周囲とうまく溶け込めなくてもいい。偉大な革新者はみんなひとりだった

周りと違っていると感じたことがある人なら、きっと周囲にうまく溶け込もうとして、その違いを隠したり、最小限に抑えたりしたい気持ちになったことでしょう。

周りと違っていると感じたことがある人なら、きっと周囲にうまく溶け込もうとして、その違いを隠したり、最小限に抑えたりしたい気持ちになったことでしょう。

人間は社会的な動物です。理解され受け入れられたと感じると満足しますし、孤独を知り拒絶をおそれると精神と身体の健康レベルは低下します。そのため、拒絶されるかもしれないと感じると、全力でそれを避けようとするのです。

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これには納得いく進化論上の根拠があります。昔の人たちにとって、部族や集団からの追放は、おそらく「死」を意味していた、と心理学者は指摘しています。

野生動物による攻撃や飢餓といったものは、今ではほとんどの人にとって問題になりませんが、どこにも属していない状態は、今でも私たちに深く影響を与えます。

拒絶や拒絶に対する恐れは、私たちの健康、さらには寿命にまで影響を与える可能性があるという衝撃的な事実があります。

1980年代になってHIV/エイズが広がり始めたとき、UCLAの研究グループは、HIVに感染した同性愛者の健康と寿命に関する大きな違いの原因を調べようと、長期的な調査に着手しました。

意外なことに、最も大きな影響を及ぼした原因は、同性愛者であることを告白したかどうかにありました。同性愛者であること公表しないと決めた人たちは、カミングアウトした人たちよりも平均で2〜3年早く死亡しました。

私たちの(イギリス)社会で孤独を感じる人々の大部分を占める高齢者の調査でも、同様の結果を示しています。身近に人がいない場合、寿命を縮めるだけでなく、認知症やウィルス、その他の健康問題の発生率を増加させています。

部外者のように感じている人、固定観念に囚われている人、差別を受けていると感じている人は、自身を孤独だと思う傾向が強いです。ストレスレベルが上昇すると、免疫力は低下します。

このことは私たちの多くにも影響を及ぼします。

学校で疎外感を感じ、人気のある子どもたちの仲間には入れず、チームにはいつも最後まで選ばれなかったという悲痛の過去を持つ人が多くいますが、あなたもそのひとりですか?

10代の若者も部外者のように感じる傾向があります。受け入れられたいと思いつつも、心や体が大きく変わることに耐えようとするうちに、自分が誰だか分からなくなるのです。

多くの人たちにとって、この移り変わりの感覚は一時的なものです。とくに愛情のある両親や親友、そして友人や恋人と信頼しあえる関係を築き上げることができれば、苦しい時期に生じたどのような心の傷も十分に修復することができます。

回復力は、健康と幸福の秘訣だけではなく、どのように違いを活かして創造的な刺激に変えていくか、という点でも鍵となります。

部外者だからといって、自分を制御する必要はありません。事実、偉大な芸術家や革新者、コメディアン、科学者、起業家は部外者でした。

物理学者のアルバート・アインシュタイン、画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ、俳優のウッディ・アレン、歌手のレディ・ガガ、起業家のスティーブ・ジョブズ、名司会者のオプラ・ウィンフリーなど、他にも例はたくさんあります。

この人たちは、自分たちを“正常な”社会から排除しようとする(ときには実際に排除した)不利な状況からスタートを切り、その違いを長所へと変えてきました。

アインシュタインは物理学や数学以外の科目で落第し、やがて退学処分を受けましたが、それがきっかけで「思考実験」に着手し、後に一般相対性理論につながりました。

ジョブズは、マニア向けの電子機器を人々が欲しくなるような商品にして、他のコンピュータメーカーに影響を与えただけでなく、人々のテクノロジーとの接し方も変えました。

私たちはよく「既存の枠組みに縛られないように」と言われます。しかし、そもそも部外者というのは「既存の枠組み」ではありません。部外者は、“何がなんでもうまく溶け込みたい”という衝動に打ち勝たなければなりません。

本当の意味での「所属」とは、溶け込むことではありません。他人に受け入れられるために自分を捻じ曲げることは、自分をクローゼットに押し込めるようなものです。そして、私たちはすでに健康と幸福に及ぼす影響について知っています。

所属とは、本来の自分が受け入れられていることを言うのです。私たちが持つ特色のすべてを他人と共有する必要はありませんが、連帯感や共感、そして理想をいえば、目的意識を共有する必要があります。

共通の目的は、ときに大きな影響を持つことがあります。たとえば、戦場に出なければ共通点を持つことがなかった兵士たちが、敵弾をくぐり抜ける頃には兄弟のように感じることがあります。目的は、友人グループとの散歩であっても十分かもしれません。

私たちはみな独自の存在ですが、本当は異なる部分よりも互いに共通した部分の方が多くあるのです。部外者のように感じたことがあるという経験でさえ、それ自体が何百万人もの人々と共有されるエピソードなのです。

他人と違っていたとしても、ひとりではないのです。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。