AAR Japan[難民を助ける会]は、2012年7月から福島県相馬市の親子を対象に、県内の放射線量の低い地域で野外体験をする「西会津ワクワク子ども塾」を年に数回開催しています。2011年3月の原発事故以降、福島県の放射線量の高い地域では屋外でのびのびと遊べなくなったことを機に始めた取り組みです。2012年の第1回目の開始から6年が経過する現在も大好評で、2018年7月21・22日、第25回目にあたる「子ども塾」を行いました。
ウェルカムダンスでお出迎え
豊かな自然やモニュメントが立ち並ぶ松川浦環境公園。津波により甚大な被害を受けましたが、2012年7月に再開しました(2018年7月21日、以下写真はすべて福島県相馬市)
7月21日正午ごろ、相馬市内の松川浦環境公園に西会津の親子が乗ったマイクロバスが到着すると、訪問を待ちわびていた40名近くの相馬市の方々に笑顔が見られました。1年前の2017年7月から、相馬市の親子を西会津に受け入れるだけではなく、より一層交流を深められるように、お互いの町を行き来するようになりました。西会津の親子が相馬市を訪問するのは今回が2回目です。西会津からは、前回の3倍以上にのぼる25名の参加者があり、相馬の方々も含め総勢70名近くが集いました。開会式では、相馬市役所や西会津教育委員会の方からイベントに向けた想いが語られ、会場の皆さんは真剣に耳を傾けていました。
その後、相馬市にあるダンス教室「花は相馬っ子舞踏団」の生徒が、地元で親しまれている曲にのせてウェルカムダンスを披露。曲は相馬市議の鈴木一弘氏が生歌で披露しました。軽やかに舞い踊る子どもたちを前にして、会場は大きな拍手が響き和やかな雰囲気に包まれました。
フィナーレのシーン。しなやかな手足の動きや軽快なステップが印象的でした(2018年7月21日)
西会津からのひまわりの種や、相馬市からの花の苗を植えていきます(2018年7月21日)
開会式の後は、この日最初のイベント「交流花壇づくり」です。会場の公園を管理しているNPO法人「松川浦サポートセンター」のボランティアの方々が花壇の土を掘り起こし、子どもたちは「どこに植えてもいいの?」「いつ花が咲くの」など口にしながら花の苗や種を楽しそうに植えていきます。手際よく花壇づくりを終えると、交流BBQランチです。相馬市の漁港で獲れた新鮮なタコやサザエなどの海鮮がメインで、「醤油をつけるだけでこんなに美味しいんだね」「バターも合う」などの声が相次ぎ、大量にあった海鮮はあっという間に食べつくされました。
1時間ほど食事を楽しんだ後は、外遊び大会。さっきまで「お腹いっぱい」と口にしていた子どもたちは、すぐに公園内を走り回り元気いっぱいです。毎回好例の「松川浦サポートセンター」の発案による外遊びは、「スカットボール」と「特大シャボン玉作り」。前者はゴルフとボーリングが合わさったような遊びです。まずは西会津の子どもたちがチャレンジ。得点を競い合い白熱していました。一方の相馬市の子どもは特大シャボン玉作りに夢中になっています。自分より大きなシャボン玉ができるたびに「待ってー」と、シャボン玉がはじけるまでとびっきりの笑顔で追いかける様子を、保護者の方々が嬉しそうに写真に収めていました。
子どもたちは、公園内の風船ボールに乗りながら順番を待ちます(2018年7月21日)
特大シャボン玉作りのコツを松川浦サポートセンターの方々に習います(2018年7月21日)
全身で復興を感じる
1時間ほどたっぷり身体を動かした後、漁港に移動して復興見学会の始まりです。漁船に乗って海上から町の復興を見渡すのは、相馬市の住民でもなかなか経験できない特別なことです。相馬市議の鈴木一弘氏の「せっかく相馬市に来てくれたのだから、少しでも喜んでもらえるような方法で町の復興を感じてもらいたい」という思いと、漁師の方々の多大なご協力により実現に至りました。船に乗り込み出発すると、船が走行する速度の早さ、身体全体に受ける風の強さ、今にも船内に入ってきそうな大量の波しぶきに歓声がわきました。最初は漁船後方にある網置き場に腰かけていたものの、漁師さんの「みんな、前に来てみる?」の一言を機に、ほぼ全員が漁船前方のデッキに集まりました。そこでは、風景が一切さえぎるものなしに広がり、じっくりと町並みを眺めることができました。西会津の親子は身を乗り出すようにして「こんなに綺麗になったんだね」と口々にし、復興を感じ取っていました。
