14歳のセックスワーカーが、生きる美しさを伝えるミューズになるまで(画像集)

「タイニーはまさしく映画スターのようでした」
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MARY ELLEN MARK

「初めてタイニーに会ったときのことを覚えています」今は亡き写真家のマリー・エレン・マークは、写真やフォトグラファーのメディア「レイカ・ニュース」のインタビューで語った。それは、マリーが1983年に雑誌「ライフ」の取材でシアトルを訪れていたときだった。シアトルのホームレスや家出した若者を取材するドキュメンタリーの仕事だった。マリーは、ストリートキッズがよく出入りしていたモナステリーというクラブの外で待った。

「タクシーが止まって、2人の幼い少女が出てきました」とマリーは思い起こしながら話した。「彼女たちはまだ10代半ばくらいのとても若い女の子で、化粧をしてミニスカートを履いていて、おしゃれを楽しんでいるように見えました。挑発的な売春婦のような格好をしていたんです。そのうちの1人がタイニーでした」

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MARY ELLEN MARK

少女タイニー(本名エリン・ブラックウェル)は、マリーに出会った時はまだ14歳だった。乱用しはじめて間もないドラッグを買うための金欲しさから、セックスワーカーとして働いていた。タイニーの仲間内のストリートキッズは、誰もがニックネームを持っていた。ラット、ルル、スマーフ、マンチカン、そしてタイニーがいた。彼女のニックネームが英語で「小さい」を意味するタイニーになった理由は、彼女いわく、特に体が小さかったからだそうだ。

マリーはタイニーの写真を撮りたいと思い、まっすぐ彼女に近づいた。タイニーはマリーを警察だと思い叫んで逃げ出したが、マリーはタイニーの母親の家を訪ね、とうとうタイニーを見つけ出した。こうして、マリーが亡くなる2015年まで続く、ふたりの関係が始まった。現在行われている展示「タイニー:ストリートワイズ・リビジッテッド」では、シアトルの路上で恋人を連れている若いタイニーの姿から、中年の、10人の子どもの母親になるまで、タイニーの人生を捉えている。

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MARY ELLEN MARK

マリーは、真実に目を背けずにありのままを写したいという想いと思いやりを持って、タイニーを写真に収めた。被写体のタイニーは、何も包み隠さなかった。「私はただ、タイニーの自分をさらけ出す様子と、何も隠さずに話す彼女の力に強く惹きつけられたのです」とマリーは話した。白黒写真には、その若い女性の、強くも弱くもあり、疲れてナイーブになり、悩んだり楽観的になったりしている姿が同時に捉えられている。

マリーのこのフォトエッセイは、ドキュメンタリー「ストリートワイズ」の原作となり、人を惹きつける魅力を持った、堕落した生活を送る若者たちの姿を写し出した。このドキュメンタリーは、マリーの夫マーティン・ベルが映画監督を務め、サウンドトラックを担当したトム・ウェイツにとってはアカデミー賞ノミネート作品となった。「ドキュメンタリーを撮影している時、私たちが探すのは、ある種スターのような映画スターのような人です」と、映画監督ベルはABCニュース特集で語った。「そして、タイニーはまさしく映画スターのようでした」

「私、ものすごいお金持ちになって、農場に住んで、たくさん馬を飼いたい。私、馬が最高だと思うし、それとヨットは3隻かそれ以上欲しいわ」とドキュメンタリーでタイニーは話す。「それにダイアモンドや宝石や、そういうのをたくさん」

そんな幸せを束の間に夢見るタイニーの姿は、上の写真に収められている。黒いベールとスタイリッシュな黒い手袋を身につけるその姿は、急に高級なファッション雑誌から切り取られたように見える。マリーは、タイニーが「パリの売春婦」の格好をしていたと振り返った。

