あの人のことば
2018年04月19日 12時38分 JST | 更新 2018年06月11日 05時11分 JST

元日本代表・加地亮、カフェで働く男の充実感

ロシアW杯に挑む後輩に「今をやり切って!」

夫妻で切り盛りする大阪のカフェ「CAZI CAFE」の前で笑顔を見せる加地亮氏(筆者撮影)

「毎日朝9時には店に行き、帰るのは0時ごろ。ランチの時間帯は皿洗いに奔走しています。サッカー選手よりはるかに労働時間が長いですよね(笑)」

本記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。元記事はこちら

2017年限りで現役引退した元日本代表・加地亮(かじ あきら)は、大阪府箕面市で自ら経営する「CAZI CAFE」で今年2月から働いている。妻でオーナーの那智さんやスタッフたちと過ごす日々は多忙だが、これまでにない充実感も味わっている。(前編記事:12年前の苦い記憶、加地亮が語るドイツW杯

現役引退後、カフェで働くセカンドキャリア

1998年のJ1・セレッソ大阪入団を皮切りに、J2・大分トリニータ、J1・FC東京、J1・ガンバ大阪、アメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)のチーバスUSA、J2・ファジアーノ岡山でプレーし、20年間のプロキャリアに終止符を打った加地。年明けの1月には一家全員で大阪へ引っ越し、新生活をスタートさせた。

「CAZI CAFE」は加地がガンバでプレーしていた2011年7月にオープン。彼がアメリカ、岡山でプレーしていた間はスタッフに営業を任せていたが、この2月からようやく2人そろって店で働けるようになったのだ。

現在の多忙な生活を店内で話してくれた加地氏(筆者撮影)

「『カフェをやりたい』と言い出したのは嫁。開店約半年前から経営計画を練り始め、㈱CAZIを設立。僕が代表取締役に就任し、嫁が店のオーナーになる形で準備を進めていきました。銀行で資金を借り入れ、古民家を探してリフォームして、家具や食器をそろえるといった作業をしたのはすべて彼女。

淡路島の民宿・大倉荘の長女として生まれた嫁はもともと飲食業になじみがあった。料理を作るのも好きで、ウチに選手仲間を呼んで食事を振る舞うこともよくありました。滝川第二高校の同期で、サッカー部のマネジャーをしていたんですが、その経験もあって決断力と実践力も伴っている。カフェの仕事は天職だと思いますね」と加地はやり手の妻に最大級のリスペクトを払っている。

営業開始後は手探り状態で、店が軌道に乗るまでに約3年かかったという。最初に雇ったシェフが瞬く間にやめてしまい、那智さんが実際にランチを作っていた時期もあった。

「今のシェフはオープン2年後くらいから来てくれていますが、もともとは実家の知り合いの料理人。前のお店でも二番手の重責を担っていた腕のいい料理人なので、ウチに来てもらうまでに結構時間がかかった。その間はランチ営業だけにしていましたけど、ホントに大変でした」と那智さんは苦労話を打ち明ける。

現在はランチとディナーの2部営業。加地夫妻にシェフ、アルバイト10人程度という大掛かりな態勢で店を切り盛りしている。

朝から夜まで多忙な日々が続く

「昼は11時に開店するので、9時には出勤して、掃除やテーブルのセッティングなどの雑用から始めます。小鉢の盛り付けも僕の役目。これが結構大変なんです。

店内で販売するグッズなども紹介してくれた(筆者撮影)

ランチは有難いことに連日、たくさんのお客さんにご来店いただいていて、予約されたほうが確実だと思います。

料理は和食中心で3種類のメニューから選べるようになっていて、おかずのバリエーションが豊富だと好評をいただいています。僕はひたすら洗い物。スタッフが忙しいときにはホールで配膳したり、オーダーを取りに行ったりすることもあります。

お客さんが引く15時ごろに昼ご飯を食べて、いったん帰宅。夕方は子どもたちの世話や家事に時間を費やします。そして17時半から18時に再びお店に入って、今度はディナーの仕事。夜の営業は22時で、片づけや夕飯が終われば23時を過ぎるのが普通。家に着くのは0時ごろになります。アスリート体形を維持するために、少し前までは朝5時に起きてランニングをしていたんですけど、さすがに今はムリですね」と加地は慌ただしい日々を過ごしていることを明かしていた。

