歴史論争を見ればわかるように、世の中の論争の大半はなにが正しいのか決着をつけることができません。歴史文書が残っていても、事実が正確に記されているかどうかはわかりません。タイムマシンが発明され、過去に遡って事実を検証できるようになったとしても、それをどう解釈するかは(自分たちに都合のいい)イデオロギーで左右されるでしょう。
ところがそのなかで例外的に、白黒の決着がつく論争があります。「市場原理」が正しい者に富を与え、間違った者を市場から追い出すからです。
2007年頃に、日本市場で独自の「進化」を遂げた携帯電話の仕様が世界標準からかけ離れているとして、"ガラパゴス化"と揶揄されました。それに対して一部の論者が、「ガラパゴスでいいじゃないか」と反論しました。「日本には日本のよさがあるのだから世界に合わせる必要はない」「日本ブランドはアジアではじゅうぶん戦える」というのです。
その後、2008年にアップルのiPhoneが発売されると日本ではソフトバンクが独占販売し、それにauが続きました。そしていま、"ガラケー"の牙城だったドコモがiPhone発売に舵を切り、日本の携帯メーカーは存亡の危機に立たされています。すでにNECとパナソニックは個人用スマホから撤退を決め、「国内メーカーで生き残るのはソニーだけ」との予想も現実味を増してきました。
契約流出に苦しむドコモは夏商戦でソニーとサムスン電子の端末を積極販売する「ツートップ」戦略を採用しました。それに驚いた国内メーカーのなかには、「韓国企業の優遇がなぜ許されるのか」と経産省に直訴したところもあるといいます。なんとも情けないかぎりです。
もちろん日本にも素晴らしいものはたくさんあります。アジアの国々を旅してみれば、若者たちが日本のアニメやマンガに夢中になり、回転寿司やラーメン店に長蛇の列ができているのを見ることができます。当たり前の話ですが、ほんとうによいものは海外でも受け入れられるのです。
それに対してガラパゴス化した日本の携帯電話は、最初から「世界で戦う」ことをあきらめ、ドコモの傘の下で国内市場を分け合いならが生きていくことしか考えていませんでした。こんなに志が低いのでは、アップルやサムスンの「黒船」に蹴散らされるのも当たり前です。
警察庁の発表(今年5月)によると、振り込め詐欺などの犯罪に使われるレンタル携帯電話の98%はドコモ製品でした。レンタル事業者のなかには不正利用を目的に携帯電話会社と法人契約を結ぶところもあり、ソフトバンクやauは、事業規模や従業員数に対して不自然に多い回線を求める事業者を拒否していました。ところがドコモは、登記簿だけで契約を結び、過去の料金支払で延滞などがなければ契約数に上限を設けていなかったため、不正利用の温床になってしまったのです。「貧すれば鈍す」とはこのことです。
ガラパゴス化したひとたちの特徴は、「日本は特別だ」という肥大化した自我と、「世界では通用しない」という劣等感です。こうした錯覚をただすのはとても難しいのですが、市場は損得によってそれを見事に成し遂げることができるのです。
(※ 『週刊プレイボーイ』2013年9月24日発売号に掲載された記事の転載です)