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2018年03月09日 17時27分 JST | 更新 2018年03月15日 11時44分 JST

ひとの死を、受け容れる。あるいは希釈する。佐倉さんのインスタは、きれいな花と食事であふれている。

クリエイティブディレクター佐倉康彦さんに、死について尋ねたら、生きることを知った。

佐倉さんのSNSは、お花の写真で彩られている。花と同じくらい多いのが、美しく調えられた、御膳の写真だ。綺麗に生けられた花と温かみのある食卓。その理由を、改めて尋ねた。

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佐倉康彦(さくら・やすひこ)さん 株式会社ナカハタ クリエイティブディレクター。受賞作に「愛だろ、愛っ。」など。TCC最高賞、ACC賞など受賞多数。

一昨年の暮れに、大切なひとが亡くなった。ちょうど50歳。

そのとき、お花をたくさんいただいたんだよね。家にもたくさん送ってもらった。棺いっぱいに詰めたんだけど、詰めきれなくて、参列した方にも分けたけど、余っちゃった。余った花たちが、一人になったガランとした住まいにドッとやってきた。枯れてしまうのが嫌で、水切りを憶えたり、花弁を水盤に浮かべたりして、ギリギリまでなるべく持たせなきゃと思っていた。ちゃんと花を持たせないと、自分が怠けている気がした。

佐倉さんのインスタグラムより

最初は配偶者が亡くなったことに対する供養としてやっていたのかな。長い間、白い花ばかり選んだりして。一人になっちゃったこともあって、自分の時間がすごく余っちゃって、何をしていいかよくわからなかったのもあるんだけど。だんだん花を弄るのが面白くなってきた。そうすると、写真を撮っておきたくなっちゃって。花がある空間って悪くなくてね。いい光の入る部屋だったから、撮った花も3倍増しで綺麗に見えるし。

花って不思議。お花屋さんで求めたときは大体つぼみなんだけど、花が開いて、少し萎れてきて、時々花の首が折れたりして、最後は腐って枯れていく。そのプロセスが一週間か10日ぐらい。そのすべての流れを通して見ていくことが、義務じゃないんだけど、自分の中で大きなことになっちゃっていて、やめられなくなっちゃったの。

ふたりで暮らしていた家が広すぎたから引っ越しをした。そこでも、まず花屋を探すわけ。どうせ毎週買うから。花屋の店主と仲良くなって、花を選ぶと、「佐倉さん絶対それ選ぶと思った」と言われたりする。面白いよね。

もともと花は好きだったんだけど、1年間やってみて、花に詳しくなったよ。花の名前とか、水切りのタイミングとか。変な話だけど、もう一回、なんか、生きることをやり直しているような気がするんだよね。

色とりどりの花の写真。佐倉さんのインスタグラムより

彼女は、昔勤めていた会社の別のディビジョンで店舗の開発や空間デザインをする部署にいた人で、俺とは全く畑違い。俺の仕事に対して辛辣なことをバキバキ言う人で、耳が痛かった。大体ヘビーなことしか言わない。でも彼女が言うことは、自分にとってある程度の基準にはなった。褒められたこと、ねえな。

結婚して2年目に発病して、その後に骨にいって、肺にいって、肝臓に転移して。18年の結婚生活、ほとんど闘病していたけど、すごく命の強い人だった。もうダメかも、やばいなぁ、と思うと、復活してくれたことが何回かあった。本当に強いひとだった。

佐倉さんのインスタグラムより

ごはんを作るようになったのも、花と似たような話で。あるとき、いただきものの鹿児島の干物を焼いて、ご飯を炊いて食ったら「悪くないな」と思ったんだよね。一人になって時間が余って、オフの時間には映画を見たり本を読んだり、トコトコ遊びに行ったりしていても時間が余るし、やることない。じゃあ久しぶりに飯作るか、というのがきっかけ。

普段は酒飲んでるわけじゃない? せめて週に一回ぐらい、いただいたものや、冷蔵庫にあるものでちゃんと食事を作ってもいいかなと。

佐倉さんのSNSより

ごはんを作って、食べて、うんことして出して。普通の営みなんだけど、それを今までちゃんと意識したことがなくて。でもね、花と一緒で、ごはんを作る行為が、なんとなく楽しくなっちゃった。

もともと、ごはんを作るのは好きだったんだよね。俺が一緒にキッチンに立つと、彼女に「そうじゃない」「やめてくれ」とギャーギャー言われるからやらなかったんだけど。彼女が骨董市とかで買い集めた食器が山のようにあって、当時は俺が「もう買わなくていいじゃん。何人家族だと思ってるんだよ」と言っていたんだけどね。今、俺がその食器を使ってる。

手づくりの食事。佐倉さんのインスタグラムより

最初は、写真に写ってる俺の分の向こうに、実はもう一膳、亡くなった彼女の分も用意してたんだよね。半年間ぐらいかな。でも、いつまでこんなことをやっているんだ、と思って。それで自分のためだけに作るようになった。

今、SNSで意外とみんなが見てくれて、お世辞とか言ってくれたりするわけ。で、作らなきゃ、という強迫観念もあったりして、バカだよね。誰も見てないっつーの。ミーティングで「この時期、飯は何食いたい?」とか聞いてみて、みんなが「あれ食いたい」「これ食いたい」と言うのを作ったりしてる。メニューに煮詰まって、俺がパンケーキ焼いてアップしたときは、さすがにみんな呆れながら笑ってたけどね。

佐倉さんのインスタグラムより

以前は、飯をただ食ってるだけだった。今はなんかこう、「いただきます」という言葉が素晴らしいという意識になった。

最初はロクデナシの俺に18年間、付き合い始めを入れると20年も連(つる)んでくれた彼女のことを、どこかに留め置きたかったのかな。あんまりいい旦那さんではなかったんで、贖罪なのかな。ただ途中から大事な時間になってきた。「彼女のために」という贖罪だけではなくなってるんだけど、どこかで彼女を思っている部分もあるんだろうね。

——私ごとですが、両親をがんで亡くしてからここ数年、心の持っていきかたが難しいんです。

大切な人への思いは人それぞれ、時間が解決することではないよね。フラッシュバックしたりもするしね。それも含めて、生きていくということなんだろうと思う。いつまでも膝抱えているわけにもいかないじゃない。そういうことと付き合いながら生きていくしかない。その事実を受け入れられない人や、心にずっと残っている人もいると思うけど、どうにかなるもんでもないしね。どうしたって、亡くなる前と同じにはならない。

人は一人じゃなくて、社会があって、繋がりがあるから、大事な人を亡くすのは辛いんだけどさ。俺たちみんなオギャーと生まれた瞬間からお墓へと一直線に向かってゆくわけで、いつか死ぬわけじゃん。オナラしたりあくびしたりと同じ、ごくごく自然なことなんだよね。花は枯れて腐るし、飯はうんこになっちゃうし、人も最後は土に戻っちゃう。

とてつもない出来事なんだけど、しょうがないんだよねこればっかりは。

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新聞15段広告でどんなに素晴らしいコピーを書いたって、最後は畳の下に敷かれちゃったりするわけだから。そして成れの果てはゴミになって、いずれ土に戻る。それが小説だろうが映画だろうが、その道程は似たようなものかも。だけど、どこかで人の心に残り続けていくものもあるだろうから。せめてそういう、人の胸の裡(うら)にあるアーカイブに、少しでも残る仕事がしたいなと思うよね。

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心底しびれるインタビューでした。佐倉さん、ありがとうございました。