百田尚樹と小林よしのり。「右派本のマーケット」をつくった2人の決定的な違い

私が百田尚樹に5時間半のインタビューをして分かったこと。安倍政権に近い作家・百田尚樹とは何者で、なぜ社会は百田の言動に激しい賛否を示すのか? 源流にある平成右派運動とはなんだったのか?そしてなぜ「正しい事実」を知っているはずのリベラル派の言説は市場を獲得できないのかーー。
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『ルポ 百田尚樹現象』表紙
Satoru Ishido

「相手を裁く前に、まず理解しようと努めることだ」

私が最新刊『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)で解き明かしたかった謎は、本の冒頭に記した。その一つはこうである。

戦後75年を前に、日本の歴史について右派的な言説は、百田の『日本国紀』が関連本も含めてミリオンセラーになるなど強いマーケットを持っているが、リベラル側にそこまでの市場はない。これはなぜか?

私は多くの場合において、右派的な考えと同じになることはない。だが、この現実は何を意味しているのかを知りたいと思った。多くの人が見てこなかった現実を描く。

私のアプローチは、『星の王子様』で知られる作家サン=テグジュペリの言葉と近い。彼は『人間の大地』(光文社古典新訳文庫)の中で、こんなことを書いている。

「もし諸君が戦争を否定しない人に戦争のおぞましさを納得させたければ、その人を野蛮人だと決めつけないことだ。相手を裁く前に、まず理解しようと努めることだ」

百田尚樹や小林よしのりらに長時間のインタビューをした

理解することは、支持することではない。本人にも伝えたが百田の右派的発言、嫌韓・嫌中的な発言について、賛同しない。だが、発言に至るまでの経緯や本人の考えは聞きたいと思った。

私は百田本人には計5時間半に渡るインタビューをし、平成右派運動の源流である「新しい歴史教科書をつくる会」の中核メンバー、漫画家の小林よしのり、教育研究者の藤岡信勝、ドイツ文学研究者の西尾幹二にも、長い時間をかけてインタビューをした。

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Tokyo, Japan July 20, 2019. REUTERS/Issei Kato
Issei Kato / Reuters

小林よしのり「戦争論」以降に売れなくなった本とは

本書の中で、私が注目したのは源流と帰結の決定的な違いだ。小林は私の取材に注目すべき証言している。

「『戦争論』(小林の代表作の漫画)以降、言論空間で何が変わったかといったら、左翼本が売れなくなったことじゃない。わしが右方面に新しい市場を作ってしまったということだよね。例えるなら、わしがブルドーザーで、ばあーっと地ならしして、はい、ここに市場ができましたっていう状態になった。そしたら左のほうの市場は、読者が寄り付かない状態になって、今も右に市場があるでしょう」

彼ははっきりと現在の右派本のマーケットは自身が作ったと認めた。98年に発売された『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』は、「右派的な歴史観が強い」とリベラルメディアや言論界から強烈な批判がありながら70万部超を売り上げ、社会現象になった。

百田尚樹について小林よしのりが考えていること

いまも新刊に、連載にと多忙な日々を送る小林の取材は難しいとあらかじめ伝えられていた。ましてや、彼自身が今は距離を置いている「つくる会」、右派をテーマにしたインタビューである。

現在は右派論壇を批判し、距離を置く小林にとっても決して愉快な取材ではないことは想像できた。依頼をしても実現の可能性は低いと思ったが、しかし小林は応じた。

百田は小林に対して一定の敬意を示す。「特に『戦争論』はすごかった。僕は影響を受けました。今の小林さんは意見が違うことが多いけど、小林さんは僕のことは批判できないと思います。部数が持っている力を彼ほど知っている人はいないからです」

ところが、である。『戦争論』に影響を受け、市場の力を見せつけている百田の存在について小林は、「わしが昔やってたことの真似をしてるだけなんだけど(笑)」(小林よしのり、ケネス・ルオフ『天皇論「日米激突」』小学館新書、2019年)と手厳しい評価を下している。彼はネット上で過激な右派言説を流し続ける「ネトウヨ」には非常に批判的だ。

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インタビューに答える漫画家の小林よしのりさん(当時)=2017年10月5日、東京都千代田区
時事通信社

  イデオロギーだけでは見えてこないもの

この違いはどこから起きるのか。表面的な主張やイデオロギーだけでみれば、小林が切り開いた、右派市場の正統な後継者は百田だ。そして、市場を支えている「ネトウヨ」は大切な顧客であるはずだ。

