本田宗一郎の名言、没後25年でふり返る 「根性は科学の上に成り立つ」

本田宗一郎氏が亡くなってから、8月5日で25年を迎えた。
時事通信社

本田技研工業の創業者、本田宗一郎氏が亡くなってから、8月5日で25年を迎えた。

1946年、浜松市に修理工場を創業して以来、技術と若さを売り物にする社風をはぐくみ、戦後生まれの企業ながらソニーと並ぶ「世界のHONDA」に会社を躍進させた。1958年のC100から始まるオートバイ「スーパーカブ」は、今もなお世界中で親しまれている。自ら陣頭指揮し、59年からはオートバイの国際レースにホンダ車を出場させた。64年にはF1レースにも初めて参加、いずれも後に優勝した。

本田氏は、「人まねはするな」「役所には頼るな」「世界を目指せ」などのいわゆる「本田イズム」を徹底。「会社を一族のものにしてはいけない」が持論だった。73年に社長の座を当時45歳の河島喜好氏に譲ったあとは、会社経営にはほとんどタッチしなかった。今もなおその経営哲学は、多くのビジネスマンの指針となっている。

そんな本田宗一郎氏が残した言葉の一部を紹介しよう。

企業といっても、人間が主体です。人間を抜いたら、何もない。

地味にやっている人たちがあればこそ、何とかなる。

どうだね、君が手に負えないと思う者だけ、採用してみては。

車を修理する時は車だけ直してもダメで、乗り手の心まで修理してあげなくては。

どんなアイデアでも、それをやってみるということが大切なんですよ。

F1ドライバーのアイルトン・セナ(右)と肩をくむ本田宗一郎氏

模倣はあくまで手段であって目的ではありません。

一度でも成功した者よりも、10回失敗した人のほうが豊かだと思うよ。

「もう少し時間があれば、考えつくんだけどなあ」なんていうのは、これはバカだということだよ。

「根性」というのは、科学的な理論の上に成り立っているんだよ。

社会に出れば、カンニングは自由なんだ。

レースをしなきゃ車は良くならん。

金が欲しければ信用を先に取ることのほうが本当だと思う。

米国に進出する以上、その土地の人を使って、かの地から喜んでもらうようにすべきだ。

試したという知恵、これが人を感動させ、しかも自分の本当の身になる、血となり肉となる知恵だと思う。

トラブルは小さなものの積み重ねが何かの時に爆発するんです。

良品に国境なし。

日記は消すことも訂正もできる。人間の行動には、それができない。

自己弁護は容易だが、自分を捨てて「真理」を弁護するのはなかなか難しい。

地域住民に迷惑をかけながら、製品をつくらなければならないような企業だったら、存在の意味はない。

努力を努力として価値づけるには、そこに創意と工夫が伴っていなければならない。

技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ

※皇居での勲一等瑞宝章親授式に出席する際の言葉とされる。

たとえうちが潰れても、国にそれだけの機械が残れば幸福だ。

正しい思想を持たない人間が、知識を持っても、技術を持っても、金を持っても、百害しかないのである。

リーダーシップとは、その目標をはっきりと見せてやることなんです。

そこに需要があるからつくるのではない。私たちが需要をつくり出したのである。

政治的に解決しなければならないことと、技術的に解決しなければならないことを混同してはいけない。

いい友だちを何人持ってるかが、その人の偉さだと思うな。

機械を動かすにはガソリンとスパナがいるけれども、人間を動かすには、食料と哲学がいる。

次の社長に、誰も文句を言わん人を出す。業績だけじゃなくて、それが経営者の役目じゃないですか。

本田という人がいた、ぐらいのことでいい。

※1973年、社長退任時の言葉。



※参考文献「1分間本田宗一郎 常識を打ち破る人生哲学」岩倉信弥 (著)

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