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2018年03月03日 17時03分 JST | 更新 2018年03月03日 18時02分 JST

アメリカ出身の「韓国代表」が見た北朝鮮。彼女たちはこうやって「南北合同チーム」を作った

「私たちは一つ」 夢のような平昌オリンピックが終わった。

HuffPost Korea
アイスホッケー南北合同チーム代表のイ・ジンギュ(左)、パク・ウンジョン

2月20日、韓国・江陵ホッケーセンター。試合終了を知らせるブザーが鳴った。

最終スコアは1-6。コリアはこの日、7・8位決定戦でスウェーデンに負けた。

平昌冬季オリンピックの最終戦だった。

もう再会できないかもしれない選手たちが、合同チームでプレーした最後の試合でもあった。

観衆は、青い朝鮮半島の地図が描かれた統一旗を振って「私たちは一つだ!」と叫んだ。

選手たちはすぐにはリンクを離れなかった。センターフェイスオフサークルに沿って丸く円を描いて並び、スティックで氷を叩き、「ハナ、トゥル、セッ!(1、2、3!) チームコリア!」と叫んだ。

何人かの選手たちは涙を流して抱き合った。涙を浮かべたセラ・マリー監督は北朝鮮のパク・チョルホ監督を抱きしめた。パク監督の目も赤くなっていた。

「コリア」は今回の大会で5戦5敗を記録した。2得点、28失点、最下位。しかし、このチームが歴史の1ページに記録されるという事実を否定する人はいない。

開幕わずか3週間前に結成された南北合同チームの選手たちは、世間の議論と懸念の中でも、黙々と最善を尽くした。競技場の内外では、どのチームよりも多くの拍手と応援を受けた。

REUTERS/David W Cerny
2018年2月20日、スウェーデン vs コリア戦

実は、合同チーム結成前も、アイスホッケー女子チームは一種の「合同チーム」だったと言っても間違いではない。海外で生まれ育った韓国系2世たちがチームに合流して、チームワークを培った。そうしなければならない理由があった。

韓国はアイスホッケー不毛の地だ。女子チームは国内に1つだけ。つまり国家代表チームしかない。国際大会以外は試合をする機会さえなかった。

平昌冬季オリンピックの準備のため、2013年ごろ、韓国アイスホッケー協会は海外に目を向けた。アイスホッケーの人気が高いアメリカとカナダの学生チームの名簿から、キム、リー、パク、チョン、チェといった名前と、外見がアジア系の選手を見つけて片っ端から連絡を取った。「韓国代表選手として活躍してみませんか?」。ゼロから手探りのスタートだった。

1人ひとり...

まるでジョークのような」(パク・ウンジョン)、協会の提案を受諾した選手たちが、1人、また1人と韓国の地を踏んだ。パク・ウンジョン(キャロライン・パーク)、イム・ジンギョン(イム・ダネル)、ランディ・ヒス・グリフィンは国籍取得手続きを踏んで韓国人になり、養子縁組でアメリカに渡ったパク・ユンジョン(マリサ・ブラント)は韓国籍を回復した。二重国籍のイ・ジンギュ(グレース・リー)と海外同胞のジェニー・キム・ノウルズも、提案を受けてチームに合流した。

慣れない韓国で、慣れない韓国語で、選手は太極旗のマークをつけて汗を流した。長くて4年、短い選手は数カ月前からオリンピックに向けて準備していた。

そんな中、突然、南北合同チームの結成が決まった。オリンピック最初の試合をわずか3週間後に控えた時だった。北朝鮮の選手がチームに合流して最初の練習を始めたのは、大会わずか2週間前だった。決して容易な道ではなかった。

HuffPost Korea

2月22日、江陵オリンピックプラザ近くのカナダハウスで、パク・ウンジョン、イ・ジンギュ選手がハフポスト韓国版のインタビューに応じた。

両選手は「夢のようだった」という表現をしきりに使った。「すべてが不確実」なのにもかかわらず、最終的には「本当に1つのチームになった」過程、そして「観客で埋め尽くされたスタンド」を思い出しながら。

