37歳で逝った母が、5人の子と交わした「約束」

「温かい死」を目指した家族の軌跡

37歳で急逝した母に、残された家族が思うこととは...(写真は生前、入院中の母の元にかけつけた次男。写真:遺族提供)

「死がこんなに温かいことを、初めて学ばせていただきました」

看取り士として、ある高齢男性の最期を見届けた女性看護師はそう言い、目を潤ませた。

昨年9月に出版した拙著『抱きしめて看取る理由』取材の一場面。亡くなって2時間以上過ぎてから触れた男性の背中の体温と、男性に「死んでも愛していますよ」と呼びかけて抱きしめた認知症の妻。「死の温かさ」とはそれらを言い含んでいた。また、看護師として触れてきた手脚の冷たい遺体のことも、彼女の前提にあった。

本記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。元記事はこちら

「温かい死」を家族とつくることを目指す団体がある。一般社団法人「日本看取り士会」(本部、岡山市)だ。同団体は、余命告知を受けた人の家族からの依頼で看取り士を派遣する。本人の死への恐怖や、家族の不安をやわらげながら、医師とも連携し、納棺まで寄り添う仕事。看取り士は、家族に抱きしめて看取り、命のエネルギーを受けとるようにうながす。

この連載では、看取り士と家族がつくる「温かい死」を訪ねる。

母親の温かい背中に触れる子供たち

加藤美咲(仮名、37歳)が危篤だという知らせを受けて、看取り士の大橋尚生(42歳)が病室に着いたのは正午過ぎ。大橋には、夫の加藤修造(仮名、43歳)と修造の姉、美咲の母が放心しているように見えた。2017年10月5日のことだ。

看取り士に関する新連載、1回目です

「ご主人の加藤さんに、ベッドに横たわる美咲さんの右側に座ってもらい、美咲さんの頭を左太ももの内側に載せていただきました。お姉さんとお母さんには、美咲さんの左側で腕や脚をさすってもらいながら、『ありがとう』や『お疲れ様』など、ねぎらいの言葉をかけていただきました」

3人は美咲に触れて声がけをすると、一斉に号泣した。2016年6月に摘出した卵巣がんの、腸などへの転移がわかってから約4カ月後だった。

加藤夫妻には5人の子供がいる。そのうち、小・中学校を早退した4人が病室に来たのは午後1時すぎ。美咲が亡くなって約2時間半が経っていた。大橋が振り返る。

「子供たちはみんな、驚くほど冷静でした。私が『お母さんの背中はまだ温かいから触ってみて』と伝えると、少しだけ触れて離れる子や、背中にじっと手を当てて、目を赤くしている子がいました。でも、一番下の美春さん(仮名、7歳)は、『絶対に嫌だ』と、お母さんには近づきませんでしたね」

大橋は子供たちが冷静だった理由を、後で知ることになる。

抱きしめて「命のバトン」を受けとる

看取り士の大橋は、かつては税理士事務所に勤務していた。加藤が経営する会社は当時の営業先の1つ。妻の美咲とも顔見知りだった。卵巣がんの摘出手術を受けた美咲は、大橋の紹介で、柴田久美子・日本看取り士会会長(65歳)の講演会などに参加。柴田の前向きな死生観に共感したという。

病床の加藤美咲氏に付き添った、看取り士の大橋尚生氏

「人は誰でも良い心と魂、体の3つを持って生まれてくる。死によって体が失われても、良い心と魂は家族に引きつがれる。だから死は怖くない」

柴田会長が今まで約200人をその胸に抱いて、遺された家族とともに看取ってきた中でつかんだ死生観だ。柴田会長は、外資系企業で社長賞を受けたこともある元エリート社員。後に老人施設の介護士に転身した。

だが、「施設で死にたい」と希望しながら、最後は病院へ送られていく人を、つらい気持ちで見送っていた時期がある。その後、島根の離島で余命告知を受けた人と暮らす、「看取りの家」を約10年間運営していた。

看取り士の大橋は、大切な人を抱きしめて看取る理由を説明する。

「良い心と魂を引きつぐには、背中が温かい間は抱きしめたりして、そのエネルギーをゆっくりと受けとる必要があります。『命のバトンを受けとる』と言います。それができれば、家族もより自分らしく生きていけます。親を看取る前後に会社を辞め、新たな生き方を始める人もいます」

だが、約8割の人が亡くなる病院では、そんな悠長なことはできない。多くの場合、家族は遺体との別れを20分ほどで終えて一度退室。看護師が遺体からチューブ類を外し、着替えなどを約30分で済ませて、家族と再対面させる。遺体はドライアイスで防腐処理され、病院裏口から搬出される。

「自宅なら、家族で思い出話をしながら、大切な人の温かい背中がゆっくりと冷たくなる過程を、体をさすったりして共有することで、その死を理屈抜きに受け入れられます」(大橋)

大橋や柴田会長が、自宅での看取りを勧める理由だ。

最期は住み慣れた自宅で、と考える高齢者が増えている。だが、家族がその希望をかなえてあげたいと思っても、実際にはどうすればいいのかがわからない。1976年を境に病院で亡くなる人が自宅で亡くなる人を上回って40年以上過ぎていて、看取り方を知る人は少ない。

自宅での看取りを希望する家族の不安をやわらげ、必要な作法や考え方を伝えるため、柴田会長は全国6カ所の研修所で看取り士を養成している。2018年2月末時点で全国に約340名の看取り士がいる。

