新型コロナ、厳罰化がまた彼らを呼び覚ます。「自粛警察」再来のシナリオ

新型コロナ対策の感染症法改正、特措法改正の議論が国会ではじまる。厳罰化を伴う法改正、方針変更は自粛警察、過剰な同調圧力にお墨付きを与えるという帰結にならないだろうか。
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新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が再発令されて迎えた週末、閑散とした東京・中野の飲食街。(2021年1月8日撮影、東京都中野区)
時事通信社

「自粛警察」再来を警戒する

自粛警察の再来を警戒している。

契機になるのは、国会で議論が始まる、新型コロナ対策の感染症法改正と新型インフルエンザ等特措法の、“民意に寄り添いすぎる”改正かもしれない。

前者では、入院措置に反して逃げた患者や積極的疫学調査を拒んだ者に対する罰則規定、後者でも立ち入り検査を拒否した店舗について過料を科すことが既定路線になりつつある。基本的な流れは、厳罰化へと傾いている。

さらに、帰国した日本人、入国する外国人が感染防止策に反した場合、氏名を公表するという議論も進んでいる。

「感染者が勝手に逃げれば怖い、調査に正直に話さないなど言語道断、感染症対策に協力せよ」という理屈は一見すると、問題なく通っていて、“民意に寄り添っている”ように見える。

だが、本当にそうだろうか。

かえって感染状況が把握しにくくなる?

感染症法について、日本医学会連合、日本公衆衛生学会と日本疫学会が反対声明を出したことは、ひとまず重く受け止めたほうがいいように思える。

「刑事罰・罰則が科されることを恐れるあまり、検査結果を隠す、ないし検査を受けなくなれば感染状況が把握しにくくなり、かえって感染コントロールが困難になることが想定されます」(感染症改正議論に関する声明、日本感染症学会、日本疫学会)

彼らが懸念しているのは、感染症対策のつもりで導入した政策が、かえって感染拡大につながりかねないという逆説だ。

さらに、特措法で仮に過料が導入されれば、店の規模によっては「焼け石に水」程度の補償よりも、営業を選んだという店は、個別のどんな事情があろうと「処分覚悟の業者」になる。彼らは感染症対策に協力していないということになり、「自粛警察」の大義ができてしまう。

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カウンターが1人向けに仕切られた上野の「アメ横」商店街にある立ち飲み屋=1月10日、東京都台東区
時事通信社

「正義感」に突き動かされる人々

感染防止を理由に個人の氏名が公表されれば、SNSから特定が始まり、過去に起きた事例と同様にインターネット上で晒し者にされることは容易に想像される。

感染症対策に協力していない、と彼らが認定する店舗や人を見つけ、彼らが理想とする対策を求める私的制裁行為を自粛警察と定義しよう。

私はコロナ禍の2020年、自粛警察行為に踏み込んだ人々、あるいはその周辺を取材していた。そこで印象的だったのは、彼らの行動原理が共通して「正義感」だったことだ。

 

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イメージ写真
Giuseppe Manfra via Getty Images

 

真面目な公務員が暴走した理由

これは、インターネット上で少年犯罪の容疑者を特定しようとしたり、第一波で新型コロナ感染者を割り出そうとしたりした人々にも共通しているように思える。

代表的な事例を一つ紹介しよう。

2020年4月14日早朝午前5時ごろ、こんな事件が起きた。

豊島区職員の男が、飲食店2店舗のドアに、「営業するな!火付けるぞ!」などと書かれたダンボール紙を貼り付けた。

威力業務妨害容疑で逮捕された63歳(当時)の男は、もともと別の自治体職員で、定年までキャリアを積み、2018年度から非常勤職員として豊島区に再雇用されていた。

住宅課職員として、空き家の再利用問題などを担当していたという。その勤務態度は真面目そのもので、大きな問題はなかったと区役所の担当者は語った。経験を買われ、再雇用されるくらいだから前職でも問題なかったと推測できる。

やがて、保釈された男は、5月26日、区役所内で人事担当職員ら3人から事情を聞かれている。その場で責任を取りたい、と本人から辞職の申し出があった。実際に彼と対峙した職員は驚きを隠さなかった。

冷静さを取り戻し、いつものように真面目な口調の男から、動機として語られたのが「行き過ぎた正義感」だったからだ。

自粛警察を正当化する罰則

当時取材していた精神科医は、自粛警察について「起こるべくして起こった」と私に語った。

彼が語ったのはこういうことだった。心理学で、第三者罰と呼ばれている行動がある。AとBが揉めている時、Aがズルをした。それを知っている第三者は、どのような行動をするのか。多くの人は、多少のコストを払ってでも、Aに制裁を加えようするのだという。

自分には関係なく、かつ得にもならないのに制裁を加えたがる。これが第三者罰だ。自粛警察はこうした人間心理の延長にもあるのではないか、というわけだ。

言い換えるとこうなる。

感染対策こそ正義であり、逸脱を許せないという大義名分さえあれば、自分や自分の周囲になんら関係なくても、人は私的制裁活動に及ぶ。晒しに加担するのも、張り紙で脅すのも私刑という点では変わりない。そしてこれが横行するのはまた、ある意味で合理的な帰結ともいえる。

彼らは“異質”な存在ではない

「彼らは決して『異質な存在』ではない。むしろ、人ごとではないと考えるべきだ」。前述の精神科医はいう。

「(自粛期間中に)パチンコ店に並ぶ人々に対して怒りを覚えたという人は、彼らと同じ感覚を共有している。彼らの処罰感情を理解できるという人も決して少なくないだろう」という指摘を、今だからもう一度、思い返す必要がある。

厳罰化を伴う法改正、方針変更は自粛警察、過剰な同調圧力にお墨付きを与えるという帰結にならないか。これが本当に感染症対策につながるのか。

危機時の民意に寄り添いすぎるのは危険だと考えてしまうのだが……。

(文:石戸諭/ 編集:南 麻理江)