「みんなが私たちを見守った。そんなチームの一員だったと言えるようになってよかった」

パク・ウンジョンはカナダ・トロントのブランプトンで生まれた。アメリカのプリンストン大学に通い、大学のチームでフォワードとして活躍した。コロンビア大学の医学大学院への進学を準備していたときに協会からのメールを受信し、「スティック1袋で」2013年に韓国に来た。生まれて初めての韓国訪問だった。日常生活に大きな不便はないにもかかわらず、「韓国国籍を取得して、オリンピックに出ようと」肩の手術もした。

アメリカ・コロラド州デンバー近郊のボルダー生まれのイ・ジンギュは、やや遅れてチームに合流した。2016年にマリー監督の目に止まった。彼女は当時、代表チームの練習試合の相手だったアイスホッケーの名門、シャトック・セントメリースクール所属だった。代表デビューの初試合からファーストラインのセンターフォワードとしてプレーした。オリンピックでは「とても頭にきて辛くて」涙をボロボロと流した。

2人の選手には「夢のようだった」オリンピックが終わった。まだ記憶が鮮明なうちに、その話を聞いた。

허프포스트코리아

​​​​​​――「オリンピックの旅」が終わりました。まず、感想はどうでしたか?

パク・ウンジョン(キャロライン・パーク):すべて終わったというのがちょっと夢のように感じられます。私たちは過去4年間、この瞬間のために準備してきたし、開会式の会場に入ったのがつい昨日のようだったのに、すべてが終わったなんて夢のよう。だけど、これはとんでもない経験でした。

イ・ジンギュ(グレース・リー):そうそう。私は昨年になってやっとチームに合流して、過去6〜7カ月ずっと練習だけしてきた。あっという間でした。(オリンピックには)今来たばかりって感じ。キャロルが言ったように、オリンピックに来たというのは本当にとんでもない感じでした。驚くべきことでした。

――ゴーリー(ゴールキーパー)のシン・ソジョン選手は最後の試合が終わるやいなや、マクドナルドに走って、7年間我慢していたハンバーガーを食べたそうですが、試合が終わって、ぜひやりたかったことはありましたか。最初の食事メニューは何でしたか?

パク:選手村の中にマクドナルドがあって、チームメートたちと「最後の試合が終わったらすぐマクドナルドに行こう」と話していました。そう決めていたんです。フライドポテトを食べたのが7年以上前かな。おなかをこわすんじゃないかと思った(笑)。グレースと私は完全にマクドナルドにはまって、結局、全種類を1個ずつ食べました。集団でマクドナルドなんて(笑)。

:キャロルが言ったように、最後の試合が終わってすぐにマクドナルドに走って行きました。1個ずつ全種類を食べました。すごくおもしろかった。

パク:それだけの価値があったってこと。

:そう。そうする資格が十分にあるディナーだった(笑)。

――イ・ジンギュ選手はチームに合流する前に、学校を休学しましたね。

:はい、高校を1年休学しました。これは私にとって良い機会でした。(学校のアイスホッケーチームの)コーチの方々がすごく助けてくれました。この機会を得るならば、今年は(代表チームの)ホッケーにだけ集中し、学校は1年休学するのがいいと言ってくれていましたが、それも力になりました。

――アメリカで育って北朝鮮の話をたくさん聞いたと思います。過去にジョージ・W・ブッシュ元大統領は、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、最近ではトランプ政権が北朝鮮との批判合戦をエスカレートさせています。北朝鮮と合同チームを結成するという発表が最初に出たとき、アメリカの家族や友人の反応はどうでしたか?

:(合宿を終えて)韓国に帰って来るまで、私たちも何のことだか分からなかった。これが発表されるまで前に私たちは(合宿を終えて)休暇中でしたし。だから韓国に来るまでは、私たちも何がどうなっているのか分かりませんでした。ニュースが溢れて、友人や家族も状況が分からなくて、「それで、今どうなの」というSMSもすごくたくさんもらいました。変な状況でした。すべて初めて聞く話で、何が起こるのか誰も分からなかったんです。

News1
写真はマリー監督が選手たちに練習を指示する様子。2018年2月5日。

――カナダの家族・友人の反応はどうでしたか?

