9:神武門から故宮の全体を眺めると・・・
    ASSOCIATED PRESS
    紫禁城の南北は約1kmにもなるので、遠くの建物は霞んでしまうほどだ。