広島市の平和記念公園で8月6日、「平和祈念式典」が開かれ、広島市内の小学校に通う2人が「平和への誓い」を読み上げた。
誓いのなかで児童らは、原子爆弾が投下される前の広島には、「一緒に創るはずだった未来がありました」と述べ、原爆によって多くの命や夢を失ったことを表現した。
しかし、復興のために努力を続けた当時の人々に思いを馳せ、「今、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました」、「苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません」などと述べた。
「平和への誓い」の全文は以下の通り。
****
平和への誓い
原子爆弾が投下される前の広島には、美しい自然がありました。
大好きな人の優しい笑顔、温もりがありました。
一緒に創るはずだった未来がありました。
広島には、当たり前の日常があったのです。
昭和20年(1945年)、8月6日午前8時15分、広島の街は焼け野原となりました。
広島の町を失ったのです。
多くの命、多くの夢を、失ったのです。
当時、小学生だった語り部の方は、「亡くなった母と姉を見ても涙が出なかった」と語ります。感情までも奪われた人がいたのです。
大切なものを奪われ、心の中に深い傷を負った広島の人々。しかし今、広島は、人々の笑顔が自然にあふれる街になりました。草や木であふれ、緑いっぱいの街になりました。
平和都市として、世界中の人に感心を持たれる街となりました。
あのまま人々が諦めてしまっていたら、復興への強い思いや願いを捨てていたら、苦しい中、必死で生きてきた人々がいなければ、今の広島はありません。
平和を考える場所、広島。
平和を誓う場所、広島。
未来を考えるスタートの場所、広島。
未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。
一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。
広島の子供の私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。
平成29年(2017年)8月6日
こども代表
広島市立大芝小学校6年 竹舛直柔
広島市立中筋小学校6年 福永希実
平和記念式典で、平和への誓いを読み上げるこども代表の2人(2017年8月6日)
▼「原爆投下直後の広島」画像集が開きます▼
【※】スライドショーが表示されない場合は、こちらへ