パク:グレースが言った通り、私たちがこのニュースを知った時は、それでチームがどうなるのか、すべてが不確実でした。故郷の家族や友人がニュースで聞いたり、新聞で見たりした情報を通じてだんだん分かってきたように思います。最初、憂慮したのは一つでした。「このすべてのことが、どうやって解決されていくのか」。こんなことを心配したのは初めてです。私たちは、ただ「新しいチーム」を作ることになるんだろうと思いました。それもやはり懸念ではありましたが。しかし、全体的にはうまく解決していったと思います。

――一つのチームになってから、北朝鮮の選手たちに驚いたことはありましたか?

パク:個人的には、北朝鮮の選手たちがこんなに平凡で、情に厚くて、立派だということに驚きました。彼女たちは毎日、学ぶ意欲に溢れていました。私たちのシステムや4年間練習してきたことを学ぶことから、北朝鮮の選手たちは積極的に取り組みました。毎日最高でした。新しいことを試して学ぶ準備ができていました。私たちの日常みたいなことについても、恥ずかしがらず尋ねてきた。彼女たちと親しくなるのが本当に楽しかったんです。

:北朝鮮の選手たちにとってもやはり、これは克服しなければならない未知の状況だったんです。その点で、彼女たちが私たちにどう反応するか、観察するのが興味深かった。キャロルが言ったように、北朝鮮の選手たちもチームで活躍したかったし、チャンスをつかもうとしていました。そうするために彼女たちがどれほど努力しているか、全員が気づいてからは、すべてがうまく行き始めたと思います。私たちは全員、北朝鮮の選手たちが、私たちととても似ているということに気づきました。そうやって本当のチームになったんです。

――言葉の壁はどのように解決しましたか? 2人とも韓国語を聞いて理解することができます。それでも北朝鮮の言葉は韓国と大きく違います。英語から韓国語へ、そして「北朝鮮語」への翻訳は簡単ではなかったのではないでしょうか。

パク:チームのロッカールームの壁に紙を貼って、いくつかの単語を翻訳して書き留めておきました。北朝鮮の選手たちと私たちの言葉の違いを埋めるために、チームが一緒に努力しました。

――どんな単語ですか?

シュート、パス、チェンジなどの基本的な単語も違いました。韓国の選手たちは、英語の単語を書いていましたが、北朝鮮の選手たちはシュートを「チョノッキ(打ち入れ)」と言ったり......。「打ち入れ」だっけ? 文字通り翻訳して「ゴールの中にパックを打って入れる」という意味だったような。そうだっけ?(笑)

:私は(北朝鮮の言葉は)よく分からない(笑)。

パク:私もよく分からない(笑)。

:私たちにも、韓国語を使う選手たちにも、興味深いものでした。たとえば「ダンプ(dump、相手陣内にパックを打ち込んで他の選手が急行する戦法)」といえば韓国の選手たちは、「ダンプ」が何を意味するか知っている。シュートやパスなどの用語も、英語の単語をそのまま使うから問題がなかった。そこへ北朝鮮の選手たちが合流しましたが、英語を全く知らなかったんです。ダンプ、パス、シュートのような言葉を説明する、純粋な韓国語を書きました。最初は意思疎通が難しかった。しかし北朝鮮の選手たちは数週間で、いくつかの英語の表現にうまく適応してました。パスやシュートのような言葉も理解できるようになりました。

パク:私は「打ち入れ」しか覚えてない(笑)。

HuffPost Korea

――ものすごい応援を受けた選手としてどんな気分でしたか。こんな応援があると予想していましたか?