だが、小林はこれらを評価しない。社会学からは、小林から百田への「連続」を強調する研究がそれなりに出ているが、私にはむしろ「断絶」のほうが興味深いものに見えた。小林と百田の間には、「共通」と「断絶」がある。

共通しているのは、彼らの「反権威主義」そして腕一本のフリーランサーとして生きてきたことだ。

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 「マス=大衆」を馬鹿にしない。そこがリベラルと違う

小林は「知識人」——右派、左派を問わず——がどこかで持っている、「大衆への軽蔑心」を徹底して軽蔑している。彼はマス=大衆(=「普通の人々」)への信頼を絶対に崩さない。

自分が漫画の世界でプロとして継続的にヒット作を生み出しているから、自分の言論がどこに届くかを徹底的に意識している。「ゴーマニズム宣言」シリーズでは一貫して、普通の人々の常識を信じ、彼らを馬鹿にしないでメッセージを届ける姿勢を貫いている。

当時も今もリベラル派は、ここまでマーケットを意識してはいない。むしろマーケットを軽視してきたのに対し、小林も百田も徹底的にマーケットを意識している。ここが最大の共通項である。

彼らは徹底的に「大衆」を正しいものとして扱い、リベラルメディア=エリートと対峙する。メディア側の批判はむしろ彼らの力になり、対峙することでエネルギーを調達した。

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 なぜポピュリズムが力を持つのか

私は彼らを、現代デモクラシーを鋭く分析するオランダ出身の政治学者、カス・ミュデらの定義を踏まえて、ポピュリストであると書いた。

近年の政治学では、ポピュリストを大衆迎合主義者とは呼ばず、それだけで非難すべき対象にはならないと考えられている。大衆を最初から軽蔑せずに、信頼するという姿勢は政治を語る論客としては必須のものだろう。

そして、ミュデはポピュリズムをしばしば「正しい問いを発する」存在として扱う。なぜ彼らの声が力を持っていくのか。そこに問うべき課題があるからだ。

では、小林と百田の決定的な断絶とは何か。

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(Photo Illustration by Jakub Porzycki/NurPhoto via Getty Images)
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小林と百田には、しかし、決定的な断絶がある

小林には反権威やマーケットへの意識だけでなく、彼には行動原理や強い信念がある。それは読者に対する責任感と言ってもいいだろう。

「『戦争論』以降、右に振れすぎたなと思うよ。今のネトウヨみたいに、非常に言葉が乱暴で、緻密にものを考えない人間がいっぱい出てきちゃったのは間違いない。その中にわしの読者もいるかもしれないけど、それをコントロールすることはできない。でも、責任は感じているよ。何とかしてネトウヨをこっちに持ってこれないかなと」と小林は語っている。

だが、百田には小林のような信念を感じることがほとんどなかった。発言の核にあるのは、彼が「権威」とみなす朝日新聞などリベラルメディアに対する反発、読者が面白いと思うエンタメ小説を提供しようという思いばかりを感じた。

詳しくは本書に記したが、百田は「現代」と結びついた新しい現象を生み出しているというのが私の結論だ。 

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 メディアが気づいていない「ファクトチェック」の盲点

右派が力を持ち、現象が生み出される理由は、リベラル派や、メディアにもある。右派に対して、今も昔もメディアは繰り返し「ファクトチェック」をしている。それ自体は大切なことだろう。

デマ情報は人を傷つけることもあり、選挙の投票行動にも影響を与えかねない。だが、問題は「間違っている」ことだけを理由に、双方の対話のチャンネルを自ら閉ざしてしまったことだ。

それは彼らの読者に「間違ったものを買って読んでいる」というレッテル貼りにもつながった。

ファクトチェックと論破のみで対話が終わってしまうことの危うさは90年代よりもむしろSNS時代の今にもつながってくる。

私も含めて人間は自分たちが正しいファクトを知っており、チェックする側に立っていると思ったとき、しばしば正しいことを主張すれば相手の考えは変えられる、という態度をとってしまう。

こうして分断は加速する。

現代社会、最大の問題の一つ「分断」を考える題材は国内にもたくさんある。本書『ルポ 百田尚樹現象〜愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)はそれを論じるための叩き台にもなるだろう。