加地夫妻が営業している店ということで、「CAZI CAFE」にはガンバや岡山のサポーターが足を運ぶことも少なくない。そういう人たちのいる前で、加地は皿洗いに精を出す。10年前は日の丸をつけてスポットライトを浴び、つい昨年まで大勢のファンにサインや写真を求められていた男が、下働きをする姿を見せるのは勇気のいることかもしれない。

那智さんも「アッ君、恥ずかしくないの? 大丈夫?」と尋ねたことがあったようだが、加地は「全然、大丈夫」とさわやかな笑みをのぞかせたという。

縁の下から支える役割は今も同じ

「サイドバックだった自分はピッチ上でも他の選手を縁の下から支える役目を担っていました。今は働く場所がカフェに変わったけど、やっていることはまったく同じ。今は山のように積み上がる皿を見るだけでアドレナリンが出てきます(笑)。

店の裏側まで案内し、快活な笑顔も見せてくれた(筆者撮影)

それを効率よく洗って、拭いて、棚に戻す作業にもノウハウがいる。それを体得するのも日々の積み重ね。20年間プロ生活を送ってきた自分にはよくわかります」と彼はしみじみと語る。

飲食業という未知なる仕事に就いたことで、加地亮の人生には新たな広がりが生まれつつある。

将来的には、那智さんの実家・大倉荘を継ぐことも視野に入れている。

淡路島には2002年日韓ワールドカップの時にイングランド代表が事前キャンプで練習場として使った兵庫県立淡路佐野運動公園サッカー場もある。こうした施設を有効活用しながら、地元にお客さんを呼び込み、サッカーを盛り上げるような取り組みを夫が手掛けてくれれば理想的だと那智さんは考えている。

「僕はJクラブや学校の監督や指導者をやるつもりはないけど、淡路島でサッカー教室のイベントを開いたり、いろんな人たちをつなぐ拠点を作れたら理想的かなと思っています。

12年前、ドイツワールドカップで戦っていた元日本代表DF加地亮は後輩たちにエールを送った(筆者撮影)

引退した後、Jリーグ新人研修で話をさせてもらったり、テレビに出させてもらったり、店の仕事と並行してサッカーにも携わらせてもらっていますけど、自分を育ててくれたサッカーに恩返しすることも大事なこと。そういうチャンスがあれば、これからも頑張っていきたいですね」と加地本人も目を輝かせる。

ロシアでは悔いのない戦いをしてほしい

第2の人生はまだ始まったばかりだが、彼も言うようにサッカーとのかかわりはこの先も持ち続けていくつもりだ。元チームメートも加地夫妻のもとをしばしば訪れている。日々の戦いで精神的にもピリピリしがちな彼らにしてみれば、癒やし系の加地に会えるのは有難いはず。6月のロシアワールドカップに参戦する可能性のある選手もいるだけに、2006年ドイツワールドカップの喧騒を経験してきた男には、この時期の後輩の胸中はよく理解できる。

「とにかく今、できることを全部やり切ってもらいたい」と加地は改めてエールを送る。

「ドイツの時はホントに一瞬で終わった印象しかない。あれだけ苦労して予選を勝ち上がったのに、何の成果も残せなくて、ホントにむなしい気持ちになりました。僕自身も『いちばん下にいる選手だから』という気持ちがどこかに多くあって、年長の選手とあまり話ができなかったけど、チームが本当に1つにまとまるためには年齢とか経験とかは関係ない。

全員がミーティングや話し合いを繰り返して、100の力を150にする努力が必要だった。それを今の代表選手にはやってほしい。ロシアでは悔いを残さないような戦いをしてほしいと強く思います」

今も昔もつねに黒子になって周囲を支え続ける男・加地亮の発言には説得力がある。彼の思いを引き継ぐ選手が数多く出てきてくれれば、日本サッカーも前向きな方向に進むに違いない。

元川 悦子 : サッカージャーナリスト)

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