パク:誰も予想できなかっただろうと思います。最初の試合でリンクに入った瞬間、観客で埋まったスタンドと応援団、売り切れになったスタジアムを見ながら、非現実的な感じさえしました。こんな大規模な観衆とプレッシャーの中で試合をしたことはないですから。だからすごく面白かったし、試合により集中して頑張って楽しむことができたと思います。

――ホッケーを見たことがなかったファンからの感想はありましたか?

イ:スウェーデンと練習試合をしたんですが、その試合のチケットが完売でした。それが合同チームとしての事実上の最初の試合でしたし、その次から応援がだんだん大きくなっていったように感じました。合同チーム結成前に売り切れになった試合はたった1試合、日本戦でした。その後、合同チームの全試合、予選のスイス、スウェーデン戦が完売になり、最後の2試合は順位決定戦だったのに売り切れました。リンクに入ると、完売した試合がどんなものか(分かる)。スタンドがぎっしり。観客の半分はホッケーが何なのかをよく知らないかもしれませんが。

パク:スタンドに来て観戦したファンに「本当に面白かった」という電話やメッセージをよく頂きました。スコアはともかく、競技場に行って、私たちの試合を観戦するだけで楽しかったと言うんです。ホッケーを生で見たのが初めてだったんです。競技場で生で見るのは、テレビで見るのとはかなり違います。より理解が深まり、体のぶつかり合いのようなものを見て、どれだけ激しいか、またどれだけスピードが速いかも分かります。アイスホッケーへの理解度が高まりました。「スコアはどうあれ、本当に面白かった。チームのために頑張ってくれてありがとう」。こんなメッセージをたくさんもらいました。

――合同チームを結成すると発表した直後から、チームは平和、和解、オリンピック精神の巨大な一つの象徴となりました。選手として試合を準備するのに邪魔にはなりませんでしたか?

:練習は鎮川(選手村)でしましたが、外とはほぼ遮断されていました。選手村にはメディアのアクセスも遮断されました。だから最大限、選手村に滞在し、スウェーデンとの試合に臨んだと思います。スウェーデン戦に出てやっと、大変な状況だと分かりました。警察の警護を受けて移動し、(北朝鮮の選手たちと)バスは別々でしたが一緒に移動して、リンクに到着したときは通り過ぎた所でしたが、試合会場の外に多くのデモ隊がいるのも見ました。選手たちは全員、合同チームに対するネガティブな報道から距離を置こうとしていたと思います。私たちが集中するのはホッケーでしたから。ただしその当時は外部と隔離されていたので、そんな大ごとになっているとは知りませんでした。試合をするために出てきて、そこにいるすべての人々を見るのは本当に夢のような瞬間でした。

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パク:そうそう。どれだけ大変なことだったのか(後になって)気付きました。選手村で練習していたときは全く知りませんでした。すべてのことから遮断されていましたから。そうしているうちに「現実の世界」に突入したわけです。これは私たちよりもはるかに大きいことだな、この国と世界にとっても巨大なことだなと気づきました。私たちに非常に高い関心が注がれていました。だから、これをやりとげることの重要性がさらに強調されたと思います。「試合をどう展開する?」といったことに極力集中する代わりに、「(成績も重要だが)私たちのチームにはもっと大きな意味がある」という感じで受け入れました。それらが、このチームでプレーすることへの誇りを私たちに植えつけてくれたような気がします。

――北朝鮮の選手たちは、北朝鮮選手団の厳格なルールに従わなければならなかったと聞きます。また北朝鮮の選手たちは、別のバスに乗って移動し、宿泊施設も別で、経済制裁で禁止されたアメリカ産の品を使うこともできませんでした。毎日一緒に生活して、難しいことはありませんでしたか?