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MARY ELLEN MARK

マリーは、1940年3月20日にフィラデルフィアで生まれた。彼女は1962年、ペンシルバニア大学絵画・美術学部を卒業した。2年後、同大学でフォトジャーナリズムの修士号を取得した。卒業後はフルブライト奨学金でトルコに渡り、後に初の著書となる「パスポート」の写真を撮影した。このときマリーは、自分は写真家になる運命だと確信したという。

それはエミネという名前の少女の写真だ。黒海沿岸にあるトルコの港町トラブゾンでベビードール・ドレスと白いリボンを身につけてポーズをとっている。彼女のくつろぐ様子にはどこか無邪気さが感じられる。子どもの体をした官能的な大人が、「しっかりこっちを見て」と挑発しているようだ。「私は、子どもを子どもとして撮るのが好きではありません」と、マリーは話した。「子どもたちを大人として見るのが好きです。それは、本当の彼らのだから。私はいつも、彼らがどんな側面を持った人間になりうるかを垣間見たいのです」

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MARY ELLEN MARK

写真家ダイアン・アルバスに影響を受けたマリーは、極限状態で生活する人たちに惹きつけられて、雑誌の表紙や美術館の壁に飾られている作品とは、全く異なる美の表現を探し求めた。「私は人生で幸運に恵まれなかった人たちに興味をもっています」とマリーはアメリカン・サバーブに話した。「感情的、肉体的、金銭的にハンデのある人たち。人生のほとんどは運です。金持ちの特権階級の家に生まれるか、非常に貧しい家に生まれるか、誰も選べません」

「ストリートワイズ」シリーズが終わりを迎えても、マリーとタイニーは連絡を断つことはなかった。32年に渡り、タイニーが子どもを産んで、恋に落ちて、麻薬をやめる姿をマリーは撮影し続けた。

ある時、マリーが夫のベルと、タイニーをニューヨークへ連れて行き学校に通わせたいを申し出たが、タイニーは「学校は自分には向かない」といって断った。「手助けすることはできますが、干渉し過ぎないように一定の線引きは必要です」とマリーはスイス人人気作家・ジャーナリストのペータ・ピクセルに説明している。「どこまでそこにいてあげられるか。自分が誰かを手助けしていると感じるときもあれば、全くそうでないと感じるときもありますが、私たちは見守るためにそこにいるのです。ストーリーを見届け、伝えていくために」

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MARY ELLEN MARK

今タイニーの人生には、ダイアモンドもヨットもない。しかし、タイニーは自分の人生を生きている。快適で安全で、彼女は今の生活を当たり前だとは決して思わない。

マリーが2005年、タイニーにインタビューしたときに、彼女は「私は友達がいることを誇りに思っています。これは、私が成し遂げたことです。だから私は、死んだり麻薬中毒になったりせずにすみました。ビックリするけれど」と語った。

ひとりの人間の生活をとらえた鮮やかなポートレートを残して、マリーは2015年に亡くなった。これらの作品には、痛みと苦悩、自由と、生き続ける力強さに溢れている。マリーのレンズを通して、写真を見る人たちは、貧困の残酷な現実と向き合う。その貧困は、タイニー自身を悩ませたように、タイニーの子どもたちの生活も苦しめる。私たちは貧困とドラッグと売春の影響を、タイニーの目と肉体に残った跡を見ることができる。そして私たちは、生き続けて、馬を飼うことを夢見て、その希望に向かって立ち上がる、生きる活力を目の当たりにする。

「タイニー:ストリートワイズ・リビジッテッド 写真家マリー・エレン・マーク」は、ニューヨークのアパーチャーで2016年6月30日まで開催中だ。

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銃を持つマイク 1983年/MARY ELLEN MARK

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ベッドでタバコを吸うタイニーとミッカ 1999年/MARY ELLEN MARK

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ケアンナとラシャワンドラ 1999年/MARY ELLEN MARK

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パットとジュリアンとタイニー。パットのキャンピングカーの中で。2003年/MARY ELLEN MARK

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。