加藤美咲もがんの転移がわかった際、担当医への不信感もあって抗がん剤治療を拒み、自宅での療養を選んだ。だが、昨年9月に肺炎を発症し、やむをえずに再入院することになった。

美咲の自宅療養に、看取り士の大橋はどのように向き合ったのか。

「傾聴と沈黙」で相手にただ寄り添い続ける

看取り士が終末期の人に実践し、その家族にもうながす「幸せに看取るための4つの作法」がある。いずれも「温かい死」へと導くためだ。

①家族の温もりを伝えるために、本人と肌の触れ合いを持つ。

②死への不安を共有するために、本人の話を傾聴し、反復し、言葉になら

ない恐怖は沈黙で受けとめる。

③どんな状況でも「大丈夫」と声をかける。

④看取る際には抱きしめて、呼吸を合わせて一体感で包み込む。

美咲が亡くなる約3週間前から、大橋は彼女の自宅へ通い始めた。美咲の「自宅で点滴したい」という希望を踏まえ、大橋が代表を務める訪問看護ステーション「もも」(長崎県)から、看護師が同行するようにもなった。

大橋が代表を務める訪問看護ステーション「もも」

「たとえば、『5人の子供たちを残して、まだ死ねない!』とか、『泣きたいけど、泣けないんです』とか、1日約3時間寄り添うことで、美咲さんも時々、僕らに弱音をこぼされましたよ」(大橋)

美咲も看取り士の大橋になら、「死」について口にすることの気兼ねはなかったはずだ。相手の不安を分かち合うことも、看取り士の大切な仕事。

大橋は、美咲の立場になって彼女が痛がる所をさすり、トイレに行く際には付き添い、彼女の話を黙って聞き続けた。「何もしてあげられない無力な自分として、ただただ寄り添い続けました」と彼は話す。

決して簡単なことではない。37歳の母親の「まだ死ねない!」などの言葉を受けとめ続けた、大橋自身の消耗もかなりのものだっただろう。

柴田会長は大橋が語った無力感について補足する。

「死を前にすれば、優秀な医師や看護師も、医療従事者でもない私や大橋と同じように無力です。でも、その段階で相手にまだ何かをしてあげられるのではないかと思い上がっても、結局は何もできないんですよ」

無力な自分を直視しながらも、前向きな死生観を持っていれば、看取り士は死の恐怖におびえる人にも「大丈夫」と言える、と柴田会長は続けた。

「死によって体を失っても、人は家族の良い心と魂の中で生き続けられる。そう強く信じているからです。だから死は決して怖くないんです」

親を亡くした人が、生前の親の顔を思い浮かべたり、小さな遺影に話しかけていたりすることがある。柴田会長の死生観はその延長線上にある。

「あれはお母さんじゃない。もう私のここにいる」

妻の看取りについて語る、夫の加藤修造氏(仮名、43歳)

「生まれて初めて臨終に立ち会い、私の場合、それが妻だったわけですが、一番近くで体感した今、死はもう怖くないです。5カ月ほどが過ぎた今でも、ずっとそばにいるような気がしますから」

加藤は、美咲の看取りについてきっぱりと語った。

普段から妻とはスキンシップを取っていて、看取り士の大橋から事前に抱きしめて看取ることも聞いていたので、違和感はなかったという。

「手脚はすぐに冷たくなっても、背中は亡くなってから3時間半ほどは温かったですよ。残り1カ月は苦しんだ闘病生活でしたけど、最期はとても穏やかでしたし、大橋さんたちのおかげで、満点の看取りができました」

美咲の告別式から約2週間後。大橋は加藤から、冒頭の10月5日の病室で、子供たちが冷静だった理由を初めて明かされた。

実は同3日の夜、加藤は、美咲に子供たちとのお別れをさせていた。野球部の寮で暮らす中学1年の次男を除く、4人の子供たちを、美咲は一人ずつベッドに呼んで抱きしめて言葉を交わしたという。

「お母さんは魔法使いになって、いつもみんなのそばにいる。苦しいときは苦しいと言いなさい。お母さんがすぐに駆けつけるけんね」

子供らはみんな泣いていたが、美咲は満面の笑みで一人ひとりに力強く伝えていく。最後に一人娘で、小学1年の美春を呼んで尋ねた。

母の死後、四男が書いた作文(写真:筆者撮影)

「お母さんの宝物は何?」

「美春!」

「お母さんが、一番大好きなのは誰?」

「美春!」

「ちゃ〜んとわかっとるけん、大丈夫ね」

答えながら泣く娘を、母はぎゅっと抱きしめた。娘は添い寝をせがんだ。

「あの夜の妻の、『魔法使いになって、いつもみんなのそばにいる』という言葉を、みんな、信じているんです。だから妻が旅立った病室に来たとき、子供たちは強かった。俺、子供たちを尊敬しますよ」

加藤はハンカチで目頭を何度も押さえながら、そう絞り出した。

5日は、加藤の「遠方から駆けつける次男の到着を待ってほしい」という希望を受け入れ、医師は死亡確認を次男の到着後に行うことに同意。病院では珍しい約3時間半の看取りが実現した。

告別式を終えて火葬場から帰る8日の午後のことだ。美春は3日の病室だけでなく、自宅から出棺する当日も、母親の体に一度も触れなかった。少し年上のいとこからその理由を聞かれた美春は、小さな胸に手を当てて話したという。

「あれはお母さんじゃない。もう私のここにいる」

(=敬称略=)

荒川 龍 : ルポライター)

東洋経済オンラインの関連記事

注目記事