パク:私たちはチームとしてまとまっていたので、邪魔になるようなことはなかったと思います。宿泊施設が別というのが一番大きいことでしたが、食事も一緒に食べたし、リンクでもいつも一緒にいましたから。

:私たちがチームとして一つになることを妨害するようなことはなかったと思います。さっき言った通り、バスに別々に乗ったりしましたが、大きな問題はありませんでした。チームは35人でバス1台には乗り切れないのだから、どのみちバスは2台必要でした。私たちは一緒にリンクに行って、一緒に帰ってきました。北朝鮮の選手たちと私たちを引き離すようなものはありませんでした。

――多様性の観点から見れば、まだまだ足りませんが、今回のオリンピックは以前に比べて、はるかに広いスペクトラムの人や文化を示したと思います。アイスホッケーチームも、さまざまな文化や背景を持つ選手たちが一つのチームとして団結しました。それは皆さんにとってどんな意味がありましたか?

パク:私はこのチームの一員としてプレーし、ゲームの多様性を代表することができて本当に誇らしく、光栄でした。スポーツの試合でプレーしてオリンピックに出ることは、試合の結果くらいに、より大きな意味のようなものがあると思います。その機会を私が得られて光栄でした。

:歴史の一部として記録されることに参加できたのは、特別な感情でした。皆が私たちを見守りました。人々が私たちのチーム、私たちがやり遂げたことを忘れないだろうと分かったので、非常に格別でした。数年後には、人々が私たちを試合のスコアとして記録するのではなく、合同チームそれ自体として記憶するだろうと思います。そんなチームの一員だったと言えるようになってよかった。

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――日本戦の話をしましょう。他の試合よりはるかに激しかったし、勝てるような気もしました。大会初ゴールも出ました。あの時、どんな感じでしたか?

:さっき言ったように、合同チームが結成される前に売り切れていた唯一の試合が、まさに日本戦でした。去年の7月から選手全員の焦点は一つでした。私たちはスイスみたいなヨーロッパのチームとも戦えるだろうけど、日本には勝てるかも知れないと思いました。だから、チーム全体がその1試合に焦点を合わせたんです。競技場に入るときの雰囲気は(それまでの試合とは)別のレベルで高まっていたし、そのおかげで選手たちも序盤戦をはるかにうまく戦いました。伯仲した試合だったし、私たちも勝てると感じました。しかし(パックが)何度も不運な跳ね返り方をして...。私たちもものすごく集中しましたし、初ゴールも記録しました。

パク:日本と試合するときは、ちょっと気合が入る感じです。私たちのチームはもちろん、他の試合に向けても準備しましたが、日本戦はさらに集中して勝利を目標にしました。だから、今回の大会で最高の試合をしたと思います。明らかに接戦でした。勝つこともできました。しかし、タイミングが合わなかった部分があったと思います。それでも試合は手に汗握るものでしたし、同様にファンにもより楽しんで頂けたと思います。関心もはるかに大きかったし。

――初ゴールの時、北朝鮮の仲間の選手たちの反応はどうでしたか?

パク:ベンチにいた選手たちの反応がどうだったのかはよく分かりません。私はその時、試合に出ていて...。

:私たちはゴールを入れた時、声援が起こりました。北朝鮮の選手たちも同じでした。特に大会初ゴールだったので、私たちにとっては非常に大きな出来事でした。その時、2対1だったっけ?

パク:そう。

BRENDAN SMIALOWSKI VIA GETTY IMAGES

BRENDAN SMIALOWSKI VIA GETTY IMAGES

:最初のゴールだったから、みんなすごく湧き上がりました。試合会場でもそれが感じられました。10分間はそのまま(雰囲気が)保たれたようでした。誰もが熱狂のるつぼでした。

――合同チームの選手として、最も記憶に残る瞬間は?

イ:スウェーデンとの最後の試合が終わって、みんなで集まった時だったと思います。すべての選手がリンクの中央に集まって、最後に励まし合う時間を持ちました。夢のような瞬間でした。私たちが一つのチームとして、氷の上に立つ最後の瞬間だったからです。

パク:私もその時がとても特別な瞬間でした。合同チームとして開会式の会場に入場した時も「私たち、本当にこの旗の下で入場するんだな。現実になったんだな」と思いました。その二つの瞬間が、最も記憶に残っています。

ハフポスト韓国版を翻訳・編集しました。

(翻訳/TY生)