右に見えるのは相馬市のシンボルとも言われる松川浦大橋で、2018年4月に復旧したばかり。橋の開通によって震災以前のようにアクセスが良くなり、人々の往来の活発化が期待されます(2018年7月21日)
約1時間の遊覧を終え、磯辺地区の慰霊碑に向かいました。相馬市内では、458名の方が震災の犠牲となり、特に被害の大きかった原釜地区と磯辺地区に慰霊碑を建立しています。慰霊碑を前に、固く目を閉じて手を合わせる親子の姿が印象的でした。参加者の多くの子どもたちが小学校2年生から5年生で、震災の記憶はほとんどない世代です。子どもたちが地震や津波の恐ろしさや、どのような被害が起きたのかを知ることは、防災への大切な一歩です。
時間を忘れて海を楽しむ
2日目の最初のイベントは松川浦で磯辺観察です。松川浦は、高さ9mに及ぶ津波により堤防が決壊し壊滅的な被害を受けましたが、2018年4月に沿岸部の市道が復旧し、震災前の景観を徐々に取り戻し始めています。8時半過ぎに市内の松川浦磯辺に到着し、イソガニ釣りのレクチャーを受けました。エサとなるイカの切り身を針金に通そうと、イカの切り身を手にした子どもたちは「ヌルヌルしてて気持ち悪い」「さわりたくない」と最初こそ嫌がる子もいましたが、気付けば誰もがイカと針金を巧みに操り大量のイソガニを捕まえていました。「見てみて!こんなに大きいの獲れた!」「この岩の奥の方にたくさんいるの」「たくさん獲れそうだから早く網を持ってきて!」と大はしゃぎ。透き通った磯辺の水は、ひんやりと気持ちよく、保護者も負けじと楽しむ姿が見られました。
いざイソガニを捕まえにいくところです(2018年7月22日)
捕まえたカニは、水を入れたビニール袋に入れます。最後に磯辺に戻しました(2018年7月22日)
イソガニはフライにして食べると美味しいと地元の漁師さんが教えてくれました(2018年7月22日)
1時間ほど楽しんだ後、徒歩5分ほど先にある原釜小浜(はらがまおばま)海水浴場に移動しました。東日本大震災の津波で大規模な被害を受け、長らく遊泳は禁止されていましたが、ちょうど前日の2018年7月21日に、8年ぶりの海開きを迎えたのです。県内北部では震災以降初めての海開きで、多くの住民や観光客が砂浜をぎっしりと埋め尽くしていました。この日の最高気温は30℃を越えており、まさに海びよりです。
海水浴を充分に楽しみ、近くの民宿で昼食をすませると、伝承鎮魂記念館と原釜慰霊碑に向かいます。記念館では、原釜小浜や相馬市の津波被害の映像や写真パネル、震災前後の町の風景などを通じて改めて震災被害の深刻さを学びました。先ほど海水浴でおおはしゃぎしていた子どもたちは、一変して静かに館内を巡っていました。その後の歴史資料館の訪問では、数十年から百年近く前に使われていた機織り機や農機具を見学。旧式の道具に子どもたちは興味津々。保護者からは「懐かしい」の声が繰り返し聞かれました。
津波で流された写真の数々に目を通していた子どもたち(2018年7月22日)
被災当時を映し出した写真パネルの前に、しばらくたたずんでいた親子(2018年7月22日)
子どもが屋外でのびのびと遊べる機会を提供しようと始めたワクワク子ども塾ですが、今では他地域の特色や文化を学び合ったり、地域間の交流を深める作用ももたらしています。互いの地域やそこに暮らす人々に親しみを抱いていくことで、震災の風化を止めるとともにより良い復興や町づくりにつながるよう、AARは今後も西会津ワクワク子ども塾を開催して参ります。
開会式後に撮影した集合写真。AARの櫻井祐樹(1列目の左端)と浅野武治も一緒に(後列右端)(2018年7月21日、松川浦環境公園)
【報告者】
東京事務局 園城 蕗子
大学在学中にアジアやアフリカで開発支援のボランティア活動を経験するほか、海外十数ヶ国を訪れる。民間企業に勤務の傍ら、通信制の大学院で平和構築を学ぶ。2017年12月にAARへ。東京都出身。